八十三
遠くの方から銅鑼の音が響いてくる。
村への襲撃が始まったのだ。
堂は村外れにあるためか、喧騒は響いてくるがあたりは静かなものだ。
堂はしっかりと戸締りがなされ、内側からつっかえ棒などをかませて、簡単には開かないようにしてある。中に踏み入ろうと思えば力づくで破るしかなく、少々骨が折れる事だろう。
戸の造り自体は頑丈なものはないため、力が強い者ならば破る事はそれ程難しくない。戸締りは殆ど気休めのようなものだが、私にとっては十分すぎる備えであった。
要は時間稼ぎが出来ればよいのだ。
堂内には緊迫した空気が満ちているが、中にいる女達は落ち着いた様子であった。不安げな様子の子供達を宥めて、物音一つ、衣擦れ一つさせないように息を潜めている。
お陰で堂の外の気配がよく判った。
堂の程近くから、サクサクとした足音が向かってきていた。
村内の方に人員を集中させてはいても、堂へも人員を配置していたのだ。
警戒心の篭った足音ではなく、無造作な歩みで堂へと近づいてくる。足音の主は誰も居ないだろうと思うからこそ、無警戒に近づいてくるのだろう。
堂の中に誰も居ない事を確認したら、彼等も村へ向かう手はずとなっているのではないだろうか。
向かってくるのは何人居る?
一人、いや、二人、か? 三人分の足音は聞こえない。
茂みに隠れて様子を伺っているものが居ないとも限らないが、そこまで慎重になるだろうか? そこまで万全を期するだけの人員に余裕があるだろうか?
堂にそれだけの人員を配置すれば、他の村外れの建物全てにも同じだけの労力を払っているはずだ。囮として軍を動かしているから、村へ割ける人員にも限りがある。
それらを考え合わせれば、この堂に配置できる人員は、一人、多くても二人といったところだろう。
『お前は裏に回れ。何か見つけたら声を上げろよ』
『うっす。伍長はどこいくんすか』
『表側に回る。二人で同じ場所を探しても意味が無いだろ』
『りょ~かい』
緊張感のない声が聞こえてきた。
足音が別々の方向に向かった。
都合のいい事に、二手に別れてくれるようだ。
二人をいっぺんに相手取るのは苦しかったから、私にとっては好機である。
別れてくれなければ、密やかに近づいて背後から襲い掛かるといった手段を取らなければならなかった。その場合、最初の一撃で片方をほぼ無力化出来れば良いが、そうでなければ非常に苦しい展開となっただろう。
別れてくれたお陰で各個撃破すればよい。不意打ちを仕掛ければ、私の腕がへぼくても何とかなろう。
足音を忍ばせて、堂の裏口へ向かった。
内部を突っ切っていくために、足音の主よりも早く辿り着いた。
音を立てないようにつっかえ棒を外し、僅かに隙間をあけて見せる。
罠と知らずにうかうかと一人で踏み入ってこれば、隙を突いて命を刈り取る事は難しくない。
そこは物置のような場所になっており、私以外誰も居なかった。もう一人を呼び寄せられて、強引に踏み入られても避難してきた村人達は見つからない。
髪を縛っていた紐を解き、いつでも来いと扉の前で身構えた。
ザクザクと足音が近づいてくる。
まだ、扉が開いている事には気づいていないようだ。ガタガタと近くの窓などを揺すっている。
緊迫しながら待ち構えていたら、トントンと肩を叩かれた。
弾かれたように振り返れば、そこに見覚えのない女が立っていた。
いつの間に側によってきたのかと目を見張るが、彼女は手にしていた大降りの包丁を私に差し出してくる。
使って。
彼女の唇は確かにそう動いた。
悩んでいる暇などなかった。
足音は扉に気付いたのか、真っ直ぐ向かってきていたのだ。
紐よりも刃物の方が心強い事には変わりない。手にしていた紐を服の合わせに押し込むと、包丁を受けとった。
戸の陰に潜みその時を待つ。
ガラガラと音を立てて無造作に開かれた。
無用心な事に男は躊躇なく踏み入ってくる。
私は戸の影から飛び出し、男に飛び掛った。
背後から羽交い絞めにするようにして、男の首に包丁を持っていない方の腕を回し、締め上げる。
大柄な男ではなかったからできた事だ。
「ぐっ、ごっちょ……」
声など上げさせるはずがない。
全力で締め上げていたため、男の言葉はかすれて殆ど音にはならなかった。
暴れる男を抑えて、鎧の隙間から急所へと包丁を差し込む。
肉を絶ついやな感触が伝わった。
男はビクンと大きく身を震わせた。
更に深く刃を押し込む。
男は私の腕に爪を立てて抵抗するが、大きく数回痙攣すると同時に、その抵抗も力を失っていった。
ダラリと力なく凭れ掛かってくる。
尻餅をつきそうになったがどうにかそれを堪えた。
音を立てないよう慎重に男の体を横たえる。
完全に死に絶えているように見えるが、念には念を入れて頚骨をへし折った。死んだ振りをされて、もう一人を相手にしている時に追撃されては堪らないからだ。
ハアハアと荒い息をつき、包丁を抜こうと力を込めるが、上手く抜けてこない。
体勢が変わってどこかに引っかかったのか、血で滑ってどうしても抜けなかったのだ。
仕方がないと諦め、堂の内部に戻った。
ガンガンと激しく殴打され、今にも戸を破られてしまいそうだったのだ。