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偽りの王  作者: ゆなり
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九十一

 池の水を手で掬い顔にかける。

 冷たい水に汚れが洗い流されていった。

 今まで着ていた寝巻きを水で濯ぎ、それを使って身体をこすり上げていく。借り物の衣装を使う罪悪感はあれど、血が染み付いてしまっている上に、かぎ裂きだらけで二度と使用には耐えられそうにないものだし、他に身体を拭くものがなかったので仕方がない。池から出た後は、二若(ふたわか)の上衣を奪って身にまとうか、二若にどこかから調達してきてもらおうと、人任せな事を考えている。

 ここ暫くは濡らした布で拭くだけであったから、水に身体を浸すのは久しぶりだ。

 血と泥で汚れた身体が清められていく清々しさに吐息が漏れた。

 気分が落ち着いて辺りを見渡すと、自分の周りだけ水が濁っている。

 よほど汚れていたのだなと、他人事のように考えていた。

 水が切れない場所へ、手足の怪我に触れないよう慎重に移動した。

 腰まで水に浸かって、背後にある岩へ凭れ掛かる。

 身体が疲れきり、動く事がとにかく億劫でボウッと景色を眺めていた。

 空は晴れ渡り、風がこずえを揺らしている。鳥の鳴き声とサワサワとした風のそよぎしか聞こえてこない。

 昨夜の騒動が嘘のような穏やかさだ。

 二若が近くにいるが声はかけてこず、私と同じ様に黙りこくっている。

 暫くして手足の怪我を確認することにした。

 怪我をしているのは判りきっている。その怪我の程度を調べるのだ。

 今でも無視できない程度には痛みを訴えていて、水に入った当初はまさに激痛であった。その痛みが治まるまで身動きが出来なかったほどだ。

 そこまでして水に入ったのは、身体の汚れを落としたいという理由と、怪我の中に入り込んだ小さな塵を取り除かねばならないという理由がある。

 特に後者は、あそこで水に入らず布で身体を拭くだけに留めても、どうせ傷口を水で洗う事には変わりなく、そのときにまた同じ痛みを味わう事になるのだ。ならば水に入って痛い思いをしようと、入らずに後で痛い思いをしようと、どちらも痛いことに変わりがない。後で痛いか今痛いかの違いでしかないのなら、水に入ってサッパリする方がマシである。

 手足の怪我はこうして眺めると酷いものだ。

 兵から奪った剣を握っていた右手は、痣があるくらいで比較的綺麗であったが、手首より上は引っかき傷だのなんだのが何箇所もある。

 左手は綺麗な右手とは対照的に、爪の中にまで土が入り込み、指先には木の棘が刺さっていたり、転んだ際の擦り傷など小さな傷だらけである。手首より上は服で隠れるが、手だけはそうも行かない。この怪我が治るまで当分の間は、姫君の役目は休業せねばならないだろう。となれば、裏で動き密偵の真似事でもするか。それとも国の中をお忍びで見て回るのもいいかもしれない。報告書からでは判らない問題点が見つかる可能性がある。手に傷をつけたのは思うところがあったが、それ程気にもしていなかった。

 左の手首から上は右手と大差ない状況だが、右腕と違って数箇所抉られたような傷跡がある。これは一番最初に殺した兵がつけたものだ。

 死に物狂いの力がどれほど大きなものか、まざまざと見せ付けられた。抉られたような痕の周りにある怪我とは違い、これは後々まで痕になって残るかもしれない。私の身体にはいたるところに傷跡が残っている。今更消えない傷跡が一つ二つ増えたところで、服で隠れる部分ならば何も問題はない。

 傷口を改めながら念入りに洗い、そんな事を考えていた。

 手の怪我が終わり、足へと映った。

 足は手の怪我よりもかなり深い。

 逃走を開始した当初こそ、草履を履いてはいたのだが、途中で脱げてしまって素足で走り回っていた。

 石や木の枝が何度も刺さり、足の裏など怪我がない部分を探す方が難しい。何度も転び、地を這い回ったせいで膝や脛も傷だらけだ。

 暗さに足元にあった枝などに気付かず、通り抜ける際に皮膚を切ってしまったものも多い。

 逃げている間は必死で、痛いとは思ってもこれほどの怪我を負っているとは思っていなかったし、気にする余裕もなかった。本当によくぞ逃げ切ったものだ。

 追っ手が平均的な地方兵の実力であった事が幸いした。

 もしあの中に一人でも将兵並みの者がいたら逃げ切る事はできず、殺されるか、捕まるかしていただろう。

 それでも体力的にきつくて、何度も駄目かと思ったし、実際に村人達が来てくれるのがもう少し遅かったら力尽きていた事だろう。

 空が明るくなり始め、逃げるのが難しくなってきていた。

 周りが明るくなってきたために隠れてもすぐ見つかってしまうためだ。

 何人かの兵に囲まれ、もうどうにもならないかというその時、村人達が現れた。

 大部分は足を止めずに村へ向かったが、何人かが兵への攻撃に加わってくれて、私は事なきを得たのだ。

 助けに入った村人達へ、村で何があったのか、他の女子供はどうしたのか、今後を見越してして置くべきことなどを手短に話し、そこで多分気を失った。

 次に気付いたら耳元で二若がわめいていて、思わず殴りつけていた。

 気付いたというのは語弊があるだろう。二若のあれは休息の妨害だ。疲弊しきった身体はまだまだ休息を欲していたが、二若によって強制的に中断されたのだ。

 心配をかけた二若には悪いとは思うが、一晩中無茶をし続けたのだから、少しくらいゆっくりさせてもらいたいものである。

 逃げていたのは実質的に、夜半過ぎから夜明け前までだ。

 瞬発力はないが、持久力にだけは自信があったのだが、今の体力では、日の出まで乱戦に耐えられなかった。随分と体力が落ちているようだ。情けない話だ。

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