八十六
森の中に身を潜め、村の様子を窺う。
密やかに森の中を通り、兵達に見つからないよう、仕掛けを施した古道具が収納されている小屋を目指していた。そのついでに、村の中の様子をこうして窺っているのだ。
私が考えている策とはとても単純だ。
村に人がいないと判れば、かなりの人数を裂いて山狩りが始まる。多分無いだろうが引き上げていく事も考えられる。
手薄になったその隙に村に忍び込み、古道具を収納している小屋に火を放ち、今回の作戦が罠なのだと二若達に知らせる。大きな火の手が上がれば何かあったと判断するだろう。他の者はどうだか判らないが、二若ならば確実に異変を感じ取るはずだ。
山狩りに出ていた兵達は、火の手が上がった事で慌てて戻ってくる。指揮官が呼び戻すはずである。
森の中に入っていった女達も、これで少しは安全となるだろう。あえて遠回りするよう仕向けておいたし、避難場所にたどり着くのは相応の時間がかかるはずだ。
あえて口にはしなかったが、避難場所さえも役人の手が回っていないとは限らない。だからこそあえて遠回りするように仕向けた。私の忠告を無視して急いで向かわないとも限らないが、そこまで関知する事は出来ない。この策も時間稼ぎにしかならないし、先に避難していた者達を見捨てる事になる。しかし時間稼ぎが出来れば、村を離れていた男共が駆けつけてきて、女達だけでも無事に保護する事が出来るかもしれない。そう考えたためだ。
逆にこうして火の手をあげることで、この村の中で兵と駆けつけてきた男共がかち合い、大きな戦闘になる可能性も高い。それどころか囮の軍が追撃してきて、挟み撃ちにされ甚大な被害をもたらすかもしれない。殲滅戦や戦ではないのだから、地の利の無さや夜間の行軍なども考え合わせると、追撃される事は考えにくいのだが、可能性だけならば幾らでも考えられる。罠だと知らせないほうが、被害を拡大させないのかもしれない。私の考え違いで、更に酷い被害をもたらす危険性すらあると、正しく認識していた。だが他により良い方法が無かった。少なくとも、私の現状ではこれ以上の策は取りようがない。
村の中では、既に銅鑼の音は止み、物々しい出で立ちの兵が慌しく行きかっている。
武器を腰に下げているが、それに手をかけている様子は無い。
だらけた雰囲気は無く、まずまずの錬度をうかがわせるが、どこと無く右往左往している様子もある。これは指揮者の問題だろう。
明確かつ意味のある指示が生されていない場合に見せる動きに似ていた。
村の中に誰一人おらず、それに既に気付いている頃合だ。順当に考えれば逃げたと判断し、森に分け入って山狩りを行うか、引き上げるかする頃合だ。それとも村人を確保できずとも、村だけでも占拠して人質ならぬ物質にでもする気だろうか? その場合は長期戦を覚悟しなければならないし、物資に不安のあるこちら側が圧倒的に不利だ。
面倒な事になったなと観察していたのだが、村を占拠しようといった行動は全く見られない、ただ村人を探し続けているように私の目には映った。
村人がいないことに気が付いていないのか、気が付いていても信じたくないと考えているのか。
事前の入念な準備などに比すると、非常にチグハグな印象だ。
策を用意した人物と、村への襲撃を指揮する人物は、違うのかもしれない。だから村人がいない場合の対処がわからず、行動に移せないのではないか。
となると、策を用意した人物は、二若達を引き付けている囮の方を指揮しているのだろう。
もし私がその人物の立場にいれば、全体を指揮する立場ならば、村への襲撃を指揮する。なぜならこちらの方が重要度が高いからだ。
彼等が本当にやりたい事は、この隠れ里を行政内に組み込む事で、村人を処刑する事ではない。たとえ村と言う入れ物があっても、税を納めてくれる人手がなければ意味は無いのだ。
隠れ里は確かに目障りだろう。しかしただ潰すだけでは、無駄な労力としかならない。可能な限り穏便に、そして出来るだけ無傷で手に入れたいものである。
ならばどうするか。襲撃すると見せかけて村から戦力を引き離し、その隙に非戦闘員たる女子供を確保する。それを人質に交渉して、隠れ里を通常の村と同様に政治の中へ組み込むのだ。税をとるために役人を遣わし、他の村と同様に管理できるようになれば目的は達する。
だが、ここには大きな矛盾が発生する。
この村を取り込むのだとしても、戦まがいな真似を仕掛ける必要性は全く無い。
人的被害や村の共有財産など物的被害も出る上に、兵にも少なからず損害が出てしまう。どう考えても悪手としか言いようが無い。
事前準備その他のよく練られた策と、その取りうる手段があまりにも乖離しているのだ。
なぜそのような事になるのか。
幾つか仮定は立てられるが、どこまで行っても仮定の域を出ない。なぜこのような状況に至ったのかその過程も知らない上に、この地方の上層部について、詳細な内実など知りようも無いからだ。
この地方を牛耳っている都督の人柄ならばある程度は把握している。あれは己の欲望に忠実で、内面は非常に単純な馬鹿だ。少なくともその評価を覆すだけの実績は全く無い。あの馬鹿にこれだけの策を主導できるはずが無く、別の誰かの入れ知恵である事は間違いがない。
だがその“誰か”の思惑など、ここの内実を知らない私に判るはずがないのだ。
国境を接しているとはいえ、国を離れている事の多い私には都督以外の、上層部にまで気を回す余裕はなかった。国許で実務を取り仕切っている三姫ならば、私とは違いかなり詳しく把握しているだろうが、必要が無ければそれを報告してくる事もない。
手がかりとなる情報が少なすぎるのが心から悔やまれた。
兵達の動きだけでは、その目的意識が見えない。私は苛々しはじめていた。
余計な苛立ちは判断を誤らせる一因だ。落ち着かねばと自らに言い聞かせた。
指揮官は何をしているのだ。もっとまともな指示を出さないか。しかも――少ないながら松明をつけている者すらいる。叱責して消させるなど対処すべきだろう。秘密裏な行動だという自覚は無いのか。村を離れている男共に見咎められて、不審に思われたらとそういう発想は湧かないのか。松明など小さな灯りだから、多少の不審は覚えても、持ち場を離れて確認に来るとは考えにくいが、それにしたって無用心だ。これを指揮している者は、よっぽどの大馬鹿だ。……大馬鹿?
もしや、都督自らこの襲撃を指揮している、というのか?
配下の切れ者がこの策をお膳立てをし、都督が稚拙な命令で台無しにしている。こう考えればつじつまは合っている。
「まだ見つからないのか!」
微かに怒鳴り声が響いてきた。
松明の明かりが垣間見える辺りから響いてきている。
建物の影で姿は見えないが、私の予測を裏付けるように、聞き覚えのある声であった。
「上手く隠れているだけだ。しっかり探せ!!」
予測が大当たりであったようだ。
山狩りを開始しそうに無い。
参ったなと、私は天を仰いだ。




