六十二
パチパチという木の爆ぜる音に、私は再び意識を取り戻した。
既に当りは暗くなっており、焚き火がつけられている。パチパチというのは、この火によって燃やされる木の爆ぜる音のようだ。
焚き火の明かりで、逆に周囲が暗くなってしまい、周りがどの様な場所かよく見えなかった。
体の下にはごつごつとした地面の感触と、頬をなでる風から、天幕などもない屋外なのは間違いがない。
チクチクしたさわり心地の、厚い布が体の下に敷かれている。どうやら体の上にもそれは乗っていて、すっぽりと包まれているようだった。
そして頭は暖かく弾力のあるものの上にある。
何だこれはと訝しく思った瞬間、それの正体に思い至った。
膝枕。
出したその答えに、思わず身を強張らせた。
帝国に来てからは女とばれないよう、必要最低限しか私は体に触れさせたことがない。人との接触になれていないのだ。その反応は、半ば以上反射的なものだった。
顔の前に手が下りてくる。
指先にかなり強烈な匂いの丸薬が挟まれていた。
「解毒薬だ」
膝枕の主はそういい、丸薬を押し込んできた。
あまりの苦さに反射的に吐き出しそうになった。すばやく口を押さえられ、竹筒を口元にあてがわれた。流し込まれた水でそれを飲み下す。
口の端からこぼれた水が、顎を伝ってそいつの衣装を濡らすが、気にとめた様子はなかった。
横を向いていた身体を仰向けにして見上げる。
「ふた、わ、か……」
私のかすれた声に、本物の二若は頷きを返した。
「ど、して……?」
あの崖から落ちて、何故こんな風に平然としている。
私には理解できなかった。
その私と同じ顔をした相手を見つめた。ニッと口の端がつりあがる。
「あのくらいの崖、俺には大した事はない。それに……あそこで何があるか、手がかりもあったからな」
どういうことだと眉根が寄る。
二若は懐から、一枚の紙を取り出し、ヒラヒラと私の目の前でそれを振った。
その紙には見覚えがあった。
刺客に襲われる直前まで、私が従者達へとしたためていた物だ。
そういうことか、と納得した。
私の力を正しく理解している二若なら、あの紙の内容で十分察することが出来るだろう。
「死ぬつもりだったのか?」
それは静かな問いだった。
紙を見れば判るだろうに何を言うのか。
「……そう、か」
私は何も答えなかったが、二若は納得したらしい。
「私は、何故、助かった? 胸を刺されただろう?」
水分を取って、声が随分と滑らかに出るようになった。
気になっていた事を尋ねた。
本来なら今がどういう状況か、後始末はどうなったか、聞くべきことは山ほどあるが、あの時に見た状況の通りなら、基本的には私の狙い通りの展開となっているはずで、ただ事態が動いていくのを待つだけですべき事はないはずだ。
危急ですべき事考えるべき事のない、という状況に、私は自分の欲求を満足させることを、良しとしてしまった。
多分、すべき事よりも、したい事を優先したのは、生まれて初めてではないだろうか。
そんな小さなことが、私は嬉しかった。
二若は懐から何かを取り出した。
「三姫に、感謝しろ」
そう言いながら、取り出した何かを開いて見せた。
布に包まれたそれは、見覚えのある品で、バラバラに壊れた女物の髪飾りだった。
お守り代わりにいつも服の下で身につけていた、それだった。
三姫からの、大事な、大事な預かり物だった。
「これが短刀を受け止めたか」
私は感慨深く呟いた。
「そうだ。こんなことも、あるんだな……」
暫し言葉が途切れた。
サラリと二若の手が頭に触れる。
結われていない髪を梳いていく。
荒れた手だった。
私の手とは違って、荒れてそしてとても硬そうな皮膚だ。
ごつごつと節くれ立ち、随分と苦労したのだろうと、察する事ができた。
私は国に戻ると、寝込んでいる(と言うことになっている)三姫の振りをすることが度々あった。
荒れた手をしていては入れ代わりがばれてしまうと、手にだけはとても気を配っていたから、貴婦人のように滑らかな手付きをしている。
自分のその手と比べると、違いが一目瞭然だった。
二若はどうやって、この十年を一人生きてきたのかと、そんなことを思った。