五十八
渋々といった様子で、男は二若の部屋へと先に立って向かった。
男は二若の部屋の前で立ち止まり、室内に向かい声をかけた。
「お休みの所申し訳ありません。お客様がおみえになっておられます」
男が言い終わる前に、書琴は強引に立ち入ってしまった。
その後に続く官吏達は非礼を恥じ入るかのように目を伏せ男の前を通過していく。
憮然としてそれを見送った男は、最後に部屋へと踏み入った。
その時真祥は、主に命じられた通り、二若の側に潜み監視していた。
事の顛末を近くで直接見聞きするべく、官吏達の中に紛れ込んだ。
「お客人とは、書琴様であらせられましたか。御用とあればこちらから参じましたものを、いかがなさいましたか」
二若のその問いかけに、書琴は人の悪い笑みでもって答えた。
「余裕にしていられるのもこれまでよ。そなたを捕らえにきたのだ」
意外そうに眉を跳ね上げ、二若は心外だといった様子で口を開いた。
「随分と不穏な事を仰るのですね。一体何故私が裁かれねばならないのでしょう」
「身に覚えがないと? 戯言を。そなたが此度の帝国転覆を企んだ事は判っておる。私を陥れ帝国を混沌に陥れようというのであろう!」
「もしや、殿下の宮から持ち出されたと言う、玉印の事で詮議に見えたのでしょうか。白牙なる者の戯言と思い思考の彼方へ打ちやっておりましたが、何故私に?」
二若は書琴が玉印の件で皇帝に詮議されている事を知っていながら、それを知らぬ振りで言った。
書琴はギリッと悔しげに奥歯をかみ締めた。
「私ではない。全てはそなたが企んだ事であろう。真実の咎人を陛下の御前に引っ立て、私は自身の無実を証明するのだ」
二若は困ったように首をかしげた。
「私にはとんと身に覚えがありませんが、何故私が犯人だと仰るのですか?」
「あの玉印の真の持ち主はそなただからだ。あれを寄越したそなたの家臣からしかと聞いた」
二若は難しげに眉を顰めた。
「玉印は本当に存在していたのですか……。わたしは白牙なる者の出任せなのだとばかり思っておりましたが、思い違いをしていたのですね」
「っ! そ、そうだ!」
官吏達も半ば困惑して2人のやり取りを見ていた。
疑惑の主である書琴が、玉印が存在していた事を正式に認めたためだった。
皇帝の命で書琴を調べてはいたが、玉印が有るか無いかなど盗人の発言しかなく、本当はそのような物は存在しないのではないかという思いを抱いてもいた。
それゆえどこかだらけた空気の中で取調べをしており、また相手が皇帝の実の子息という事もあり、半ば位は民へ調査していると見せ掛けているだけだとすら考えていた節があった。
それなのに、皇子自ら玉印はあったと、一番の容疑者である書琴がそう断言したのだ。
官吏達が動揺するのは当然の事態であった。
「しかし、それが何故私のものだと言う事になるのですか?」
「あの玉印は、朱晋が私の元へ持ち込んだ物だ。そなたが隠し持っていたといって、どうすべきだろうかと相談に参ったのだ。そなたは帝国の情報をテグシカルバに売り、見返りに確たる地位を得る腹積もりであるのだとか」
「随分と酷い言い掛かりではありますまいか。私はその様な真似をする理由が有りません」
「理由? そのような物、一つしかなかろう。今の若飛の側近という地位だけでは満足できなくなり、更なる野心を抱いたからよ。そうであろう? そなたは己の野心のため、自身の弟を弑しその地位を奪った挙句、まんまと弟に成りすましているのだからな」
「それはどういう意味です」
「そなたは本当は紘菖の姉である一の姫だと言っているのだ。女の分際で国の王たるを願い、それを実行した冷酷な野心家よ」
書琴のその台詞を耳にした真祥はそっとその場を離れ、主である佑茜の居室へと足を向けた。
佑茜の居室に踏み入り、真祥は唖然とした。
部屋で休んでいる筈の主の姿がなかったのだ。
どこかに隠れているのかと、苛立ちも露に人の隠れられそうな場所を一通り改めた。
隠れられそうな場所など限られており、それほどかからず見終ってしまうと、真祥は舌打ちして二若の部屋へ戻るべく踵を返した。
そこへ部屋の主である佑茜が戻ってきた。
「誰も部屋には近づくなと、申し渡しておいた筈なのだがな」
その皮肉気な声に、部屋から出掛かっていた真祥は振り返った。
窓を乗り越えて佑茜が入ってくる所だった。
皇子ともあろう人間が、こそ泥のように窓から出入りしている。
その事実に真祥の眉は気難しく寄せられた。
「こんな時にどちらにいかれているんです」
「お前に答える必要はない。で?」
苦情交じりの言葉をバッサリ切り捨てられ、真祥はグッと口をつぐんだ。
「書琴様がいらした」
「知ってる」
くだらない事を言うなといった様子で佑茜は答えた。
「紘菖様を謀反人と指弾し、その正体は女なのだと声高に主張されている。私では紘菖様を庇う事は出来ません。早く書琴様を止めてください」
「二若ならばその程度自力で切り抜ける」
「しかし、このままでは……! 早くお助けください」
「”何故”だ?」
それまでと雰囲気を異にしたその言葉に違和感を感じ、真祥は若飛を見返した。
若飛の視線に真祥は冷や汗をかいた。
真祥は若飛からは普段より温かみのない眼差しを向けられているが、これほどまでに冷ややかで冷徹な物を見るかのような目を向けられたことはなかった。
今、ここで答えを間違えたら、命はないのだと本能的に悟った。