四十七
木々の開けた場所に出て、辺りを見渡した。
崖は高く切り立っており、所々潅木が生えているが殆ど足がかりとなるところも無く、落ちたらただでは済まないと言うのが一目でわかった。
その目の前の光景に、別の風景が重なるように映し出された。
二重写しのその視界の端を掠めるようにして朱晋が立っていた。
私は思わず振り返った。
朱晋は隠れていた木立の陰から飛び出し、真っ直ぐ崖めがけて走りだした。
思わずその動きを目線で追っていくと、その先にはほっそりとした人影が一つあった。
その人影へとわき目も振らず向かっていく朱晋。
足音に気がついたのか、こちらに背を向けていたその人が振り返り、そこに朱晋は腰に差していた剣を抜き襲い掛かる。
際どい所でその斬激を避け俊敏に距離を取る人物の顔がハッキリと見えた。
その人物の顔を目にした私は驚愕に目を見開いた。
何故なら、その顔は、襲われているその人影は、……私、だった。
食い入るようにその光景を見つめる。
”私”も剣を抜き朱晋に応戦する。
その応酬に足場とする場が激しく入れ代わり、二人は崖際へとジリジリと移動していった。
互いに致命傷を追わせられず、決定打を入れようと隙を窺いながらの攻防の中、剣を切り結びながら”私”と朱晋は一言二言言葉を交わす。
そして不安定な足場に意識を取られた”私”は、不意を突かれ大した抵抗も出来ないで手傷を負わされ、崖下へ落ちていき、私の視界から消えた。
我を忘れて衝撃的なその光景に息を詰めて見入っていると、両肩を強く捕まれ乱暴に揺さぶられる感覚に現実へ意識が引き戻された。
「……殿! 紘菖殿!」
その声にハッとして我に返ると、厳しい顔をした凛翔が目の前にいた。
「り、んしょ、う、様」
詰めていた息を急に吸った所為で、むせ返りながら言葉を紡いだ。
幻は既に消え去り、もう崖に落ちた”私”の姿も、もちろん朱晋の姿も見当たらなかった。
始めと同じ様に誰も居ない崖が空しく広がっているだけだった。
「いったいどうなされたんですか。大丈夫ですか?」
「申し訳ありません。考え事を、しておりました」
「……考え事?」
凛翔は酷く訝しげだ。
「眼の焦点もあってなく、まるで魂が抜けてしまったかのようでしたよ」
フワッと凛翔の身体を心配げな色が覆った。
病気か何かと思われたようだ。
本当に真っ直ぐで優しい皇子だ。佑茜だったら例え心配していたとしても素直に表現したりはせずに、嫌味のひとつも言ってそんな素振りを見せたりしないだろうと、何故かそんな事を考えた。
先程見えたあの光景は、稀に見ることの出来る未来視だ。感情を見ることと違い、滅多に起こりはしないのだが、見た未来が違えられた事はない。
私にとっては近い将来必ず起こる現実のひとつでしかないのだ。
問題はいつ起こることなのか、だ。
私の今の能力ではそれほど先を見ることは出来ない。おそらくは来年以降ということはないだろう。
精々が一月先か二月先か、その位までしか見る事は出来ないはずだ。
あまり頻度が多い訳ではないので絶対とは言い切れないが、まず間違いはなかろう。
しかも私が着ていた衣装は狩りの時に身につける衣装だった。
この近辺で行われる狩といえば、皇帝主催で催される狩猟会しかない。今年の狩猟は半月程の予定だ。つまり後半月で全ての決着が付く。
胸の奥がざわついている。
動揺しているのだと、他人事のように思う。
いつでも覚悟出来ているつもりだったが、それが現実として見せ付けられると、私の覚悟などしたつもりでしか無かったのだと思い知らされてしまった。
自身の死期すら目の当たりにしなければならないとは、なんと忌まわしい能力だろうか。
今までにも何度も命の危険を感じた事はあった。もう駄目だと命を諦めてしまった事もある。
それでも最後の時を目の当たりにするという事は全くの別物だ。
気分の良いものではないが、最後の時まで猶予があるということは救いだと思うべきだろうか。
何も準備できずに最後の時を迎えるのとは違い、事前に用意周到に整えておく事ができるのだから、良かったと思うべきだ。
動揺した心を落ち着かせるため、私はそんな風に己に言い聞かせた。
私が今日明日死んだ場合、多方面にわたって混乱をきたすだろう事は想像するまでもない。
国のことは妹がいる為、彼女が上手くやっていくだろうからとあまり心配はしていない。
それどころか私という枷を取り払えるのだから、そちらの方が理があるのではないだろうか。
だが、それ以外にも、私に個人的に雇われている者達などの処遇の件もある。
耀、條、伶の従者達の身の振り方も考えておかねばならない。
何よりも死んだ私の死体を処分する方法を残しておかねば、どんな問題が噴出するかわかったものではないのだ。
それらを片付けておかねばならないのだから、半月と言う時間は如何にも短いように感じる。
それとも、まだ半月あると考えるべきか。
準備をするのに十分すぎると言える期間ではないが、何とかしなければならない。
勿論、朱晋には私に道連れとなって消えてもらう。
黄泉路への連れ合いがアレと言うのは如何にも不満だが、妹達への最後の土産としようじゃないか。
私の口角が上がり冷たい笑みが浮かんだ。
「何でもありません。ご心配おかけして申し訳ありませんでした」
凛翔は不可解そうに首をかしげていた。