八 酒盛り
「玉祥は、代英殿との手合わせはどうだった?」
「とても勉強になったよ。佑茜様も僕達との練習ではこんな感じなのかって、少し感慨深かった」
「いつも同じ相手とばかり練習していては、わからないこともあるものだな」
「そうだね。佑茜様の練習相手としては、僕達ももう少し力をつけて、佑茜様と打ち合えるくらいにならないと。今のままでは、ただ練習をつけてもらっているだけだからね」
側近として恥ずかしい状態ではあるが、本当にそうだ。
側近との自負があるのなら、もっと腕を磨き主を護れるようにならねばならない。私たちが不甲斐無いと、恥をかくのは佑茜なのだ。
まあ、私たちの評価など目ではないくらいすでに、佑茜の評判は悪いから、意味はないかもしれないが。
「稼祥(幼名が玉祥)様、隣をよろしいですか?」
声に振り仰げば、克敏の従者だった。
「代英殿」
今日はじめて会ったばかり。いったい何の用だろうか。
私達は彼の登場を不思議そうに見やりながらも、少し詰めて席を空けた。
そこに腰を落ち着け、代英はやおら口を開いた。
「今日は完敗でした。またお手合わせを願ってもよろしいですか?」
単刀直入なその申し出に、私も玉祥も呆気に取られた。
ずいぶんと負けず嫌いな部類のようだ。
その代英にとっては、私のことなど眼中にはないようで、玉祥だけを食い入るように見ていた。
私であったらこの申し出は、なんとしても辞退するところだ。
だが玉祥は、人好きのする顔で請け負った。人のよいらしい答えだ。
「機会があれば、喜んで」
「ありがとうございます」
克敏の従者は、嬉しそうな様子で礼儀正しく頭を下げる。
「本当は、断られるのではないかと思っていましたので、とても嬉しいです」
その言い様に、興味が引かれた。
「衢雲殿や他の側近方に何か?」
玉祥がそう尋ねていた。
私には聞きたくてもできなかった台詞を、彼は無造作に口にしてしまった。
内心では、不味い事を聞いたのではないかと焦ったが、玉祥は平然としていた。悪意を持たない人間というのは、こういう時に得だ。二心がないから人から悪意を向けられても判らない代わりに、玉祥には悪気がないと相手にだって目に見えて判るから、逆に後ろ暗い気持ちを疑われる事もない。
代英も玉祥の言葉に不快を覚えてはいないようだった。それどころか神妙に頷いている。
「はい。あのような無謀な攻めをしては、二度と立ち会いたがらないだろうと、いわれました」
克敏の側近方もなかなか辛らつな物言いをされるものだ。
間違ってはいないだろうが、言い方というものがあるだろう。
「ならば早朝練習に混ざったらどうだ」
横から佑茜が口を出してきた。
先ほどまで克敏と言い合っていたのに、その傍らで私たちの会話にも意識を向けていたらしい。
内心で余計な事をと、舌打ちしてしまった。
「よろしいんですか!?」
喜色を顕にする彼に、今更嫌ですとは言いにくい。
あの猪突猛進な相手と、これから毎日練習しなくてはいけない。それは非常に御免こうむりたい。
「構わんぞ」
しかし佑茜はあっさりと許可を与えてしまった。
そうなってしまっては、私には拒否する事も出来ない。
「その練習に参加していない分際で、お前は何を言ってるんだ」
克敏の苦虫を噛んだかのような顔。
早朝練習のことを知っていたのか。しかも、佑茜が殆どそれに参加しない事まで。
佑茜はそれには答えず、しらばっくれた。
酒盛りが終り、早めに自室へ引き上げた。
酒宴の最後の方では死屍累々と言った有様だったが、私自身は最初に一杯空けただけであったために、既に酔いは醒めている。
予想より早く終わったために、明日の朝に処理しようと考えていたが、今のうちに片付けてしまおうと、部屋の中にある文机に向かった。
黙々と書類を処理していると気持ちが落ち着いてくる。佑茜に振り回されて散々だったが、沈みがちだった気分はかなり浮上した。
後回しにしていた妹の手紙を取り出し、封を切った。
手紙には妹が処理した緊急に裁決すべき事柄の事後報告と、私が裁決すべき懸案事項についてが書かれていた。
それに返事をしたためていく。
手紙の終わりには彼女の近況があり、厳しい顔になるのがとめられなかった。表面的にはただの世間話だが、私達ふたりの間で決めている暗号がその中に含まれている。
芳しい報告ではない。
返事を書き終えて私はある決意をした。
ずっと考え続けていて、実行に移す踏ん切りがつかなかったもの。
だが、心を定めると、思いのほか気分が楽になった。
醒めたと思っていたがまだ酒が残っていて、その勢いで決意する事が出来たのだろう。そう考えれば、酒というものも悪いばかりではない。
私は一人しのび笑う。
残っていた気がかりである、最後の奸臣朱晋。
彼の裏切りで、これで内戦時の負債が一掃することになる。
時期としては是をおいて他にないとも言えた。
出来るだけ多くの良きものを残し、足を引っ張りそうなものを道連れに。
文机の前の窓から望む月夜は、それを祝福してくれているような美しさだった。