六十五
青臭さに息が詰まりそうだった。
右を向いても農作物、左を向いても農作物。
私は農作物の間にできた隙間に押し込まれていた。
ちなみに私の体の下には、大きな木箱があり、そこにも何かの作物がつめられている。
それらから漂う青臭い香りに辟易していた。
二若は宣言どおり天曼河に出ると、更に下ってそこそこ大きな街へ出た。
そこで輸送船と交渉し、こうして乗り込んでしまったのだ。
かくして私は作物と共に船倉の主となったのだ。
毒は中々体から抜けてはくれず、寝たり起きたりの生活だった。
普通ならば伝染病などを恐れ、私のような者を乗せるとは思えなかったが、二若は上手く説明していた。
お陰で更に環境の悪い、魚などの海産物のつめられた船倉に押し込められないで済んだ。
あちらは青臭くはない代わりに、磯臭くて湿っぽくかつ生臭いらしい。
……そんなところに押し込められては、良くなるものも良くなるものか。
私達と同様に、船倉に乗せてもらっている客達は、昼間は船の仕事をしていて、あまり住環境に興味が無いのではないだろうか。
寝るだけの間我慢するなら、そこでも構わないと誰かが言っていた。
決して臭いだなどと文句は言うまい。
まかり間違って、魚のほうの船倉に入れられてたまるものか。
川面の揺れに絶えず揺られ続け、毒による発熱で目が回っているのか、船の揺れで目が回っているように感じているのか、さっぱりわからない。
要するに、絶不調だった。
その体調不良の病人に、寄ると触るとちょっかいをかけてくる輩がいるのが問題だった。
「双葉ー、野鳥が取れたぞ! 今晩はこれで焼き鳥だ。精をつけて早く元気になれよ」
断りも無く生きたままの鳥を手に、男が船倉に入ってきた。
はじめこそ驚いたが、既にこの程度では動じなくなった。
「立派な鳥……。どうやって捕まえたのですか?」
おっとりと私は答えた。
「そうだろう! 投げ縄の要領で……こうやってとっ捕まえたんだ。旨そうだろ!? 双葉には一番栄養のある場所を食わせてやるからな。楽しみにしておけよ」
いうだけ言って男は出て行った。
バタバタと鳥が暴れて、抜け落ちた羽が飛んでくる。
青臭い中に鳥臭い香りまでもが加わった。
その事に私はうんざりとため息をついてしまった。
この船に乗る際に、私と二若は兄妹と言う事にした。
そして互いの名前を一と双葉と言う偽名をつけた。
あまりにかけ離れた名前では、とっさの時に反応できない可能性があるということと、馬鹿正直に二若や一姫の名を使うわけにはいかなかった。
私が妹と言うのが気に入らないが、自由の利かない体で我侭も言えず、そういう事となったのだ。
そして私達は妹(私)の病を治す名医を尋ねて旅をしていると言う設定となった。
幼い頃から体が弱く、心の臓に欠陥のある妹(私)を、噂で聞いた名医に見てもらうために、危険を犯して旅をする事になった。
伝染病ではないためうつる心配は無いからと、船長をはじめ船員達に甚く同情され、環境のよい(?)船倉を宛がわれ占有する事となったのだ。
船に乗る前と乗った直後の、二若と問答だ。
街に入る前、私は藪の中で一人二若の戻るのを待っていた。
街に入るための準備をするため、二若はどこかへ消えた。
背負われて移動する間に熱が上がった私は、ただ二若の帰りを待っているしかなかった。
戻ってきた二若の手には、街の娘が着るような衣装があった。
『これから船に乗る。一姫はちゃんと女の振りをしろよ。間違っても、いつも通りの口調で話すな』
『言われぬでも判っている。私とて女らしく振舞うくらい出来る』
二若は、私を疑わしげに見やり、その用意してきた衣装を手渡してきた。
なれない女物の衣装に四苦八苦しながら、私はそれに着替えた。
そうして兄妹の振りで船に乗り込み、船倉で二人きりになるなり、二若は苦情を口にした。
『お前、いくらなんでもやりすぎだろう』
『何がだ。ちゃんと女らしく振舞っただろう』
『だからやり過ぎだっていってるんだ。あれじゃどこの深窓の令嬢かって感じじゃないか』
『船長とのやり取りを言っているのか?』
『当たり前だろうが』
『何がおかしい。普通の女の振りをしただけだ』
『あんな、淑やかで上品な街娘はいない!』
私はムッと口をひん曲げた。
『何を言う。あれが普通の女の仕草のはずだ。礼儀作法で習ったとおりの振る舞いをしたぞ』
二若は頭を抱えた。
『……普通は、礼儀作法なんて習わん』
私は逆に絶句してしまった。
『そうなのか?』
『お前だって街で女達を見たことはあるだろう? 礼儀作法どおりに振舞っていたか?』
どうだっただろうかと、私は記憶を辿った。
確かに言葉遣いは砕けていた……ような気はする。
『子供の頃の口調は覚えていないのか? あれでいいはずだが』
『覚えているわけがなかろう。無理を言うな。……じゃあ、これでどうだ。【ねぇ、喉が渇いてしまったわ。水を取ってきてくださらない?】』
『どこの商売女だ!』
『商売女? 茶屋の娘の事か? まあなんでもいい。とにかく私は喉が渇いた。水を取ってくれ』
『ん』
荷物にあった竹筒を受け取り、私はそれで喉を潤した。
『もっとましな態度は出来ないのか?』
『面倒なやつだな。【なにやってるんだい! さっさと失せな!】 とかか?』
『威勢がよすぎる。どこでそんなのを覚えてくるんだ』
『帝都でこういう女はよく見るぞ。では、【ホホホホ、そのような愚かな真似を見抜けぬと思っておいでですか? 片腹痛い! 出直してらっしゃい!】』
『それ、三姫か……』
『ああ。国で重臣達をそう叱り付けていた』
『どれも病人ぽくない。こう、はにかむとか、恥らうとか、そういう控えめなやつはないのかよ』
私はニヤリと笑った。
『【そのように見つめられては、わたくし……(ポッと頬を染め顔を逸らす)】』
『……できるんじゃないか』
『任せておけ。人見知りする恥ずかしがりやの深窓のお姫様は、大得意だ。国で寝込んでいる事になっている三姫の振りをするために、様々な貴族のお姫様方を観察・研究した成果だ。だがこれではお姫様らしくてだめだろう?』
『まあ、な。ああ、そうかよ。最初のが一番それっぽいじゃないか。……仕方ない。家に閉じこもりきりで、厳しく躾けられた世間知らずのお嬢さんでいく』
二若はそう諦めたようにいった。
私は、二若に世間知らずと評されたのが、なによりも腹立たしかった。
確かに私は民の暮らしを数字でしか知らない。報告書の中でしか知らない。任務で僅かにのぞき見る範囲でしか知らない。
国政と、宮殿の中と、その権力闘争だけが私の世界だ。
確かに世間知らずなのだろう。だが、くだらない自尊心かもしれないが、弟にそう評されるのは、無性に腹立たしかった。
二若に言われるまま、哀れな病人を演じていると、船の者達は総じて親切だった。
思い思いに見舞っては、差し入れをしてくれる程度には、回りから受け入れられていた。
二若の振りをしていた頃にはついぞ見たことのない、やに下がった顔さえなければ、まずまずの環境といえるかもしれない。
側でにらみを利かせている二若がいるために、身に危険を感じないが、あのやに下がった顔を見るたびに鳥肌立つのだ。
周りから女だと知られているのも落ち着かなく、早く船から下りたくて仕方がなかった。