五十四
あっという間に時間は流れ、後数日で皇帝主催の狩猟会が開催される。
寸暇を惜しんで私が死んだ後の後始末を手配していったおかげで、大方の処理は済ませることが出来た。
だが、肝心の物が、まだ手に入ってはこない。
白牙が奪っていった、玉印だ。
祖国にとって最も危険なそれが、いまだ野放しになったままだ。
帝都の治安を護る警備隊が総動員で捜索しているが、手がかり一つ得られていない。警備隊が上げてくる、全ての報告書を手に入れることの出来る立場というのは、こういう時に有利だ。
佑茜配下の警備隊の者達が見つけられれば、そこから偽物にすり替えこっそり懐にしまいこむことは難しくは無いだろうとも考えていた。だが、彼らも白牙の捜索に力を入れているが、そちらでも進展は全く無かった。玉印捜索に手の者達を動かせない現状では、その立場がとても有難く感じたのだが、白牙が予想に違わず厄介な相手だと判っただけで意味はなかった。
時間ばかりが無意味に過ぎていくなか、焦りが湧き上がってくるが、必死になって飲み込んだ。
焦りはただ判断力を曇らせ、能率を落とすだけと身を持って知っている。
無いものはない。
発見が間に会わず、そして私が亡き後に公になった最悪の場合に備えてはある。万が一の場合に使うようにと、幾つかの書面を妹の下へ送っておいた。
主犯が私であり、他の者は逆らえなかったのだと客観的に納得の行く、その証拠品だ。
全て私に責任があり、妹や祖国はあくまでも被害者でしかないのだと判断させるためだ。
妹ならばそれを使って上手く乗り切ってくれると信じている。
祖国が帝国に吸収されたり、王家の姫である妹が人質として皇帝の後宮に入れられたりする程度で、事態の収拾を図ることができるだろう。
私がいなくなった後の混乱を最小限に留める為の努力しか出来ないというのも、もどかしい物だ。
悔いはある。
遣り残したものも沢山あるし、もっとやっておきたかった事もある。
だが、それには圧倒的に時間が足りない。
あまりに忙しすぎ、そして人手が足りなさ過ぎて、飾り布の持ち主を見つけ出すこともままならなかった。
私亡き後の後始末に奔走していなければ、見つけ出すことは出来たかもしれないが……言ってもしょうがないだろう。
どうせ、私は身代わりという事実ごと居なくなるのだ。
例え女であると相手に知られていようが、それは”私”が居なければ何の意味もない情報でしかない。
本当に私が女と知っていたのか、何を思ってこの飾り布を寄越したのか、髪飾りを何故届けたのか、聞きたい事は山ほどある。
もし私の秘密を知っていたのなら、それだけの能力のある相手であり、可能ならありとあらゆる手段を講じて仲間内に引き入れたい位だ。
どうあっても仲間に引き込めない人間ならば、抹殺するかその危険性を妹へ通知する位したかったが、酷く中途半端状態で放り出していかなければならない。
私が居なくとも、妹達は自力で乗り越える。そう思えど、やはり心配は尽きなかった。
不思議な事に、もっと死への恐怖で焦燥すると思っていたのだが、心は逆に静まっていた。
日一日と近づいているというのに、覚悟が少しずつ固まり落ち着いていくかのようだった。
時間が足りないことへの焦りはあっても、死への恐怖とは違う。
避けようの無い事実だからなのか、死という物を他人事に感じているのか、自分自身でも不思議なほど心は凪いでいた。
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間に合わないかとも思ったが……。
”彼ら”は随分頑張ってくれたようだ。私は手元の報告書に目を通し、口角が上がるのを押え切れなかった。
全て指示通りとのその報告が書かれたそれに蜀台の火を移し、陶器の容器へ落とす。
その中で報告書が完全に燃え尽きるのを確かに見届けた。
朱晋を死へと追い落とすための裏工作。彼が処分したはずの裏切りや不正の証拠をそれとなく復元し戻しておいたのだ。
これで明々後日に迫った狩猟会の為の最後の仕上げに入る事ができる。
これで心残りとなる物は玉印の行方だけだ。流石にはじめから諦めていた事だから動揺はしていない。
最悪の事態に備えて、私一人に罪を被せるための証拠品を残してはあるが、かなり不安ではある。だが、そのときに私はもうこの世には居ないのだ。どう事態が推移するか読みきれない部分だが、妹がどうにかする事を期待するとしよう。
やれるだけのことはした。私は十六年という短い生涯ではあるが、全力で駆け抜けてきた。全く悔いがないとはいえないが、まずまず満足できる人生だったのではないだろうか。
あと気にすべき事は私の死体の隠蔽方法について、従者達へどういい含めるかという事ぐらいだ。
だが、彼らは私の能力を知らない。
明々後日の命と急に聞かされ、納得する筈がない。
行く末を変え様と無理な行動に出ないとも限らない上に、計画を滅茶苦茶にされる可能性がある事も問題だ。
だが、”私の死体”という変えようの無い現実があれば、彼らは十分良い様に計らってくれる。そう期待しても大丈夫な程度には鍛えてきたつもりだ。
私の死は彼らに隠匿したまま、あの時刻に崖下にて待機するよう指示を出しておけば、彼らはもう手出しできない。
色々裏工作も必要な上に、あまり側にいられて気が付かれても困る。
そこまでは期待通り動いてもらえるように、書面で指示を出すとして、後は何が必要だろうか。
従者達への指示書をしたためながら、不足はないかと思考を巡らせていた。
思考に没頭するあまり、周りへの警戒がおろそかになっていたのだ。
普段なら決してありえない失態だ。
例え考え事をしていても常に気を張り詰め、寝ていたとしても僅かな気配で飛び起きるようにしていると言うのに、今は大丈夫だと油断していた。