五 腕比べ
実際に剣の腕だけを純粋に判断するなら、克敏の従者よりも玉祥のほうが上だった。克敏の従者は筋は悪くないのだが、剣筋はかなり荒削りで、いまだ発展途上であることが窺えた。
玉祥とのやり取りをみて、私はそう判断した。
克敏の従者は、普段から格上の相手とばかり立会いをしているのだと思う。
周りにいる克敏の側近達を思えば仕方がないのだろうが、その所為か無謀な打ち込みが多くとても危なっかしい。
玉祥がとっさに剣を引かなければ危うい場面が多々見受けられた。
克敏の側近達程腕があれば、それでも十分相手を押さえ込めるのだろうが、玉祥や私ほどの腕では怪我をさせないためにはどうしても引かざるを得ない。
命の取り合いならば玉祥が勝つだろうけれど、今はただの立会いで相手を死に至らしめるわけには行かないので、玉祥もそれで攻めあぐねていた。
そのせいで、一見するといい勝負になってはいた。
長引きそうだと人事のように眺める。
遠巻きに二人を囲んでそれを応援している皇子と側近達に、宮の召使達が飲み物を配って歩く。
私もそれを受け取ったが、のどが渇いてもおらず手に持ったまま見物していた。
次は自分かと思うと、じっとりといやな汗がわいてくる。
佑茜のことだから、たとえ負けても面白がるだけで責められる事はないだろうが……。
その時視界の端をよぎった人影に、一瞬だけ息を詰めた。
朱晋だ。
凝視しそうになる視線を無理やり外して、玉祥達の立会いに集中している振りをする。
動揺を悟られないように、詰めた息をそっと吐き出した。
特に隣に立つ佑茜にそれを気づかれないように。
少し前まで顔を合わせていた相手だ。見間違えるはずがない。
朱晋の個人的に懇意にしている第五皇子の宮は、克敏の宮とは隣り合っていたと思い出す。
おそらく第五皇子と接触を持つだろうから見張らせねばと思ってはいたが、まさかこのタイミングでそれを直に目撃する羽目になるとは予想もしていなかった。
眉を顰めないようにするのに酷く苦労した。
……本当に単なる偶然だろうか?
「二若、あれはお前の所の家臣じゃないのか?」
声が掛かり振り仰ぐと、顎をしゃくってそれを指し示した。
目を向けるまでもなく、佑茜が顎で指した先には、朱晋の後姿がある。
まるで心の中を見透かしたかのような巡りあわせに、ドキリとした。
佑茜は時折こんな風に、肝が冷える事を言い出す。
私の抱えている秘密を忘れるなと言っている様な気にさせる事が多々ある。
意識しての事ではないかもしれないが、もし佑茜がそんな態度をとっていなければ、秘密を抱えているという緊張感を保ち続けるのは難しかっただろうと思う。
未だ回りに私の性別がばれていないのは、彼のおかげと言えるのかもしれなかった。
そもそも佑茜は私が、女だと言う事を知らないのだ。そんな秘密を抱えていると知っているはずがない。だから、何故そんな態度を取るのか私には判らなかった。
「はい。我が国の家臣である朱晋と申すものです」
「ふん。名などどうでもいい。上司の主に挨拶する前に、他の皇子に挨拶するとはあからさまだな。阿呆と名高い皇子よりも、陰険皇子の方がましというわけか。全く家臣の鏡だな」
いやみな口調、猜疑心の篭った眼差し。
だがちらりと滲み出た色は、……心配? もどかしさ?
よく見ようと目を凝らすがすぐさま消えてしまって、判断つかない。
「申し訳ありません。朱晋も悪気があっての事ではないのです。決して佑茜様を蔑ろにしているのではありません」
私の言葉に、佑茜はどうだかなと冷たく返した。
わざわざ克敏の宮で騒ぎをこの時期に起こしたのはなぜだ?
朱晋の裏切りを私に見せ付けるためではないだろうか?
何度も家臣たちや召使の裏切りや王宮の様々な人間の思惑に振り回されて来て、こんな風にそれを匂わせるような場面に出くわした事は数限りないが、佑茜からの助力を得た事はない。
わざとなのか、偶然なのか、それとももっと別の思惑があるのか。
言葉よりも態度よりも、私は自分の見た色が一番信じられる。
佑茜は決して私を疑っているわけではない。
そんな事は、色を見れば一目瞭然だ。私に対し嫌悪や疎ましさといった色、警戒や裏切りの色を纏った事はないのだから。
それは判っているのに、どうしても佑茜を信用しきる事が出来なかった。
付き合いは長いが佑茜が鋭いのだか鈍いのだか、頭がいいのか悪いのか、それすらも私には未だによくわからない。
全ての感情の色が見えていた子供の頃から、佑茜の纏う色は複雑すぎて何を考えてるのかわからなかったし、時折見えるだけとなった今でも、難解すぎて理解不能だ。
判っているのは、私や玉祥は疎まれてはいないということと、ほんの少しの油断もならないということ。
本物の暗愚かと思わせることもあれば、全部演技なのではないかと思わせることもある。
非常に空恐ろしくなるほど頭が切れるように見える事もあれば、心の底から阿呆だと思うこともある。
底冷えするほどの冷淡さや冷酷さを見せたかと思えば、明るく朗らかな様子になったりと、その時々で印象をガラリと変え、まるで万華鏡を見ているかのような錯覚を与える人間だ。
真剣に見つめれば見つめるほど判らなくなり、果てにはその変幻自在な姿に酔って眩暈を起こしそうになるほどだ。
これほど判り難い相手は前皇帝以外に見たことがないくらいだった。
全く読めない相手だからこそ、自分の気持ちと信念だけで相対することが出来る。そして自分の信念だけで行動することが、不安にもなる。
全く読めない相手だからこそ、それに応じた対応が出来ない。出来ないからこそ能力を後ろめたくも感じない。
自分の能力でも読めない相手が主で良かったのか悪かったのか、私は未だに結論が出せないでいた。
内心の気まずさを誤魔化すために、手にしていた飲み物をぐっと一気にあおった。
!?
てっきり水だと思ったそれは酒だった。
カッと焼け付くような感覚に、私はむせ返った。
「ゴホゴホゴホ」
「……大丈夫か」
呆れながらも佑茜は背をさすってくれた。
「こんな度数の高い酒を一気に飲む奴があるか」
「さ、酒だと、思わ、なかった、ん、です」
切れ切れに何とか答えた。
普段から私は酒には一切手をつけない。
万が一でも痴態をさらして、性別詐称がばれたら終わりだ。
実際に酒に失敗したという話はどこでも聞く。
私がそうならない保証はどこにもないのだ。
危険は避けるに越したことはなかった。
「普段から少しずつ慣らしていけと言ってるだろうに」
呆れながらも、佑茜の手つきは優しかった。
しかし体がポーっと熱を持ったように火照って来る感覚はよろしくない。
次は私の立会いなのに大丈夫か。
更なる不安が沸き起こる。
長引いていた玉祥と克敏の従者の立会いは、そろそろ決着がつこうとしていた。
攻めあぐねていた玉祥だが、やはり地力は従者より上のようで、へばってしまっている従者に比べてかなり涼しい顔をしている。
体力だけなら玉祥よりも体格のいい従者の方が上なのだろうが、無駄な動きが多すぎて体力をずいぶん消費してしまったようだ。
それでも諦めようとはしないところはかなり根性がある。
皇子の従者をやれる身分なのだから、かなりいい家のお坊ちゃんであることは間違いない。
甘やかされ放題のお坊ちゃんにしてはかなり将来有望な人材だ。
さすが皇帝からの信任も厚い皇子だけあって、周りはいい人材が豊富だ。
やはり皇子自身の人望が物を言っているのだろうか。
ちなみに佑茜の側近は私と玉祥のみ。
もうちょっと我が主にも頑張って貰いたいところだ。