九十七
堅如は参事官等へ何人かの世話人をつけて、身の回りのことを面倒見させると同時に、どのような動きをするか監視していた。
世話人という名の監視要員だが、それなりの便宜も図っていたようだ。人質との面会や、村で死亡した兵の遺体と対面させるなど、参事官等の要求を叶えさせてもいたらしい。
朝になってから交渉を再開した。
時間を置いた事で、参事官の方も体勢を立て直したようで、当初に提示した条件は撤回し、新たに幾つかの要求を突きつけてきた。堅如が代表として、譲れないもの・譲歩できるものなど、あちら側の弱みをちらつかせたり駆け引きを駆使して応じていく。およそお互いの条件などが纏まりかけた頃には、昼をだいぶ過ぎていた。
前日とは違い、私は成り行きを見ていただけだ。
村人達にとってそれ程不利な内容ではなく、まずまず妥当な線に落ち着いたのではないだろうか。むしろあれだけ劣勢な状態から村人等にかなりの譲歩を引き出した参事官の交渉力がすばらしかった。先ず先ずの内容に落ち着いたのだが、参事官は承認を渋って頷かない。
政府側としてはかなり厳しい内容だが、初っ端の失敗から見れば随分と譲歩を引き出せている。これ以上は更なる譲歩を得るための手札もないだろうに、何故渋るのか。
ここで話し合いが決裂しご破算となれば、彼としても今以上に難しい対応を迫られる事になろう。どう考えてもここらが落とし処なのにと、他人事のように眺めていた。
「そろそろ決断いただきたい」
堅如もさすがにじれた様に言った。
「ここらが落とし処だとわかっています。しかしですね。政府としてはかなり際どい内容ばかりなんですよ。中央へ報告して了解を得るのは難しいでしょう」
「それをどうにかするのが貴殿の仕事だろう」
「ええ、そうですよ。ですがね、中央のみならず身内の中でも、力で制圧しろという意見の者もおります。寒村一つに馬鹿にされて黙っていられるかとね。費用対効果だとか、損失だとか、そういったもの全てを度外視した馬鹿げた主張は多い。それらの声を押さえつけるには、人手が不足しているんですよ」
「……それで?」
「これらを飲む条件として、“彼女”を頂きたい」
参事官の目は私を捉えていた。
「彼女とは?」
「全身怪我だらけの“彼女”ですよ」
「あいつは男だぞ」
話し合いの席へ同席するために、私は男物の衣装を身につけていた。こういった場に女が同席するのは拙いからだ。
私はこんな短時間で女と見破られるような、下手な変装はしていないはずだ。それなのに、何故だ?
「確かに見事な男装です」
参事官は言った。
「この場へ出るためだと判っています。“彼女”を女と判じたのは、全身の怪我が理由ですよ」
「それなら尚更おかしいだろう。今回の件で死傷したのは男ばかりだ」
「殆ど男ばかりのようですね」
参事官は堅如の言葉を部分的に肯定した。
「問題は彼女の怪我の内容です。先日の件で大きな火が出たのは、村の中にある燃えた小屋だけ。火傷はそこで負ったものでしょう。兵達は小屋から逃げ出す女を見たといっています」
「軍にちょっかいをかけた際の松明で追った火傷だ」
「ありえません。彼女はあの時、この場にいたはずです」
「その根拠は?」
「彼女の腕の怪我です。彼女の腕には人の手によって抉られたような痕があった。村で死亡した兵の亡骸を検めた所、爪の中に抵抗した痕跡が残されている者がおりました。彼を葬ったのは彼女でしょう。つまりあの時、彼女はここにいた。兵を殺して、そして小屋に火を放った。火を放ったのは女である。故に彼女は女である」
参事官の主張は筋が通っている。
あえて言えば致命的なのは、火傷しておらず、火を放った人物と私が同一人物とする事が出来ない点だ。だが、今更火傷はないとは言えず、彼の推察を否定する材料もない。
私は堅如の代わりに口を開いた。
「確かに私は女だ。認めよう。しかし、判っているだろうが、私は役人にはなれんぞ。女だからな」
「残念ながらその点は理解しています。昨夜から何度、貴女が男ならと考えた事か。法の知識、度胸、実行力。どこをとっても非常に捨てがたい能力です。あと性別さえ合えばよき官吏となったものをと口惜しく思いますよ」
「なら、双葉を連れて行っても無駄だろう。諦めるんだな」
「いいえ。手はないわけじゃありません」
私に男の振りをさせて働かせようというのか? やってやれなくはないが、普通は無理だと思うはずだ。
「双葉さんでしたか? 彼女には私の妻になってもらい、陰から力をふるっていただく予定です」
高官の妻が、夫の配下の者へ口を利く事はままある。そして部下も己の保身だとか、人脈を開拓するためだとか、そういった理由で従う事が多い。高官が張りぼてなどではない実力者で、妻もやり手ならば尚更だ。後ろ暗い事を任せるにしても、妻という地位は便利であろう。
「お前、正気か!?」
村人の中から驚愕の声があがった。
女としての能力が全くない私を娶ろうとは、彼等にしてみれば正気の沙汰ではないといいたいのだろう。
参事官の台詞もだが、村人の言いようも失礼である。誰に言われずとも、女として致命的に駄目だという事は、私が一番知っているのだ。
「もちろんです。火傷跡があろうと、どの様なご面相であろうと、私は気にしませんよ」
「随分な言い様だ。つまり、双葉を人質兼便利使いするために連れて行くと、そういっているのか」
「ありていに言えばそうです」
堅如の言葉に参事官は頷いた。
「断る。他を当たれ」
私がそう口にすると、参事官がこちらへ再び目を向けてきた。
「村がどうなっても構わないと?」
「残念だが、私は元々この村の者ではない。恩があり幾ばくかの力は貸したが、村のために人生を捧げてやる気はない」
「貴女にも良い話と思いますが。その怪我では嫁の貰い手もいないでしょうに」
「それは私が考える事で、他人に口出しされる謂れはない」
「これは困りましたね。貴女がウンと言わなければ、私としても承認できないのですが」
このしつこさに私はため息をついた。
これはなかなか折れそうにない。
「ならば、賭けをしよう。私が賭けに勝てばそちらは諦めて承認をする。貴殿が賭けに勝てば望みどおり嫁に行こうじゃないか」
「……どの様な賭けで?」
「簡単な話だ。私と貴殿で試合をし、勝敗をつける」
「お断りします。見ての通り私は、剣は素人です。対する貴女は、兵の包囲網を一人で突破する実力者。勝負になりません」
「普通ならそうだろう。だが、今の私は怪我人で動けない。まともに歩く事もできないのだから、十分勝機はあると思うが」
「分の悪い賭けには違いないでしょう」
「己の妻を得るのに、その程度の危険を冒す度量もないのか?」
「どうあっても賭けを受けさせたいようだ。ますます受けたくなくなったな」
「つれないな。仕方がない。こちらの不利な条件として、私は武器なしとしてやろう。なんなら私が椅子に座った状態で、そちらがどこから討ちかかって来てもよいとしようか」
「正気ですか」
眉をひそめながら不審げに参事官は訊ねてきた。
私は堂々と頷いた。
「当然だ」
「……わかりました。お受けします」