八十九
二若達森に残った面々は、多方面から散発的な攻撃を繰り返し、野営を続ける軍を撹乱させ続けていた。
彼等は元々人数的に圧倒的な不利で、当初から撹乱戦を仕掛けていた。相手の消耗を誘い、村に到達する前に撤退させるのが、本来の狙いである。
軍側は地理的な情報が少なく、夜間は罠などを警戒して動かないと言うのを見越しての行動だ。実際に、そのための罠などは進軍方向に多数用意されている。
小さな村を制圧するために大きな予算は割けるはずもなく、行軍のための資金は限られている。損害が大きくなりすぎれば、もしくは食料等補給が心もとなくなれば、村を制圧する前に引き上げていくだろうと目論んでいた。
そのために村人達は交代で休憩を取りながら、チクチクと嫌がらせのような攻撃を繰り返していたのだが、村へ救助に向かって人数が減ってしまったので、散発的な攻撃でも手が足りなくなっていた。
しかし軍をその場に留めておくため、全員が休憩時間などは返上して、人数が減っていないように見せかけていた。
山間部に突然現れた火の手に動揺しながらも、兵達は二若達の相手をしていた。
そして本来ならば日が昇ってから行軍なり撤退するはずが、指揮官はどういった判断を下したのか、空が白み始めるよりも前に軍を動かし始めた。
進軍かと身構えた二若達であったが、軍はゆるゆると撤退していく。
村へ今すぐにでも駆けつけたいという焦燥感を抱きながらも、森に踏みとどまり軍をひきつけていた村人達は、大きな安堵を抱きながらその撤退を見守っていた。
彼等は軍が完全に撤退したのを見届けたら、すぐにでも村に駆けつけようと、ジリジリとした想いでその緩やかな動きを観察していた。
その彼等から見れば、酷くじれったくなるほどの時間をかけて、撤退していく。
完全に彼等の領域からはずれ、戻ってくる様子はないと確信できるまでその動きを監視し、ようやく村へと足を向けた。
二若だけは村人達と離れ、避難所の方へ真っ直ぐ向かう。
月明かり以外の光源がない中、障害物の多いくらい森を駆けていく。
方角すら見失いかねないのをものともせず、彼はただ一心に駆けた。
空が白み始めた頃、ようやく避難所へたどり着いた。
避難所は自然の洞窟を利用したもので、奥行きはそれ程深くない。
その避難所の入り口には軍の装備を身につけた兵が立ち、その兵の前に老人や身重の者が並び座らされている。
洞窟の少し手間、木の陰から二若はそれを見ていた。
荒い息を整え、疲弊した身体を僅かなりとも休める。
彼が見たところ、村から避難して来た者は、まだ到着していなかった。
夜闇で思うように進めなかったからだろうと判断し、日の出が近く明るくなってきた今、避難者はそれ程時を立たずにやってくるはずだ。
ここは安全のはずだと、無警戒に近づいて兵から攻撃される可能性がある。
フッフッと短く息継ぎをして呼吸が大方整ってきた二若は、腰の獲物を引き抜き、全身に気合を漲らせて隠れていた木立から出て、兵に踊りかかった。
洞窟前に佇む兵の数は五。
一番手近な相手に切りかかった。
不意を突かれたその兵は、殆ど何の反応も出来ずにあっさりと切り倒された。
止めを刺したか確認せずに、次の獲物へと標的を移す。
残りの四人は一人が切り倒された事を警戒しつつも、真っ直ぐ二若へと向かってきていた。
最接近していた相手を目指して駆ける。
最初の相手と違い、その兵は二若の最初の一撃をようよう受け止めた。
しかし力量の差はあきらかで、腰は完全に引けてしまっている。
他の三名が迫ってきている中、二若は慌てることなく相手をしていた。二・三度切り結び、手元にばかり集中して疎かになった足元をけりつけて、体勢が崩れたところを一気に切り伏せる。
その返す刀で、背後から振り下ろされた剣を受けて弾いた。
横手から別の兵が切りつけてくるが、これは身を引くことでかわした。
同時に二人の相手をしながらも、二若にはまだ余裕があった。
その時、ワッと高い声が幾つも上がり、バタバタと足音を上げて近づいてきた。
二若は油断なく二人の兵を相手にしながら、声のした方を見た。
そこには手に手に武器を持った女達が、それを振り上げて駆けて来る所であった。
彼女達は全員が一丸となって、最後の兵目掛けて真っ直ぐ向かう。
女達の剣幕に、その兵は足を止めてたじろいだ様子を見せた。すぐさま迎撃する態勢になるも、多勢に無勢で、女達からやたらめったら殴られ、反撃らしい反撃も出来ないままに、次第に動かなくなっていった。
兵も必死ならば、女達も必死であった。
過剰なまでの攻撃は、女達の不安の表れでもある。完全に動かなくなっても執拗に殴り続けていた。
二若とてそれをただ見ていたわけではない。
女達がその兵を相手取っている間に、彼は彼で二人の兵を切り倒していた。
どうにか始末を付けたところ、香麗が彼の元へ走りよってきた。
「イチ! 怪我はない!?」
「大丈夫。双葉は?」
周りを見回して、二若は尋ねた。
香麗がいるのならば、一姫も当然一緒にいるものと考えていたが、その姿は見当たらなかった。
二若へ加勢した女達の中に、一姫は居ない。
兵を殴り倒した女達は老人や妊婦達と互いの無事を喜び合っていたが、二若の言葉に口を噤んだ。
喜びから一転して陰鬱な空気となった。
「イチがここにいるって事は、堅如達は村へ向かったんだよね」
香麗は二若の問いには答えず、訊ね返していた。
「ああ。村に火の手が上がったからな。……双葉は一緒じゃないのか?」
戦闘が一段落つくのを待っていたのか、続々と森から子供を連れた女達が姿を現し始めている。それを見やるが、どこにも一姫の姿はない。
香麗は言いにくそうに口を開いた。
「双葉さんは、あたし達を森に逃がして、自分は村に残ったの」
二若は香麗の言葉に驚愕を浮かべた。
「なん、村に残った者を、助けにか!?」
「ううん。村にいた人間は、全員で避難した。ここにいるのが全部よ。ただ、まだやる事があるって言って、止めたんだけど……」
香麗の言葉に、二若は大きく舌打ちをした。
即座に身を翻して駆け出す。
「イチ! どこへ行くの!?」
その呼びかけに応えず、二若は村を目指し駆けた。