三十七
暫くすると凛翔が部屋にやってきた。
「襲撃を予測されていたのに、なんら策を講じないとは、どういうおつもりか」
開口一番そう抗議してきた。
用件はそれしかないだろうと思っていたが、これほどまで単刀直入に切り出してくるとは思わなかった。
「どうぞお座りください」
「紘菖殿!」
「はぐらかす心算はありません。まずは腰を落ち着け、話はそこからです」
渋々と凛翔は椅子に腰を下ろした。
「策を講じないのか、というお話でしたね」
「そうです」
私は真っ直ぐ凛翔を見ていった。
「それをする必要性がないからです」
「あの娘を見殺しにすると仰るのか」
「見殺しにする気があれば、そもそも従者達を潜ませてはおりません」
「助ける気はある、ということですか?」
訝しげな声だった。
「命の危険に晒される場合に限り、介入せよと申し付けてあります」
凛翔は暫し目を瞑り、私の返答を咀嚼している。
「積極的に救いの手を差し伸べる意思はなし、と言う事ですね。都督の犯罪と決定付けるためですか……」
「違います。我々が、彼らを裁く側の人間だからです」
非難の色を帯びた凛翔の言葉に、キッパリとそう反論した。
「彼女を保護する事は容易い。ですが、それをする理由は今のところ存在しなかった。その状況の中で保護を優先すれば、真祥側に肩入れしたと評されても反論できません。また、逆に真祥側への圧力のために、人質に取ったとみなされる可能性もあります。それは裁きへの公平性に対する重要な懸念となります。故に我々はあくまでも中立足りえなければなりません」
「言葉が過ぎました。紘菖殿の仰るとおりです。ですがあなたは今回の襲撃を予期しておられた。ならば必ず根拠となる理由があるはずです。それらを明らかにし、保護を優先しなかった理由にはなりません」
凛翔の言葉は最もだった。
だが……。
「根拠などありません」
「では、何故監視を?」
「幾つかの事実から導き出される推察によります。私とて確実に事が起こると、考えていたわけではありません。ですがその可能性は無視できないほど大きいと判断しました。だからこそ保険の意味を兼ねて従者達を動かしたのです」
「その推察及び事実という物をお話願いたい。無論、それを私に伏せていた理由もあわせて」
凛翔は強い口調で言う。
その身に纏う色から、腹立たしく思っておられるのだろうが、私に対し不信を抱いているわけではないらしい。
根が素直というか真っ直ぐというか、こういう人物は個人的には好きだが、政治家としてはもう少し人を疑わないとやっていけないだろう。
「前都督から、現都督への政権移譲についてです」
私はそれを話し始めた。
「現都督がその地位に着いたのは、前都督が不慮の事故でなくなったためです。それはご存知ですね?」
凛翔は黙って頷いた。
「その時、事故死を装って殺害を計画したとの疑惑により、祭伯達は失脚しました。ですが肝心の証拠らしい物は出てきておりません。それゆえに祭伯達は命拾いしました。これが第一の事実です」
「祭伯達がその様な事をするわけが無いと仰るのですか?真犯人は別にいると?」
「そこまでは申しません。次に、現都督は、それらの騒動が収束するまで、前都督の残された子供達を”保護”しておりました。祭伯達に殺害される危険性があるという名分です。これが第二の事実です」
「妥当な線といえますね」
凛翔は頷く。
「最後に第三の事実です。その残された子供というのが、真祥であり、その妹だと申し上げたら、どう致しますか?」
凛翔は大きく目を見開いた。
「まさか……」
「これらにより、私はひとつの仮説を立てました。無論何一つとして証拠はありません。そしてそれは凛翔様へ、余計な先入観を与える結果になりかねません。故にお話いたしませんでした」
凛翔はため息をついた。
「”恩人”であるはずの人間を窮地に陥れる可能性の高い証言、そして祭伯達への心酔ぶり。……事実は反対、と言う事ですね。汚名を着せられながら表舞台から去った伯達への、二人は人質であったというわけですか。確かに、真祥が復讐に駆られて証言したのではないか、都督はそういった事をするのだから、今回のような事をしても不思議ではない、といった思いは抱いたでしょうね。貴方はだからこそ、同じ手段を使うのではないかと、従者達に見晴らせていたのですね。言い分はわかりました」
「ご理解いただけ幸いです」
「他に、私に対し伏せている事はありますか?」
これまた直球だ。
「勿論あります」
しれっと私は答えた。
凛翔はキョトンとした顔になった。
「面と向かって尋ねられることも大事でしょうが、あまり好ましい手とも申せません。カマをかけるなり、裏を探るなり、相手の言葉を鵜呑みにする事ほど危険はありませんよ」
「駆け引きというものですね」
微妙な苦笑が帰ってきた。
「紘菖殿にそれをする必要性を感じないのですが……ご指摘の通り、私は人の裏を見抜くというのが苦手なのです」
私に必要がないというのは、それをしなければならないほど手強い相手ではないという意味だろうか。それとも、政治という問題において、彼を騙して利を得ようとすることは無いと信じ、確信しているという事だろうか。
とっさに判断に困る返答だ。
前者ならば侮ってもらえるのならば、幾らでもと言いたいのだが、後者であった場合、そんな風に買いかぶられるのはあまりよろしくない。
「無理に変える必要はないでしょう。凛翔様は凛翔様です。ですが、そのままというのも危なっかしいのも事実です。宮殿には貴方の権力を利用し、果てには奪おうという輩は掃いて捨てるほどいるのですから。一人そういった方面に強い者を傍に置かれれば良いでしょう」
「検討してみます。それで、紘菖殿の隠しておられる事はなんでしょう?」
神妙に頷き、訊ねてきた。
やはりはぐらかせなかったか。