六十七
「もうじき祁輿につく」
祁輿は天曼河の川沿いにある港の一つで、帝都の東大街道と交差する関所の役割も持っている。
「荷揚げ荷降しがあるんだが……」
みなまで言われずとも、二若の言いたい事はわかった。
「臨検か」
その通りだと二若は頷いた。
祁輿は佑茜の管轄にはないが、帝都からほど近い地理的条件もあり、何度か取り締まりの手伝いに借り出されたことがあった。
「口調が戻ってるぞ」
「失礼いたしました。臨検の対象となるのは、密輸品を運んでいる船や、武器など不法な品を扱っているものばかりです。ある程度以上の確証が取れなければ、踏み入ってくる事もありません。こちらのように普通の荷を扱っている船は対象外です。案ずる事はありません」
「それが水上封鎖しての、全船を対象にした臨検を行っているようだ。祁輿の役人達の能力はどう見る?」
「祁輿の警備隊は任務に忠実でいらっしゃいます。賄賂などはあまり通じないかと思われますが……」
帝都へ至る東側にある最後の砦の役割もあり、祁輿の官吏はかなり優秀な人間が揃っている。
配下の警備兵達もそれなりに粒ぞろいだ。
勿論、中には金で買収可能な者もいるが、基本的にはそういった手段をとるのが難しい集団だ。
「なら、“二若”の面は、祁輿の者達のどれくらいに割れている」
「全員が見知っておられるでしょう」
私は祁輿の役人の顔と名前は全て承知しているし、その逆もまた然り。
手足となる警備兵達も、何度も面通ししていて私の顔ぐらいは覚えているはずだ。
佑茜配下となっている帝都の警備隊とは、何度も合同捜査を経験している上に、当然私もそれに参加している。
人手が足りないと、こちらから人員を何度も出しているし、逆に人手が足らない時は祁輿から借り受けたりもしていた。
そういう意味では交流が深く、また佑茜配下の警備隊の人材が祁輿へ幾人も引き抜かれてもいて、私の顔を知らないはずがないのだ。
しかし解せないのは、何故全船臨検などという、効率の悪い真似をしているのかだ。
真っ先に思い浮かぶのは、“二若”の暗殺騒動だが、帝国は属国の王が一人殺されたくらいで、このような大げさな振る舞いをしなければならないほど、懐は狭くない。
これが皇子の一人だったったとしても、おそらくは皇太子や中枢に食い込んでいる重要な皇子でなければ、ありえない話なのだ。
それとも、宮殿に賊が忍び込まれた事実が問題なのだろうか。
白牙の騒動が収束しきっていない中で、再び宮殿に賊が忍び込み、暴れていった。
進入経路や逃走経路の洗い出しをするためにも、犯人を捕まえねばならないと、意気込んでいるのだろうか。
宮殿には皇帝が坐す。
もし万一の事態となっては、それこそ大問題だ。だからその可能性も多少は考えられなくもないが、宮殿で私が襲われてから、それなりの時間も経過している。
賊が川を使って逃げたのだとしても、疾うに逃げおおせたはずと、臨検は終わってなければおかしい頃合だ。
何のための臨検かと、私は首を傾げてしまった。
つい自分の考えに没頭してしまったが、そもそも二若からの返答がなく、理由をあれこれと考える傍ら弟を窺うと、ゴソゴソと何かをしていた。
「……何をしていらっしゃるの?」
「何って、変装」
「今さらそのような真似をすれば、船の者たちに不審に思われますよ。臨検の前に船を下りる算段をする方が、賢明ではありませんか」
「無理。ま、不審に思われない程度で、“二若”の顔の面影をなくせばいいだろ」
「そのような都合の良い……」
「人は、意外と見ているようで見ていないものだ。ちょっとの事で、印象は変わる。それに船の人間には、あえて俺を印象付けない見た目を心がけてもいた。バレやしないよ」
あっさりとした言いようながら、随分と慎重なものだ。
それだけ自信があるということでもあり、そういう配慮が必要な暮らしをしてきたという事でもある。
どういう生活をしてきたのだろうかと、私はそんな事が気になった。
「双葉はあまり皆と顔をあわせていないし、多少印象が変わっても不審には思われないはずだ。安心しろ」
「……ええ」
二若は自分の変装をした後、私の見た目もいじった。
鏡がないためにどの様な雰囲気となっているのか私には判らなかったが、二若は満足げに頷いていた。
私に判るのは、二若の印象がそれ程変わったようには見えない、というぐらいだ。
「本当に大丈夫なのですか?」
「お前は目が異様にいいから直ぐ判るだろうけど、普通はそこまで見ていないし、見えない」
「……そのような事はないと思いますわ。わたくしはごく普通です」
「本当だ。事実、俺はこの手でずっと色んな奴の目をくらませてきた」
頭が痛くなるような事を、二若は堂々と言い切った。
「どこの犯罪者ですか……。ですがお話はよくわかりました。国に戻った暁には、軍や警備の者達の教育をしなおす事を考えるとします。貴方のような真似を、他の方が取っていないとは思えませんもの」
「政か。くだらない」
と、二若は吐き捨てるように言った。
私は心外だと二若を見やった。
「王とは民あってのもの。貴方がなんと思おうとも、民のためにこそあるのが、わたくしの存在意義であり生きる意味なのです」
「……知っている」
二若は苦々しげに答えた。