六十三
フウッと私は大きな息をついた。
僅かに会話しただけというのに、酷く疲れた。
朝の状態と比べ、体調が劇的に良くなった様な感じはない。
これは元の状態に戻るまで、時間がかかりそうだと感じた。
体が自由にならないというのは酷くもどかしく、本来なら私は死んでいるはずだった事を思えば、これは万倍もましな状況なのにも拘らず不満な点を見つけてくる己を、人間とは際限なく欲を抱く生き物らしいと、自嘲せずに入られなかった。
「お前の、用件は何だ?」
息が乱れそうになるのを押さえ、たずねた。
二若は片眉を上げただ見下ろしてくる。
「宮殿に私を助けに忍んで来たのではないのだろう。あんな場面に遭遇して、それ処ではなかったのだろうが、私に何か用があったのだろう?」
私の問いになかなか答えない。
膝の上に乗っている私の頭をなで、髪を梳き、黙り込んでいる。
そんな二若をただ見つめた。
「会いたかったから……と、言ったら信じるか」
待った果てのその答えに、私は鼻を鳴らした。
「愚か者。信じるはずがなかろう」
その断言に、二若は肩を竦めた。
私は未だ体調が悪く、このような謎賭けのような問答をするような気分にはなれない。
イラつきながら見つめ続けた。
「俺の用件は急ぎじゃない。一姫が回復してからにするさ」
「そうか」
「……なあ、聞かないのか?」
何をとは言わない。
「聞かずともおおよそは想像がつく。が、今はそれらに考えを及ぼすほどの、余裕がない。もう少し体調がましになって、頭もハッキリしたら、その時はきっちり聞かせてもらうぞ」
そう言えば、二若はひっそりと笑みを見せた。
「お前こそ腹は立たないのか」
「立つと思うか?」
「……いいや。だが、仮にも”お前”が死んだんだ。恨み言の一つくらい言いたくなっても、不思議はないだろう?」
二若は私の言葉に即答で持って返してきた。
「むしろ願ったりだ」
半ば以上予想していたその返答に、ため息をつかずにはいられなかった。
しばし沈黙が落ちた。
私は話て少し疲れてしまっていたし、二若は何か悩んでいるようだった。
髪を梳いていた手が止まり、額を覆うようにして指が目蓋に触れた。
「”見えない”のか?」
目が見えないという意味ではない。
私は瞬間的に、後ろめたい思いがこみ上げた。
「ああ。……今は殆ど何も見えない。三姫も、同じ事を言っている」
「そう、か」
二若の身に様々な色が浮かび、そして消えていった。
意識を凝らして集中して見るのは難しく、それらがどんな感情か見極める事は出来なかった。
私が二若に偽りを口にする事はない。
悪意という声なき声を聞き続けている彼には、何の意味もないからだ。
人の中に合って、その絶え間なく聞こえるその大小様々な悪意に、疲弊している二若には、例え相手を思う嘘でも彼を傷つける事にしかならないと、私は知っている。
私達は、それを知っているのだ。
昔、幼い頃、傷ついた色をまとう二若を私は見続けていた。三姫はその嘆きを聞き続けていた。
三人の中で、最も辛いその能力を持つ二若へ、私達は譬え自らが不利になろうと、相手に憎まれる内容であろうと、絶対に偽りは口にするまいと誓ったのだ。
目蓋に触れていたその手をどけて、体の向きを変える際に乱れてしまった上掛けを直してくれた。
「まだ寝ていろ。毒は体から抜け切ってはいない。これ以上は体に響く」
話は終わりだと、暗に訴えてくる。
意識を保てないほどではないが、絶え間ない悪寒と吐き気が交互にやってきて、熱もまだ下がりきっていない状態だった。
自覚できるだけで、それだけの不調を体が訴えている。
聞きたい事や確認したい事は、まだ山ほどあった。
だが二若は私のその不満など聞こえているはずなのに、聞き入れる様子は全くなかった。
体力的にも無駄な問答を出来るほど余裕はなく、しぶしぶと私は目を閉じたのだった。
眠ろうと意識せずとも、目をつぶり体の力を抜いていると、意識はすぐさま遠ざかっていった。