八十二
私は香麗に向き直り、口を開いた。
「村に残っている人間を全てこの堂に集めて欲しい」
「……どうして?」
「念の為だ。政府側の動きは明らかにおかしい。今回の事は、罠である可能性が高い」
「罠?」
「そうだ」
香麗に対して、婉曲表現を使うと言った事はしない。
言葉の裏の裏を探り合うような人物ではなく、真っ直ぐな言葉でなければ通じないだろう。
頭の良し悪しとは関係なく、そういった真っ直ぐな人物と言うものは少なからずいる。
玉祥の様に、人には裏の顔があると知っていても、それでも裏を探る事が出来ないという人だ。
おそらく香麗もそういう人物だろう。
まだ言葉を交わしたのは数えるほどだが、それぐらいは判る。
今回の場合だと、下手に婉曲表現をして、勘違いをさせてしまう方が危険だ。
彼女が動揺しないように、言葉を選びつつ話していく。
真剣な表情で香麗はそれに耳を傾けていた。
「……という訳で、これは明らかにおかしい。私の考えすぎならば良いが、万一当たっていた場合に対処できるようにしておきたい」
「それなら直ぐにでも逃げないと!」
「今は駄目だ」
「でも、」
「もし考えている事が正しいなら、この村の近くに人が忍んでいる可能性がある。人数は限られているだろうが、もしそれに見つかったら終わりだ。それよりも『逃げる』場所があるのか?」
「ええ。一応、万一見つかった場合に備えて、直ぐに動かせない病人や怪我人や身重の者は、そっちに移動しているわ」
香麗の言葉に頷いた。
となると、かなり賭けになる。
直ぐに動けない者達を移動させるのを見られていれば、既に手が回っているかもしれない。
やはり今すぐ移動させるのは拙いか。
「先程も言った通り、村の者をこの堂に集めて欲しい」
「……」
「村を見張っていても、直ぐ近くにはいない。遠目に村の様子を観察できるといった距離だろう。明るければ村内における人の行き来も観察できるだろうが、これだけ薄暗いと殆ど見えまい」
「じゃあ日が完全に落ちた後の方が……」
「日が落ちきって暗くなれば、遠巻きに様子を窺っていたものが、夜闇に紛れて村の直ぐ側までやって来る。どれ程密やかに行動していても、間違いなく見つかる。だから、まだ日が暮れきっていない今が絶好の機会だ」
「判ったわ」
「密やかに、かつ迅速に行動するよう伝えてくれ。上手く説明できなければ、私が皆に話す」
香麗はしっかりと頷いた。
「では行こうか」
「双葉さんも村に行くの?」
私が村へ行くのなら、自分は必要ないのではという声が聞こえそうだ。
「私は別件だ」
私がそう答えると、彼女は訝しげに眉根を寄せた。
「私のようなよそ者が突然訪ねて来て、堂に避難しろと言っても、誰も聞かないだろう?」
「ああ、確かに」
「そういう事だ」
連れ立って堂を出て、民家のある方へと向かった。
隠れ里というものを目にしたのは初めての事で、少々興味深かったが、辺りを観察する余裕はないと頭を切り替えた。
万一この村の中で戦いとなったら、少しでも有利に事を運べるよう、どこに何があるのか出来る限り記憶していく。
集落に入った辺りで香麗とは別れ、私はひとりで行動していた。
人気のない民家を見繕い、簡単な仕掛けを設置していく。
壊しても問題の無さそうな、あまり損害の出そうにない建物はどれだろうかと、仕掛けを設置しつつ探して回った。
集落を挟んで堂とは反対側にある、田畑近くに、古道具を入れていると思しき小屋を発見した。
小屋の中には収穫物なども置かれておらず、道具類も埃を被ったものばかりだった。
これなら丁度良いと、仕掛けを作る際に民家から少しずつ失敬してきた油を使って、大きな罠を仕掛けた。
これは使う事がなければよいが、万一の場合に対する備えだ。
不備はないだろうかと、民家に設置した仕掛けを確認しつつ堂へ向かった。
その途中、自分以外の足音が聞こえ、そちらに目を向けた。
私を目指して、香麗が小走りに駆けてくるところだった。
「双葉さん、探したのよ」
「避難は終わったのか?」
香麗も私も小声で言葉を交わした。
「もちろん。後は双葉さんだけ」
「そうか。早かったな」
私は避難が完了するのに、もう少し掛かると考えていたから純粋に驚いた。
「この村の人は、皆なんやかんやのの事情を抱えているからね。避難とかそういうのは慣れてるんだ」
胸を張って香麗はそう言った。
「……不憫なものだ」
「どうして」
「『非常事態』に慣れざるを得ないと言うのが不憫に思うのだ。安穏とした、『非常事態』とは無縁の暮らしをしていれば、慣れようがないからな」
私がそう答えると、香麗はしばし沈黙した。
無言で堂へ向かって連れ立って歩く。
「そういえば、双葉さんは何をしていたの」
「私か? 私は、ほら、あれを作っていたのだ」
仕掛けを施した民家を指した。
「あれって?」
「判らないか?」
香麗は首を傾げるばかりだ。
かなり暗くなっているとはいえ、まだ日は沈みきっておらず、薄っすら明るいために判り難いのかもしれない。
「僅かに明かりが漏れているだろう?」
「ええ。消さないと……」
「あれでいいのだ。近づかなければ気付けないほどの、僅かな明かりだから危険は無い。むしろ僅かに光が漏れているために、そこに人がいると思わせる事が出来るだろう? 堂に全員移動してしまったから、集落内は無人だと思わせては危険だからな。奴等の目を集落内に引き付けておくためにも、あれは絶対に必要だ」
香麗は曖昧に頷いた。
納得してもらえずとも、強固に反対されなければ、問題はない。
堂に戻ると、想像していた以上の人数が集合していた。
しかしながら非常時と知っているのか、人数が集まっているのに僅かな衣擦れが聞こえるくらいで、堂の中は静まり返っていた。とても頼もしい態度だ。
動揺がひどければ、それに応じた作戦となる。途中で錯乱されては、上手く行くものも上手くいかなくなる可能性があるからだ。錯乱する人間がいるかもしれないと言うのを念頭に置いた作戦と、おそらくそういった事にはならないだろうという作戦では、難易度も成功率も全く違ってくる。
取れる作戦だけではなく、どういった行動を取ってもらいたいのか、そういった事すら話せないこともあるくらいだ。
これならば大丈夫だろうと、私は今夜の作戦について、彼女達に話した。
そして夜半過ぎになり、私の予想通り、村への襲撃が始まった。