六十九
私は恥じ入った振りをして顔を俯けた。
嫌になるほど視線を感じていた。
まさか正体に気づかれたのか?
「どうした? 何かあったのか?」
少し離れた場所から声がかかった。
やはり不信感を覚えるほどに私を観察していたという事か。
元部下は顔を声のした方へ向けそれに応えた。
「めったにないようなお嬢様がいたから、珍しくてよ」
それに脱力してしまいそうだったが、同時に怒りが湧き起こりもした。
お前、人の顔を忘れたのか? 上司としてよく顔を合わせていたのに、なぜ気が付かない。お前は警吏失格だぞ。
と、内心で罵りの声が溢れていた。
もし気づいたのならば、私よりも先に二若へ不審の目を向けていなければおかしいのだから、ああいう反応であっても矛盾してはいない。
勿論元部下のそれがただの演技である可能性もある。
私の顔に不信感を覚え観察していて、それを誤魔化すためにそういった、という可能性だって十分考えられる。
これが私に向けて強烈な不信感を抱いていればハッキリと目に見えるのだが、漠然とした不信感となると色として現れず、そうなると判断できるのは相手の言動のみしかない。
色として感情を見ることが出来なくなり始めてからは、相手の顔色を窺う癖が付いたが、それは逆に自分自身を混乱させる原因ともなった。
私がそうであるように、人は必ずしも心と同じ表情を浮かべてはいないのだ。
表情や言葉尻なども駆け引きの手段であり、技術でもある。
言動から見抜くというのは、存外難しいということだ。
元部下は気づいていて、ああいう的外れな発言をするのは私に対して油断を誘うためとも取れるし、本当に気づいていなくて思ったままに振舞っただけとも取れる。
どっちでもありそうであり、判断は付かなかった。
……まあ、こういう客船でもない船に良家の子女っぽいのが乗っていれば、それは違和感を感じるだろうことも、ああいう発言も至極まともなのも理解はしている。
二若曰く、私の女の振りは良家の子女そのものという事だし……。
胸の内に腹立たしさが更に湧き出てくる。
どうしてここで普通の一般人の女の振りが出来ないのかと、自分自身に対する苛立ちだった。
そうすれば面倒事は少なくて済んだはずだ。
一般人に扮するなど予定外で、そういった準備をしてこなかったと言うのはただの怠慢としか思えない。
今後のためにもここを乗り切れれば、一般人の立ち居振る舞いというのも研究せねばならないと、心に刻み込んだ。
だが、それはともかくとして、今はここを乗り切る事を最優先に考えねばなるまい。
「ほー、お嬢様? どれどれ?」
元部下の言葉に興味を覚えたのか、声をかけてきた相手も側にやって来た。
まあ、私でも同じように不審に思い確認しようとはするだろう。
軽い言動はしていても、やはりここの連中は、締めるべきところはきっちりしている。
寄ってきた相手の顔に特に見覚えはなかったが、面白がるような探るような目を向けてきた。
約二歩分の程よいと言われる近さで立ち止まり、ジックリと観察してくるその目を受けて、私は女性らしくおっとりとした慎ましやかな微笑を相手に返した。
元部下のように近すぎて恥じ入って俯くと言う手段がどれなかったのだから仕方がない。
貴方方の疑惑になぞ何も気づいていませんよと、そういう能天気な女性を演出したつもりだが効果の程はどうだろうか。
普段ならば真っ直ぐ強い眼差しで見返すところだが、それは女性らしい振る舞いとはいえない。
礼法の師より叩き込まれた控えめな眼差しが正しい姿であろう。
だが、そうやって慎ましやかな女性という行動をするのは、演技とはわかっていても中々抵抗があるものだった。恥ずかしいと言い換えてもいい。
知り合いには絶対に見られたくない姿だなと、そんな事が脳裏を過ぎる。
なんであの時兄妹を演じるのを了承してしまったのか。兄弟という設定にしておけば、こんな恥ずかしい真似をしなくて済んだのにと、己の浅はかさが酷く恨めしかった。
私の微笑を受け、そいつは何が面白いのか口笛を鳴らした。
困惑してただ見返してしまう。
ここで口笛を吹くほど楽しい展開があっただろうか。
内心で嫌な焦りが溢れ、自分の取った行動を思い返していた。
どう考えても普通の女性らしい振る舞いをしただけ、であるはず……だ。一体、どこがおかしかったのか?
そいつは私の困惑など知らぬ気に、元部下に向かって口を開いた。
「真性のお嬢様じゃないか。珍しい。何だってこんな場所に?」
私や元部下が答えるよりも早く、二若が口を開いた。
「俺達は、妹の病を治療してくれる医師を訪ねるための旅をしています」
「病?」
「移るものではありません。妹は昔から心の臓が悪いんですよ」
その通りだと私は二若の言葉にただ頷いた。
「あまり無理もさせられず、ずっと家で過ごしていたためか世間知らずに育ってしまって……。浮世離れしているのは気にしないでやってください」
私は恥じ入った振りで顔を俯けた。
不自然ではない行動だし、そうさせるために二若はああいったのだろう。それは理解している。理解してはいるのだが、恥ずかしい真似をさせるなと、心の内で弟に抗議しておいた。




