八十
香麗を連れて二若は出て行った。
そこでどういった話し合いがもたれたのか、私には知る由もないが、以降は二若の代わりに香麗が私の元に出入りする事が多くなった。
食事を運んできたり、着替えを持ってきたり、体を拭くための湯を運んだりとまめまめしく動いてくれている。顔を出す度に村での話題を零してく。だれそれが恋仲となっている相手と派手な喧嘩をした、だれそれが収穫した作物を売りに行こうとして馬車に乗せたが、荷の重さに車軸が折れてしまったといった、たわいのない話だ。
香麗が出入りするようになって、二若はあまり顔を見せなくなった。
香麗が姿を見せる前にもどことなく忙しそうにしていたし、村で受け入れてもらう代わりに、何らかの代償を払っているのではないだろうか。
二若にこの借りはいずれ返さねばなるまい。
しかし、普通ならばこういった場合の礼といえば金銭か、地位というのが順当なところだ。
奴が私から金を受け取って喜ぶとは到底思えない。地位など論外であろう。
となれば、他に返せるものはなんだろうか。何らかの便宜を図ってやるとしても、奴の行動範囲も知らぬではそれも難しい。
二若はあと数日で村を出ると明言している。借りの返し方などは国についてから考えるとして、村を出るまでの間に少しでも体力を取り戻すために大人しくしておかねばなるまい。
「ねえ、双葉さん」
香麗が奇妙な顔で声をかけてきた。
「……なんだ」
「大人しく、安静にしていた方がいいんじゃない?」
「何を言う。奴に言われた通り、大人しく、堂に、篭っておるではないか」
息継ぎの合間合間にそう答えた。
「普通は、大人しくしていろと言われれば、剣を振り回したりしないものよ」
「自身を、縛る普通など、知る必要は、ない」
適度なところで動きを止め、香麗に向き直った。
「体調を崩さぬよう、加減はしておる。案ずる事はない」
「もう。イチに言うわよ」
「構わぬ。好きにせよ」
香麗はため息をついた。
「それより、何用だ? 食事時にはまだ間があるはずだ」
「少し話がしたくて」
言い難そうに香麗は口ごもった。
私は無言で続きを促した。
「この間、イチの子が欲しいといったでしょう?」
私は頷いた。
「あの後に、イチと話し合ったの。イチはただダメだの一点張りで、ちっともあたしの話を聞いてくれない。イチに責任を押し付ける気はないって言っているのだけど、それでも首を縦に振ってくれないのよ。双葉さんはその理由を知っている? 何であたしはダメなの?」
「私は奴の言葉が正しいと考えている」
「どうして?」
「そなたでは、奴の子は育てられぬからだ」
「そんなことはない! 村では一人で子を産んで育てている女は何人もいるもの」
苦笑してしまった。
そういう事が言いたいのではないのだ。
「我々の一族の子は、一族にしか到底育てられぬのだ」
「……あたしに身分がないのが問題って事?」
「違う」
「嘘! 双葉さんがすっごく高い身分の人だって事ぐらいわかる。平民の血が混じったら困るとか思ってるんでしょ!?」
「身分の問題がないとはいわぬ。しかし、それ一点で反対などせぬ」
私は断言した。
「問題は奴の子なのだ。そなたに一族の子を理解することは出来ぬ。子を正しく導く事はできぬ。必ずもてあまし不幸な運命をたどろう。それを看過する事は出来ぬのだ」
「そんなことはないわ!」
香麗はそう反論してきた。
確かに香麗ならば母として、子を受け入れる事ができるかもしれない。
だが、周りは?
香麗が子を庇えば庇うほど母子は周囲から孤立し、そこにいられなくなるだろう。
なぜなら二若の子は、異端の子であるからだ。
異端の存在がどれほど忌み嫌われるか、私とて知っている。
体に障害を持って生まれてきた子供、通常より知能が低い子供、見えないものを見るという子供。そういった異端と見做される子供達が、集落の中でどの様な扱いを受けるか、私は何度もそれを目の当たりにしてきた。
彼等は人の輪の中から弾かれ、蔑まれていた。食事を満足に与えられず、世話も焼いてもらえず、乞食の様ななりをしている子も少なくなかった。
二若の子は、それらの子供達以上の異端の存在だ。
守るものなければどうなるかなど、火を見るより明らかだ。私達とて、父という存在と、国家という庇護がなければどの様な運命を辿っていたかわからない。
つまりはそういう事だ。国家の庇護下にないのであれば、二若の庇護下になければ、とても育てられない。
二若の子は隠していた思いを暴き、己では見えぬものをそこにあるかのように話し、そしてここにはない遠い出来事を見てきたように語るだろう。殆ど化け物のような力だ。何も知らない者は、その子を恐れ迫害するだろう。
そんな子でも香麗は我が子として受け入れ大切にする事ができる可能性はある。しかしそうではない可能性も同程度以上にある。周囲は確実に受け入れないはずだ。もしかしたらその力の有用性に気付き、子を道具のように扱うかもしれない。
そしていつか私や三姫との繋がりに気づくものが出てくるかもしれない。王家の最大の秘め事が白日の下に晒されるかもしれないのだ。
「もし、奴がそなたと共に生きていくというのならば、何も言うことはない。だがそなた一人で奴の子を育てるというのであれば、決して認める事はできない。万一そういった事態となれば、そなたから子を引き取り私が育てる」
「そんな! 横暴だわ」
「何と言われようと、それは変えられない」
「二葉さんちょっとおかしいんじゃないの!?」
私とて、己の主張が世間的に非常識であろう事は重々認識している。それでもこれは譲ることの出来ないものなのだ。
「罵るなら幾らでも罵るがよい。それで気が済むのであれば、幾らでも甘んじよう。だが、私はこの意思を変えるつもりはない」
断言すると、今まで出一番強い眼差しが返ってきた。
「……話にならないわ。そこまで言うのなら、理由があるんでしょうね」
「ある。しかし語る事はできぬ。どうしても知りたくば、イチに直接聞くがよい。私からそなたには何一つ語らぬゆえ」
「っ、そうするわ!」
香麗は立ち上がり、荒々しい足音を立てて出いく。
途中引き戸のところで足を止めて振り返った。
「双葉さん、大人しく”安静”にしてなさいよ」
「……努力しよう。もう、あまり此処には立ち寄るな」
香麗は眉を跳ね上げた。
「迷惑ってこと?」
「違う。そなたはこの村について、私に語りすぎている。なぜ”イチ”が人を遠ざけていたか、しかと考えた事はあるか?」
「え……」
香麗は戸惑ったように見返してきた。
「私に、この村の者と接触させないためだ。この村を私から守るためだ」
こちらに体ごと向き直り、真剣な表情を向けてきた。
「この村にとって、私は必ずしも良きものではない。無論、悪しき者となりたいと願っているわけではない。それでも私はそれが必要となれば、その選択を排除することはない。この村をしかと知らねば、私が村に対して悪しき存在になりようもなかろう? だからこそ、イチは私にこの村を見せないようにしていたのだ。だから私にあまり構ってくれるな。私に、この村の事を教えてくれるな」
「……。いいえ。関わる事は止めないわ。だって知ってもらわないと、双葉さんを知らないと、何も始まらないでしょう?」
「私がこの村に災いを招いたらどうするつもりだ」
香麗は笑顔を浮かべた。
「本当に悪いものを招き寄せるような人はね、そんな事をわざわざ口にしたりはしないものよ。双葉さんがそんな事をするはずがないわ」
「だから、」
「仮にそうなったとしても、それは双葉さんにとってもどうしようもない場面だったって事よ。あたし達が何をどうあがいても同じでしょう。だからいいのよ」
そんな簡単な話ではないと、口をついて出そうになった。
答えない私に笑いかけて、香麗は今度こそ立ち去っていった。