三十二
近くにある街の宿屋を貸しきり、そこで滞在する事となった。
ぬれて冷え切った身体を温めるため風呂に押し込まれた。
その間に従者達はけなげな奮闘を見せ、湯から上がるまでには着替えなどが揃っていた。
衣装など荷物は全て焼失したため、急遽揃えさせた衣装を身に纏う。
私はまだしも、凛翔にはあまり相応しい衣装とはいえない。
妾妃であろうとも凛翔は皇子で、そこらの貴族が着るような服など身につけたことはないだろう。
凛翔は火事の後始末をすると言って、いまだ宿舎跡で指揮を取っている。
風邪を引かぬようにと私だけ先に宿屋へ向うよう指示されたのだ。
自分は大勢入り乱れる現場に留まりながら、護衛の半分を私に割いた。
克敏皇子の弟君で剣の腕に自身がお有りかもしれないが、無用心だと思う。
今回危ない目にあったのは私だが、凛翔が危険と言う事もまた厳然たる現実として立ちはだかっている。
皇子なのだから自分の身を最優先にして守るべきなのだ。
ただの一臣下の事などにそこまで気を回すべきではない。
兄弟、なのだなぁ。
すぐ上の兄とまるで同じ様なことをする。
佑茜は今頃どうしているだろうかと、そんなことを思った。
風呂から上がり耀に着替えを手伝わせている間、従者達の様子を観察した。
程度の差はあれど、3人供一様に私に対し腹を立てている。
さて、一体なんだろうか。
十中八九は先程の襲撃の件だとは思うが、正直面倒にも思う。
「どうしてですか!」
長椅子に腰掛けると、條がさっそく食って掛かってきた。
「何がだ」
「何故私が戻るのを待ってくださらなかったのですか!凛翔殿下は確かに大切です。でも、」
「條、止めろ!」
耀が声を上げた。
「だけど!」
「俺に任せて欲しい」
條は耀の押し殺した声に口をつぐんだ。
耀がこうして怒りを見せるのはかなり珍しい。
怒りを感じていてもそれを見せないだけの自制心があり、それは3人の中で一番上手だった。
私自身も片手に数えられるくらいしか見た事がない。
伶が條の肩をたたいた。
諦めろ、という意味だろう。
「若様は、ご自分が狙われると判っていて私を凛翔様の下へ遣いに出されたのですか」
耀は確信を込めた声で言う。
私は肘掛に腕を乗せ頬杖をついた。
「可能性はあると思ってはいた」
「もし、万一の事があったら、どうするおつもりでしたか」
「私のしぶとさはお前達も知っているだろう」
「泳げもしないのに川になど飛び込まれて、運が良かったではすみません」
「実際に私はこうして生きている。なにが不満だ?」
ため息混じりに言えば耀はギリッと奥歯をかみ締めた。
「若様に万一の事があれば国は立ち行かなくなります」
「それは違う」
私は耀の言葉を即座に否定した。
「10年前とは事情が違う。今”私”がいなくなったとしても多少の混乱はあれど、何も変わらない。”一姫”がお前達の誰かと結婚し、子をなして継いで行くだろう。なべて世は事もなし、だ。それに万一の場合は、以前話したとおりに処理してくれる、とお前達の事を信用しているしな」
だからこそ最悪の事態になったとしてもなんら心配をせずにいられるのだ。
バンッと耀は目の前の机に手を叩き付けた。
「いい加減にしてください!」
耀が私に向って言葉を荒げたのは初めてだ。
「なぜそこまでご自分を粗末に扱われるのですか!若様に何かあったら姫様がどう思われるか!!」
「知っている。それに、お前達もだ。泣いてくれる人間がいるというのは幸せなことだ。そうだろう?」
「そんなことを言っているのではありません!」
「違わないさ。お前達は”私”を知っている。そしてそれを悲しいと思い助けようとしてくれている。どれほどそれが私の力となっているか判らないか?国の為に、民の為に、その他大勢の為に、私は自分の命を使うことに疑問は無い。それが私の生かされている意味で理由だからだ。それでも何もかもが馬鹿馬鹿しくなって生くる事に厭くこともある。私がそこで踏みとどまってこられたのは、お前達のような者がずっと側で支え続けてくれたからだ。感謝もしているし、幸せなことだと思っている」
「若様がご自分を犠牲になさる事を厭われない。その事に憤っているんです。はぐらかさないで下さい」
ため息をついた。
「私とて命を粗末に扱おうなどと思ってはいない」
「でしたら、なぜ私を凛翔殿下の下へ遣わされたのです。危険だと判っておられたのでしょう」
話が元の位置に戻ってしまった。
苦々しくそれに答える。
「護衛を数人残してもらえばその者に連絡を頼めたのだが、あの時は他に手段がなかった。残していってもらうよう凛翔様に頼まなかった私の失態だ。予備知識なく襲撃されるのと、そうでないのでは危険度は全く違う。凛翔様の安全を確保する為にも、私が多少危険になるのはやむを得なかった。條か伶が戻るまでに襲撃が無いとも限らない。どちらかが戻ってくるのを悠長に待てなかった」
フウッと息をつき、耀は怒りを飲み込んだ。
「あの時危険を報せに来た方は、若様を一人にするための罠だったようにも見えますね」
耀はそういった。
ある意味そうだろう。
私の側にそこまで人がいないとは予想していなかったのではないか。
真祥は私に危険を知らせた後、人目のある場所にいる予定だったと思われる。
そして実際に襲撃され、それを知らせた真祥は目撃者として有効な証人となる。
だが真祥は私に火事を知らせに戻った為に、襲撃時に姿が見え無いという事になった。
犯人かその一味だと都督から責められることになるだろう。
何せ私は、『襲撃時は忠告をしに来た真祥にはあっていないし、火事の中自力で脱出した』ということになる予定だからだ。
真祥にはなんとか切り抜けて欲しいとは思うが……。
これから待ち受けているだろう彼の苦難を思った。