婚約破棄から始まる幼馴染との逆転劇〜元素のスキルで解決無双〜
穏やかな春の陽が、王都の一角に佇むフローレンス伯爵家の庭園に降り注いでいた。
良い天気だ。
色とりどりの花々が咲き誇り、甘い香りが風に乗って運ばれてくる。
ここでは鳥も鳴く。
その美しい光景とは裏腹に、庭園の一角では凍てつくような冷たい空気が渦巻いていた。
「アリア・フローレンス。貴様との婚約は破棄する」
王太子、クリストファー・アウグストゥスは、冷たい翡翠の瞳でアリアを見下ろした。
「えっ?」
その声音には、かつて見せていた優しい面影は微塵も感じられない。
隣には、華やかなドレスを身に纏った男爵令嬢、イザベラ・ルクレールが、勝利を確信したかのような笑みを浮かべて立っている。
(……えっ?な、に?)
アリア・フローレンスは、クリストファーの言葉が現実のこととして理解できなかった。
否、理解したくない。
幼い頃から共に育ち、将来を誓い合った仲ではなかったか。
平民上がりの自分を王太子の婚約者として選んでくれた、あの時の優しい言葉は、全て偽りだったというのか。
不貞以外の何物でもないではないか。
「クリストファー様……どういうことでございましょうか?」
アリアの声は、微かに震えていた。
(とにかく、少しでも情報を)
必死で平静を装おうとするも、その瞳からは隠しきれないほどの悲しみが滲み出ている。
「貴様のような、何の力もない平凡な女が。この国の未来を担う僕の隣に立つなど、ありえないのだ。イザベラ嬢こそ、僕の真の伴侶に相応しい才女だ」
クリストファーは、そう言い放つとイザベラの腕を取り、冷酷な視線をアリアに向けた。
「えっと」
冷たすぎて情など一欠片も感じ取れず。
「二度と、僕の前に姿を現すな。ふん!」
社交界における婚約破棄は、女性にとって致命的な烙印となる。
震えて去るしかなかった。
悔しくて堪らなくて。
領地にすごすごと、帰るしかできることは残されていない。
瞬く間に噂は広がり、アリアは嘲笑と憐みの視線に晒されることになった。
「どうして、何もしてないのにっ」
かつては王太子の婚約者として持て囃された彼女は、一夜にして社交界の隅に追いやられた。
「アリア」
声をかけられた。
失意の底に沈むアリアにとって、唯一の救いは、幼馴染のレオナルド・シュヴァルツの存在。
彼は、物心ついた頃からアリアの傍にいて、いつも温かい眼差しで見守ってくれていた。
「レオナルド……」
騎士爵家の次男であるレオナルドは、実直で心優しい青年だ。
婚約破棄の知らせを聞いたレオナルドは、すぐにアリアの元へ駆けつけた。
「大丈夫、ではないな……気にするな。も、気にするよな……?」
憔悴しきったアリアの姿を見るなり、彼は怒りを滲ませた声で言った。
その怒りの声が慰めになる。
「クリストファー王太子!許せない。アリア、辛かっただろう。でも、一人で抱え込まないでくれ。おれは、いつだってアリアの味方だ」
レオナルドの温かい言葉と、変わらない眼差しが、アリアの凍り付いた心を少しずつ溶かしていく。
「ええ。ありがとう」
彼だけは、何も変わらず、アリアの傍にいてくれる。
「なにか気分転換に。どこかに行こう」
その事実が、彼女にとってどれほど大きな支えになったことか。
(王太子はイマイチアレだったから言わずにいたけど、今になるとその判断も大正解だったわけよね)
実は、アリアには誰にも打ち明けていない秘密がある。
それは、幼い頃から時折、体の奥底から湧き上がってくる、不思議な力のようなものの存在。
それは、まるで世界の色彩が鮮やかになるような。
あるいは、微かな音さえも鮮明に聞こえるような感覚。
しかし、その力が何なのか、どうすれば意のままに使えるのか。
全く分からなかった。
自嘲気味に笑う。
ただ、人には言えない、自分だけの秘密として心の奥底にそっとしまっていたのだ。
もし、知っているものがいるのならば教えて欲しい。
婚約破棄から数日後。
「さぁ、ここだ」
「ええ。素敵……!」
アリアはレオナルドに誘われ、二人にとって思い出深い場所である領地の外れの森を訪れた。
緑豊かな色合い。
幼い頃、よく二人で秘密基地を作って遊んだ、静かで緑豊かな場所だ。
「懐かしいわ?」
ほう、と息を吐く。
「覚えていたみたいだな。よかった」
森の奥深く、木漏れ日が優しく差し込む開けた場所で、二人は久しぶりに穏やかな時間を過ごしていた。
がさり。
しかし、その静寂は突然破られた。鋭い咆哮と共に、巨大な影が二人の前に現れたのだ。
「なっ」
漆黒の毛皮に覆われた、牙を持つ魔獣。
「グルルル!!」
レオナルドは、咄嗟にアリアを庇うように前に立ち塞がった。
「アリア、後ろに!」
魔獣は鋭い爪を振り上げ、レオナルドに襲い掛かる。
「ヒッ!?」
恐ろしい。
彼は剣を抜き、必死に応戦するも、魔獣の力は想像を遥かに超えていた。
「くっ」
激しい攻防の末、レオナルドは深手を負い、地面に膝をついてしまう。
「レッ、レオナルド!」
アリアは悲鳴を上げた。
体がすくむ。
大切な幼馴染が、自分のせいで傷ついてしまった。
涙で視界が滲む。
「に、げろ、アリアッ」
その光景を見た瞬間、アリアの中で、これまで感じたことのない激しい感情が渦巻いた。
叫ぶ。
「レオナルドッ!いやっ!」
獣にターゲットにされるかなど、どうでもよい。
湧き上がる。
悲しみ、怒り、そして何よりも、レオナルドを守りたいという強い願いだった。
(失いたくない!)
その瞬間、アリアの体内で眠っていた力が、堰を切ったように溢れ出した。
むくりと。
まるで世界そのものが震えるような、強烈なエネルギーが彼女を中心に爆発する。
ゴゥゴゥと音が周囲に鳴り、体に走る。
「なぁに、これは?」
眩いばかりの光が森を照らし出し、周囲の木々が激しく揺れ動いた。
息を止め、変化を感じ取っていく。
魔獣は、突然の異変に怯んだように動きを止める。
「アリア?」
彼の声が水泡の中のようにこだました。
薄い膜の中のように聞こえる。
次の瞬間、光が収まると同時に、その姿は跡形もなく消え去っていた。
まるで、最初から存在していなかったかのように。
静寂。
アリア自身も、何が起こったのか理解できなかった。
呆然となる。
ただ、自分の手のひらに、温かい、不思議な力が宿っているのを感じた。
「なんだったのかしら?」
それは、幼い頃から感じていた微かな力とは全く違う、圧倒的な力。
レオナルドは、信じられないといった表情でアリアを見つめていた。
「アリア。今の、一体?」
アリアは、自分の身に起きたことを説明しようとしたが、言葉が見つからない。
首を振る。
己にも説明できないのだから。
ただ、自分の内なる力が、レオナルドの傷を癒そうとしているのを感じた。
「レオナルド。あなたの傷を治すわよ?じっとしててね」
そっとレオナルドに触れると、彼の顔色がみるみるうちに良くなっていく。
「な、なんだと」
彼は驚きにぽかんとしていた。
深い傷口からは、みるみるうちに血が止まり、塞がっていく。
すごい。
初めて自分の力を使った。
驚愕と同時に、湧き上がるような希望を感じていた。
(治癒魔法?)
この力があれば、婚約破棄の屈辱を晴らすことができるかもしれない。
「あの人達を……」
何よりも、大切なレオナルドを守ることができる。
とりあえず、今は彼を休ませよう。
その夜、二人は森の中で静かに語り合った。
「そうだったのか」
アリアは、これまで誰にも言えなかった、不思議な力の存在をレオナルドに打ち明けた。
「ええ。秘密よ?絶対にね」
レオナルドは、アリアの話を真剣に聞き、そして力強く言った。
「アリアの力は、きっとアリア自身を守るために目覚めたんだ。そして、おれたち二人なら、どんな困難も乗り越えられる」
レオナルドの言葉に、アリアは勇気づけられた。
「そうかしら?」
一人で悩んでいた日々は終わりを告げ、これからはいつも傍にいてくれる心強い幼馴染と共に、新たな道を歩んでいける。
彼は笑みを浮かべた。
「ああ!保証する。誰よりも今まで努力してきただろ?」
二人は、アリアのスキルを秘密裏に鍛え始めた。
「こうかしら。難しいのよねぇ」
森の中で、人目を避けながら、アリアは自分の力を試した。
文献なども調べる。
「ふぅ」
「ほら、レモン水だ」
「ありがとう。レオ」
最初は戸惑うことばかりだったが、レオナルドの助けもあり、徐々にその力を制御できるようになっていった。
判明するスキル。
彼女の【元素操作】のスキルは、想像を遥かに超える可能性を秘めていた。
強力だ。
風を操り、炎を生み出し、大地を揺るがす。
「強くなれてるかしら」
「なってる。おれはそれを客観的に評価できるぞ?」
「ふふっ。そうね」
その力は、まさに無双と言えるものだった。
思わず笑ってしまう。
数ヶ月後、王都では、婚約破棄されたアリア・フローレンスの噂はすっかり過去のものとなっていた。
アリアからすれば呆れること。
人々は、新しい王太子妃となったイザベラ・ルクレールの美貌と才気に夢中になっていた。
レオナルドも鼻で笑い飛ばす。
そんな中、アリアとレオナルドは、密かに王都へと戻っていた。
浮気者達の動向など簡単にわかる。
王都への目的はただ一つ。
「用意はいいか?」
自分たちを貶めた者たちに、その行いを後悔させること。
「勿論。心の準備はできてる」
そして、自分たちの手で、未来を掴むことだった。
「お手をどうぞ、レディ」
アリアは、以前とは見違えるほど美しく、そして自信に満ち溢れていた。
「まぁ、紳士ね。レオナルド様?」
その瞳には、揺るぎない決意が宿っている。
レオナルドは、常に彼女の傍に立ち、温かい眼差しで見守っていた。
二人の両親も全力で後ろ盾になってくれている。
二人が最初に起こした行動は、社交界への復帰だった。
「ねぇ、あの方達」
「あら?」
かつて嘲笑を浴びた場所に、堂々と姿を現したアリアの美しさ。
傍らに立つ、凛々しいレオナルドの姿は、人々の視線を釘付けにした。
「あれは……アリア・フローレンス嬢では?」
「まさか。あんなに美しくなられて」
ざわめきが広がる中、アリアは微かに微笑み、静かに言った。
「ごきげんよう、皆様」
その堂々とした態度と、以前とは全く違うオーラに、周囲の人々は言葉を失った。
特に、かつてアリアを嘲笑した貴族令嬢たちは、その変貌ぶりに愕然としている。
「見ろよ。あいつらの間抜けな顔」
密かに二人は、その顔のさせ方に笑う。
「レオナルド。今から彼らのところへ行くのだから顔だけは取り繕ってね」
そして、アリアは、クリストファーとイザベラの前に進み出た。
「クリストファー殿下。イザベラ嬢。ご機嫌麗しゅう」
クリストファーは、目の前に立つアリアが、かつての弱々しい少女と同一人物だとは信じられなかった。
(レオナルドと鍛えたものを発揮する機会よ、アリア)
意気込む。
相手は美しさと、内に秘めた強さに、一瞬息を呑む。
アリアは微笑んだ。
「アリア。貴様、一体……」
貴様とはなんとも下品だ。
「わたしは、ただ、自分自身の幸せを掴むために戻ってきただけです」
アリアは静かに、しかし力強く答えた。
「そして、わたしを貶めたあなたたちに、その愚かさを教えて差し上げましょう」
息を吐く。
その言葉を合図に、アリアは自身のスキルを発動させた。
庭園の空気が一変し、目に見えない力が渦巻き始める。
周囲の花々が意思を持ったかのように動き出し、クリストファーとイザベラを取り囲んだ。
二人は、突然の異変に恐怖し、後ずさる。
逃がさない。
アリアの瞳は冷たく輝き、その口元には、静かな怒りが滲んでいた。
「あなたたちは、わたしたちの未来を奪おうとした。その報いは、しかと受けていただきましょう」
アリアの操る自然の力は、容赦なくクリストファーとイザベラに襲い掛かる。
「きゃあああああ!!」
花々は鋭い棘を持つ鞭となり、蔦は二人の自由を奪う。
息もつかぬ瞬間で。
かつて王太子妃の座を奪い取ったイザベラの華やかなドレスは、瞬く間に泥と花弁で汚れていった。
「うわぁあああっ」
周囲の貴族たちは、信じられない光景を目の当たりにし、ただ立ち尽くすことしかできない。
王太子達を助ける果敢なものはいないらしい、とレオナルドは冷静に見る。
アリアの力は、彼らの想像を遥かに超えていた。
「離せ!?やめろっ!」
レオナルドは、そんなアリアの傍らで、静かに剣を構えていた。
彼の役割は、アリアの力を最大限に引き出すための盾となり、邪魔をする者を排除することだった。
「アリア、やったな」
「どんなものよ」
可愛い笑みを見せた。
クリストファーは、ようやく事の重大さに気づき、アリアに懇願した。
「アリア!許してくれ!僕が悪かった!婚約破棄など、ただの過ちだったんだ!」
アリアの心は、彼の言葉には微塵も揺るがなかった。
「過ち、ですって?あなたの一言で、わたしはどれほどの苦しみを味わったか。レオナルドがどれほど心配してくれたか。あなたには、決して理解できないでしょう」
アリアの力はさらに増していく。
庭園の木々が巨大な腕のように伸び、クリストファーとイザベラを捕らえようとする。
「ぐっ!」
二人は悲鳴を上げ、必死に抵抗するも、その力には全く敵わない。
「ひぃいい!」
その時、王宮の奥から、数人の騎士たちが駆けつけてきた。
彼らは、王家の命を受け、アリアを鎮圧するためにやってきたのだ。
「アリア・フローレンス!その力を止めろ!王家に逆らうつもりか!」
騎士たちの剣が、アリアに向けられる。
怖くなんてない。
レオナルドは一歩も引かず、アリアの前に立ちはだかった。
「アリアに手を出すな!彼女を傷つける者は、このおれが許さない!」
激しい剣戟が繰り広げられる中、アリアは静かに力を溜めていた。
怒っているのはこちらも同じ。
彼女の瞳は、もはや過去の悲しみではなく、未来への強い光を宿している。
「うちは、契約を破られて怒りが凄まじいの。フローレンス家はこの国から離れる覚悟もあるのよ」
そして、彼女は再び、その圧倒的なスキルを解放した。
家名を馬鹿にしたのは王家。
今度は、森全体を揺るがすような、強大な地の力が奔流となって騎士たちを襲う。
「わたしの力、とくと味わいなさい」
地面が隆起し、亀裂が走り、騎士たちは足元を掬われ、次々と倒れていった。
その光景を見たクリストファーは、完全に戦意を喪失した。
王太子たる彼は、自分が犯した過ちの大きさを、ようやく理解したのだ。
「うう、そんな馬鹿な……」
アリアは、倒れ伏した裏切り者のクリストファーと奪略者のイザベラを呆れた仕草で見下ろし、言った。
「あなたたちは、力ある者を侮り、踏みにじった。その報いを、しかと受け止めるがいいわ」
その後、アリアとレオナルドは、王宮を後にした。
彼らの目的は、ただの復讐ではない。
自分たちの尊厳を守り、脅かされることのない日常を掴むことだった。
王都を離れ、二人は静かな地方都市へと移り住んだ。
結局、話し合いの結果。
実家のフローレンス伯爵家は、離国せずこの国に留まったまま。
アリアはそのスキルを活かし、人々の生活を豊かにするための様々な事業を始めた。
(これよ、これ。これこそ私がやれることなのね)
作物の収穫量を増やしたり、災害を防いだり。
彼女の力は、多くの人々の待望の基本となった。
レオナルドは、常にアリアの傍で彼女を支え、その才能が正しく使われるように見守った。
アリアとて、悪いことに使いたくはないが、世の中婚約破棄をする王子がいるような世界。
足元を掬われることなど、起こることなのだ。
彼の優しさと誠実さは、アリアにとって何よりも大切なもの。
そして、数年の月日が流れた。
アリアとレオナルドは、多忙な暮らしの中で、穏やかな幸せを育んでいた。
かつての婚約破棄の傷は癒え、二人の間には、静かな時間と深い愛情が育まれていた。
「よし、ここならいいな」
ある日、二人は、自分たちがかつて遊んだ森を訪れた。
「また来れてよかったわ。ね?」
木漏れ日が優しく降り注ぐ中で、レオナルドはアリアに甘く緩やかな言葉を囁いた。
「アリア。あの時、お前が力を目覚めさせてくれたおかげで、おれたちはこうして一緒にいられる。本当に感謝している」
アリアは、レオナルドの優しい眼差しを受け止め、微笑んだ。
「レオナルドがいてくれたから、わたしはここまで来られたのよ。あなたがいなければ、きっと、絶望の中で立ち上がることすらできなかったでしょう」
二人は手を取り合い、静かに森の中を歩いた。
「ここをこんな気持ちで歩けるなんて」
彼らの未来は、明るい光に満ち溢れている。
「それは、お前の努力があったからだ」
かつての婚約破棄という不幸な出来事が、二人の絆をより一層深め。
確約された勝利へと導いたのだ。
「ありがとう。レオ」
スキルという特別な力と、友情を経て友愛で結ばれた幼馴染と共に、アリアはこれからも、自分らしい幸せを築いていくことだろう。
「アリィ。お礼はもうたくさん言っただろ」
いつまでも、レオナルドの温かい手の中で、穏やかな日々を送るのだ。
とろりとなる気持ちは、手放すつもりはない。
二人の周りには、いつも優しい風が吹き、幸運の香りが漂っている。
それは、まさに周りが祝福をしてくれているようであった。
地方都市での穏やかな暮らしの中で、アリアの才能は開花し続けている。
彼女の【元素操作】のスキルは、日々の研究と実践によって、ますます洗練されていった。
スキルの恩恵は広い。
作物の豊作は続き、街は活気に満ち溢れた。
アリアは、領主からの信頼も厚く、街の人々からは感謝と尊敬の念を集めている。
(日差しが眩しい)
人気は日々高まっている。
レオナルドは、変わらずアリアの近くにいた。
頼りになるナイト。
騎士としての鍛錬を怠らず、その剣術はさらに磨きがかかった。
「アリア。傘の中に入れ」
彼は、アリアの護衛として、そして何よりも彼女の心の支えとして、かけがえのない存在となっていた。
「ええ。レモン水を飲みましょう。レオナルドもね」
二人の間には、言葉などなくとも通じ合う、深い愛情が育まれていた。
この日常は手放せない。
「レオナルド、手紙が……」
共に困難を乗り越え、共に喜びを分かち合う中で、その絆は誰にも引き裂けないほど強固なものとなっていた。
「どうした?」
そんなある日、アリアの元に、王都からの救援要請が届く。
息を呑むしかない内容がそこにある。
差出人は、アリアの父であるフローレンス伯爵だった。
「はぁ」
手紙を読み込む。
手紙には、王都の近況と、クリストファー王太子とイザベラ王太子妃のその後について書かれていた。
「そこまで行ったんだな」
婚約破棄の騒動の後、クリストファーの評判は地に落ち、王国内では彼の指導力に対する不信感が広がっていた。
イザベラも、その傲慢な態度が多くの反感を買い、民からの支持は得られていないという。
「こちらが問題よね」
さらに、手紙には近年、王国の各地で原因不明の事態が頻発しているという、類を見ない問題も記されていた。
異常な干ばつ、突然の洪水、そして作物を枯らす雨。
人々は不安に駆られ、王家への不満が高まっているらしい。
アリアは、手紙を読み終えると、静かに目を閉じた。
かつて自分を馬鹿にし、壇場で見下ろした王太子。
今や苦境に立たされている。
顔が浮かぶが、ほとんど消えかけていた。
それは、自業自得と言えるのかもしれない。
しかし、民が苦しんでいるという事実は、アリアの心を痛めた。
「レオナルド……王都で、大変なことが起きているみたい」
アリアが手紙の内容を伝えると、レオナルドは真剣な表情で頷いた。
「原因不明のものか。もし、人為的なものではないとしたら。アリアの力が必要になるかもしれない」
アリアは、自分の持つスキルが、人々の役に立つならば喜んでその力を使いたい、と思っていた。
レオナルドのおかげ。
家族が支えてくれたから。
婚約破棄という個人的な恨みよりも、多くの人々の幸せを願う気持ちの方が、今の彼女の中では大きくなっている。
「わたし、王都へ行こうと思うの」アリアは、決意を込めた瞳でレオナルドを見つめた。
「わたしの力で、少しでも多くの人を助けたい」
わがままだろう。
けれど、彼はカラっと笑う。
レオナルドは、アリアの決意を尊重した。
「分かった。おれも一緒に行く。アリアの近くにいることが、おれの役目だからな」
二人は、すぐに王都への準備を始めた。
かつて、悲劇を胸に落とし込めた地となった王都へ、今度は人々の希望の光となるために。
などと、カッコ良いことを思ってみたり。
王都へ向かう道中、アリアは自分のスキルをさらに磨き上げた。
「練り上げる時間が減って、発動時間が短くなったわ」
事件の原因を探り、それを鎮めるための方法を考え続けた。
レオナルドは、彼女の思考と訓練を邪魔しないように、常に周囲の警戒を怠らなかった。
「レオナルド、あれ」
王都に近づくにつれて、街の様子は荒廃しているのが見て取れた。
活気はなく、人々の表情は暗く沈んでいる。
「気をつけて行くぞ」
由々しき事態になっているようだ。
手紙によれば作物は枯れ、水は涸れ、希望の光は見えないということ。
「お父様」
「お久しぶりです、伯爵」
フローレンス伯爵邸に戻ったアリアを、父は大喜びで迎えた。
「おお、アリアッ」
娘の突然の帰還に、彼は驚きと喜びを隠せない様子だった。
「アリア……よくぞ帰ってきてくれた。王都は今、大変な状況なのだ。お前の力が必要になるかもしれないと、ずっと思っていた。レオナルドくんもよく来たね」
父の言葉に、アリアは静かに頷いた。
「お父様、ご心配なく。わたしは、この力で人々を助けたいと思っています」
「ありがとう」
父は瞳を潤ませて礼を述べる。
アリアはすぐに、事件の調査を開始した。
「事態はかなり深刻よ。時間との勝負」
レオナルドと共に、被害の大きい地域を回り、人々の話を聞き、土地の状態を詳細に調べた。
「文献も、調べないとな」
レオナルドも気を引き締めて挑む。
結果、アリアは、これらの事態が、特定の場所から発生する歪んだ高位エネルギーの影響を受けていることを突き止めた。
王城や王家の本を読んだ。
それは、自然の力ではなく、人為的な、悪意のあるエネルギーだった。
「これは……誰かが意図的に引き起こしているのかしら?」
アリアは、憂鬱な表情で呟いた。
レオナルドは、周囲を警戒しながら言った。
「ありえるな。自然災害に見せかけて、何か裏で企んでいる者がいるのかもしれない」
アリアは、その歪んだエネルギーの発生源を特定するために、自分の【元素操作】のスキルを最大限に活用した。
彼女の鍛えたスキルは、微かなエネルギーの流れさえも捉えることができる。
そして、ついにその根源が、王宮の地下深くにあることを突き止めた。
「王宮の地下……一体、何があるというの?」
王家は及び腰で使えない。
貴族達も同じ。
となれば、二人でやるしかない。
知ったアリアは、驚きを隠せない。
レオナルドは、剣に手をかけ警戒を示した。
「確かめるしかないだろう。アリア、危険な目に遭わせたりはしない」
わがままから始まり、今更やめることなどしない。
二人は、密かに王宮への潜入を試みた。
王家はきっと臭いものに蓋をするので、許可など出さないだろうという判断。
レオナルドの騎士としての経験と、アリアの強力な元素のスキルを駆使し、警備の目を掻い潜る。
地下へと続く隠し通路を見つけ出した。
地下へと続く階段を下りると、 空気は重く、不気味などんよりとしたエネルギーが漂っていた。
奥に進むにつれて、そのエネルギーは強さを増していく。
暗い。
そして、二人が辿り着いたのは、広大な地下空間だった。
(これはっ)
そこで彼らが見たものは、信じられない光景だった。
(レオナルドは大丈夫かしら)
中央には、巨大な魔法陣が描かれており、その中心には黒く禍々しい物体が鎮座していた。
その物体から、脈打つように歪んだ負のエネルギーが周囲に放出され、それが王国の各地で怪異とも呼べる現象を引き起こしているのだ。
そして、その魔法陣の周囲には、数人のローブを纏った怪しい人物たちがいた。
(これが原因……どうやってここに?)
おぞましげな儀式を行っていた。
彼らの口元からは、身の毛のよだつ不気味な詠唱が聞こえてくる。
「あれは……闇の魔導士たちか!」
レオナルドは低く唸った。
「一体、何をするつもりだ?」
アリアは、その魔法陣から放出されるエネルギーを感じ取り、眉を顰めた。
「このエネルギーは……生き物の生命力を吸い取っているわ。このまま放置すれば、王国全体が破滅に向かってしまう!」
吸い尽くされれば次は人になる。
二人は、殲滅または組織する行動を開始した。
「行くぞ」
レオナルドは、闇に生きる闇の魔導士たちに奇襲アタックを仕掛け、その詠唱を阻止しようとする。
「こっちは任せろ」
「お願い」
一方、アリアは、巨大な魔法陣の破壊を試みた。
(今まで学んだことを、今やるのよ!)
闇の闇の魔導士たちは、襲撃に狼狽えながらも、抵抗を試みる。
しかし、レオナルドの磨き上げられた剣術は、彼らを容易く翻弄する。
アリアは、自身の【元素操作】のスキルを全開にした。
集中するために、体を整えた。
「させない!」
大地を隆起させ魔法陣を破壊しようとする。
(硬いっ)
しかし、その力は非常に強く、容易には壊れない。
「はははは!」
その時、闇の闇の魔導士の中からボスらしき人物が、嬉しそうに笑いながら言った。
「無駄だ!この『生命の根源』はこの世界の命を集めたもの!貴様ごときが破壊できるはずがない!」
アリアは、その言葉に焦りを覚えた。
「流石に、数が多いわ」
このままでは、王国が本当に滅んでしまう。
焦りに唇を噛む。
彼女は、自分の持つ全ての力を活用させることを決意した。
彼女の体から、眩い光が溢れ出し、周囲の元素が激しく振動する。
全力で挑む。
風が唸り、炎が燃え盛り、大地が震える。
体が揺れ、己の意識が高みへと昇る感覚。
(これは、文献にあった感覚?)
アリアの意識は極限まで高まり、エネルギーの流れを読み解こうとする。
そして、彼女は、 力の中心に、微かながらも元のエネルギーの核が存在することを感じ取った。
目が光る。
(見つけた、わ)
歪んだエネルギーに覆われているものの、その奥には、生命の源となるべき特別な力が眠っている。
アリアは、危険を顧みず、その命のエネルギーの核に、自身の元素スキルを融合させた。
(気力も体力もかなり削られる)
それは、非常に繊細な作業だった。少しでも間違えれば、 地下全体が爆発してしまう可能性があった。
レオナルドは、周囲の敵を一人残らず倒し、アリアの作業を邪魔する者を排除した。
彼の視線は、常にアリアに向けられ、その成功を祈っていた。
そして、ついに、アリアの力が、大元のエネルギーの核に触れた。
流れを組む。
「いけるわ」
瞬間、 地下全体が眩い光を放ち、歪んだ闇のエネルギーは霧散するように消え去った。
気配でわかる。
巨大な魔法陣は力を失い、床に崩れ落ちる。
闇の魔導士たちは、信じられないといった表情で、その光景を見つめていた。
「ば……馬鹿な……『生命の根源』が……!」
リーダーらしき人物は、絶望の叫びを上げた。
「はぁ、はぁ」
アリアは疲弊しながらも、エネルギーの核がその中に残っているのを感じる。
レオナルドの無事を確認してから彼女は、残された力でその核を優しく包み込み、大地へと還した。
「これで……」
すると、不思議なことが起こる。
枯れていた植物がするりと活力を取り戻し、涸れていた水源から清水が湧き出し始めたのだ。
王国の各地で苦しんでいた人々にも、その情報は届き始める。
「水が!」
「枯れていたのに!」
闇の者たちは、レオナルドによって拘束された。
「逮捕だ逮捕!」
ギリギリの戦いに勝利したのだから、負けるものが存在する。
「くそおおおおお!!」
彼らの背後には、 この国を混乱に陥れようとした、とても大きな組織の影が見え隠れしていた。
倒れそうになったが、彼が力強く支えてくれる手が今はある。
お互い笑みを見せ合った。
「やったな、アリア」
「そうね。また王家はダメダメだったけれど」
事件は解決し、王都には再び平和が戻ってきた。
人々の感謝のこもる言葉と、尊敬の眼差しを一身に浴びた。
彼女の勇気と力は、王国を救ったのだ。
王城に後日、呼ばれる。
そこでクリストファー王太子はアリアの跪き、深く謝罪した。
ありありと後悔が浮かぶ表情で。
「アリア……あの時の僕の愚かさを、今、深く後悔している。君のような素晴らしい女性を失ったことは、この国の大きな損失だった」
アリアは、彼を見下ろして言った。
感情は水のようにそよいでいる。
「過去のことは、もう水に流しました。わたしは、わたしの信じる道を進むだけです」
王家は黙って頭を下げて、誰もなにも言わなかった。
これは、非公式の面会ということになっているのだ。
アリアは、レオナルドの手を取り、王宮を後にした。
彼女にとって、王太子の謝罪など、もはや意味のないもの。
「いいのか?頭を踏みつけたって見逃されたぞ?」
「いいの。あなたと暮らす日常がなくなるよりは」
彼女の心は、常にいてくれた、かけがえのない幼馴染と共にあった。
二人は、再び地方都市へと戻り、穏やかな暮らしを取り戻す。
「今日はなにをしようか」
王国を救ったという誇りと、より一層深まった愛情が刻まれていた。
「私は刺繍をするから、布を集めましょうよ」
アリアは、そのスキルをこれからも人々のために使い続けるだろう。
「店を回って帰りは夕陽を見るか」
そして、レオナルドはいつまでも彼女のそばで、温かい光を灯し続けるのだ。
「一日の最後としては最高よ」
二人の未来は、希望に満ち溢れている。
なぜなら、彼らは困難を乗り越え、希望を、自分たちの手で掴み取ったのだ。
どんなことがあっても、二人ならなんでもできると信じている。
そして、その幸せはこれからもずっと、色褪せることなく続いていく。
婚約騒動から始まり、結びついた二人の幸せな道筋は、まだ始まったばかりなのだから。
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