四十三
ガラガラガラという音に、意識が浮上する。
真祥が薄目を開けると薄暗い中に寝かされているようだった。
同時にガタガタとした揺れもある。
「----っ」
身じろぎをしようとして、彼は呻いた。
「目が覚めましたか?」
声に導かれて頭上の方へ目線を向けると、彼に背を向けた少年がいた。
「君は……」
「私は紘菖様の従者の耀と申します」
「どうして……いや、それよりも、どこに向かっているんだ?」
「帝都ですよ」
「……なに?」
「貴方は死んだことになっているはずです。若様から秘密裏に帝都にお運びするよう申し付かりました」
「それは駄目だ。妹が、」
起き上がろうとして再び呻く。
「あまり無茶はしないで下さい。怪我が酷いんですよ。背中の傷も塞がっていなかったですし、私は応急手当てぐらいの知識しかありませんから、無茶をされたら命の保証はできません。それから妹さんの事を気にかけておいでですが、彼女は無事保護されました。問題ありません」
「それは本当か?」
「はい」
その言葉に安堵の息をついた。
「怪我は、なかったのか?」
「大丈夫です。多少動揺しておられましたが、目立った傷はありません。また手荒な真似もされていないと保証いたします」
真祥はその言葉に眉を顰めた。
そこで話は途切れ、ただ馬の地面を蹴る蹄の音と馬車の振動音だけが支配していた。
やがて日が暮れ、馬車を止め野営する事となった。
真祥は耀の肩を借り馬車を下りる。
地面の上に引かれた毛布の上に横たわり、耀が野営するために準備するのを眺めていた。
一日馬車を引いて働きづめだった馬に水をやり、飼い葉を与え、丁寧に世話をしてねぎらう。
その後、林の中から小枝や折れた枝などを拾い集め、火打ち金と火打石で火を熾す。
川から水を汲み簡単な食事をこしらえていた。
「美齢のことをなぜ知っている」
焚火を挟んで向かい合う中、真祥は耀に尋ねた。
火にかけた鍋をかき混ぜていた耀は手を止め真祥を見やった。
もちろん、と耀は答える。
「美齢殿を監視していたからです」
監視していたという答えに真祥は目を眇めた。
「監視していた?」
「はい」
「妹が攫われ監禁されるのを、ただ黙って見ていたというのか?」
「若様からその様に指示されておりますので」
「……見捨てたのか?」
真祥の声音は低く非難するものだった。
「若様は、ギリギリまで介入するなとの仰せでした」
「……理由を聞こうか」
真祥のその強いまなざしにも、耀は揺らがなかった。
「若様とて州の内紛に介入する事はできません」
「……そうだった。紘菖様は伯達様のお味方でもなければ、都督の味方でもない。さっきの事は忘れてくれ」
耀は再び焚き火にかけられた鍋へと視線を戻した。
「貴殿の主は私を帝都に運び、一体何がしたいんだ?」
「存じ上げません」
ピクリと真祥は眉を上げる。
フッと耀は吐息を漏らした。
「直接お聞きになられる方がよいでしょう。私から何を聞かされても、おそらく納得はなさらないでしょうから」
「ああ。……その通りだ」
「ただ言わせて頂けるのでしたら、私にも申し上げる事があります」
「なんだ?」
「これから話す事は、全て私の推察になります。その事をお忘れにならないで下さい」
「わかった」
真祥は頷いた。
「おそらく、何らかの刑罰を与えられるとは思われますが、凛翔様が都督を処刑なさることはないでしょう」
「美齢を攫った犯人と言う証人がいるというのにか」
「犯人との繋がりを示す物的証拠が出てくる事と、処刑を選択する以外ないという罪状がなければなりません。凛翔様はどちらが欠けたとしたら、強権を発動し刑を断行するなどという事はなさらないでしょう。そもそも身分剥奪位はなさるかもしれませんが、あの方が処刑などと言う手段を選ぶとは思えません」
「……それで?」
「若様は……貴殿はそれに納得はしないだろうとお考えなのだと思います」
「そこまで知っているのか。……確かに、そうだ」
真祥は頷いた。
「都督は今回の不手際などを考慮すれば、最低でもその任を解かれる事となります。その後どうなるかわかりませんが、官吏としての身分を剥奪されるということも勿論考えられますが、他州へと飛ばされる更迭人事すらも十分考えられます。そうなっては貴殿には二度と手の届かない存在となってしまう」
「何が言いたいんだ?」
「貴殿に、そのための機会を、との事なのだと」
「……何故、そんなことを?」
「私には判りかねます。若様は多くを語られませんし、行動や言動から推察した結果に過ぎないのですから。ですが、若様は情を知る方です。おそらくは誰よりも慈悲深い。誰も見捨てる事ができず、たとえ犯罪者であろうと情けをかけてしまわれる。そしてそれを自覚されている。もし真祥殿や妹君を若様が公然と庇われれば、凛翔様や伯達殿、そして今後の州政としては色々困った事になったと思います。非介入は若様なりのギリギリの妥協点だったのです。ですからその見返りに、せめて可能性を与えるだけでもと、お考えになられたのだと思います」
ふうっと真祥は息を吐いた。
「……そうだな。確かにその通りだ。君の”若様”は、自分の身が危ないと分かっていながら、下っ端役人を見捨てられないお人好しだ」
耀は胡乱気に振り返った。
真祥は唇をゆがめる。
「火事の時、背中を怪我して意識のない俺を担いで、森の中を彷徨った。敵が襲ってくることを覚悟の上で」
「火事、ですか? 真祥殿は忠告を持ってきてくださった後、帰られたのではなかったのですか」
「帰ったさ。だが途中で火の手が上がるのに気がつき、引き返した。そして”若様”共々暗殺者に襲われた。知らないか? あの火事は伯達様の計略だったんだ。その伯達様からの追っ手がかかっているのに、俺がその伯達様の配下の者だと知っていながら、若君は俺を見捨てなかった」
「貴方とはお会いしなかったと証言されたのは、下手をすれば貴方を追い詰めるだけだというのに、あえてそれを選択したのは、伯達様に累が及ばないようにするためですね?」
「お前達にも話さなかったのだな」
耀はため息をついた。
「先程も申し上げたように、あの方は多くを語りません。語られる言葉の端々やその行動から、我々はそれらを察知し、自力でその答えを見つけられなければならなかったのです。つまりは私の未熟さゆえです」
「厳しいな」
耀はそれには答えなかった。