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偽りの王  作者: ゆなり
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七十四

 水の中を二若(ふたわか)は進んでいく。

 体に掛かる水の流れというものを私ははじめて感じた。

 それは緩やかな圧力であったり、痛みを感じるほどの暴力的な力であったりした。

 二若(ふたわか)の邪魔にならないよう身動きしないでしがみ付いているだけの私には、上下も前に進めているのかさえも定かではなかった。

 水の圧力に身に付けている衣服が引っ張らたりもして、引っ張られていない時も体にまとわり付く布地はまるで拘束具の様で、体の動きを阻害する。よくこの中で足手纏いを連れて動けるものだと感嘆の思いを抱いていた。

 二若(ふたわか)に背負われるような形でしがみ付いているだけだが、たったそれだけの事が酷く難しかった。互いを結ぶ細い腰紐が、私のたった一つの命綱だ。

 もし泳げたとしても、私には二若(ふたわか)と同じことは決して出来ないだろう。私達の間にある基本的な身体能力の差は、歴然としていた。

 武を磨き、王としてまた佑茜(ゆうせん)の副官として一軍を率いて戦場に立ち、いっぱしの高位武官であると自負してきた。だがどこまでいってもどれほど努力しても、私の力など偽物でしかないのだと、本物の力には生まれ付いての男には敵わないのだと、理性では判っていても現実として突きつけられると酷く悔しいものだった。

 時折水面から顔が出るので、その都度貪るように息を吸い、再び潜水を始める気配に息を止めてと、それをどれほど繰り返しただろうか。

 長く水の中にいた所為で体から体温が奪われたのか、足先や指先の感覚が不確かなものになり、水面から顔を出しても満足に息継ぎが出来なくなりはじめていた。

 私が苦しいように、二若(ふたわか)の負担はそれ以上だろう。

 必死になって耐えていたが上手く息が出来ず、息苦しさは殆ど限界に近づいていた。

 脳裏に死という言葉が過ぎる。

 私にとって水中を行くというのは未知の領域だ。

 息が出来なければ人は死ぬ。水を大量に飲んで命を落とせば即ち水死だ。

 川遊びで流され死んだ子供の遺体、川で殺害された被害者の遺体、今まで私は水死した者達の死体を何体も目にしてきた。

 どの遺体も体が白く膨張し、川底の岩などで打ち付けたのか酷く痛んでいた。

 骨や内臓まで露出している遺体も珍しくなく、直視に耐えない惨たらしさがあった。

 私もそんな水死体の仲間入りをしてしまうのかと、恐怖が胸中を占めた。

 胸の中にある恐怖を明確に自覚すると、更に息苦しさは増していった。恐怖によって体に不要な力が入り、息継ぎが更に難しくなってしまったのだと思う。

 必死になって息を止めていたが、とうとう苦しさに耐え切れなくなり、口の中にあった空気を吐いてしまった。

 その反動で水をしたたかに飲み込んだ。

 普通なら入ることのない気管へ水が入り込み、咽返る事でゴボゴボと肺の中に残っていた空気が抜けていった。それに比して水がとめどなく流れ込んでくる。

 二若(ふたわか)の首元に回ししがみ付いていた腕を外し、口元を押えるが手遅れだった。

 意識が遠のいていき、もう駄目かと思ったその時、音を立てて顔が水中から出た。

 口の中にあった水を吐き出し、大きく口を開け空気を吸い込もうと努力するが、胸中をかなりの割合で水が満たしていて、上手く息をする事が出来なかった。

 水中にあるよりは多少意識がハッキリしていたが、指一本動かせないほど消耗していた。

 二若(ふたわか)の首元に回していた腕は二若(ふたわか)の肩から垂れ下がっているだけだ。

 私の腕が滑り落ちていかないのは、未だ二若(ふたわか)の背にしがみ付いているような体勢でいられるのは、二若(ふたわか)が私の腕をつかみ支えていたからだ。

 強く腕を引かれ、上半身が二若(ふたわか)の肩に担ぎ上げられた。

「しっかりしろ。吐けるだけ水を吐くんだ」

 胃の辺りを肩で圧迫され、私の意志とは無関係に飲み込んだ水が一気に逆流した。

 口といわず鼻といわず、大量の水が流れ出ていった。あまりの苦しさに生理的な涙が滲む。

 ひとしきり吐き切ると息は先程までよりは遥かに楽に出来るようになった。

 肩から降ろされて、二若(ふたわか)の腕に抱えられるような体勢になり、姿勢的にも楽になった。

 腰紐があって肩に担いだり腕に抱えたりなんて無理だろうに何故だろうと考えたら、いつの間にか腰紐は外されていた。

 ぐったりと手足を投げ出し見るともなしに空を見上げれば、二若(ふたわか)が心配そうに私をのぞき込んでいた。何もいわずに背中をさすってくれている。

 頭の中に霞が掛かったようにボンヤリとしていたが、それでも多少は現状に思いをめぐらす余裕は出てきた。

 ゲホゲホと私のむせ返る音ばかりがあたりに響いていた。

 他はサヤサヤとした水の流れる音だとか、虫の鳴き声が僅かに聞こえるくらいで静まり返っている。

 つまり、追っ手がいるとして、ここに目標の人間がいますよと喧伝しているような物だという事だ。

「……っ」

 上手く言葉にならず、もどかしげに二若(ふたわか)を見やる。

「大丈夫追っ手は撒いた。……少なくとも、この近くにはいない」

 二若(ふたわか)の言葉に安堵が広がった。

 よくよく見れば、川の両岸は大きな岩がゴロゴロとしている岩場で、更にその向こうは崖のような状態だった。随分と移動していたらしい。

「悪い、無理をさせた。お前の体調がまだ万全じゃないという事が、頭から抜けていた。……ごめんな」

 目を伏せ悔悟の表情で告げる二若(ふたわか)に、私は緩く首を振った。

 足手纏いでしかない私が悪いのだ。自分で泳げれば、体調や体力が戻っていれば、このような無様な結果にはならなかった。

 そういいたかったが口を利ける状態ではなかった。

 二若(ふたわか)の手が上がり、そっと目元を覆った。

「眠れ。無理をして意識を保っていなくてもいい。場所柄的に暫くは川からは上がれないが、ここからは川の中を潜って行くこともない。俺に任せてお前は安心して眠れ」

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