三 騒動
佑茜の兄皇子である克敏は、現皇帝の第四皇子である。
生真面目で優秀な武人である克敏は、一言で言えば佑茜とはまるっきり正反対の人間だった。
優秀で帝国内でも重要な地位についている克敏皇子は、母の地位が低く、そのために次期皇帝となることはありえなかった。
そしてそれを理解しているから、あえて中宮の中でも端に位置する宮を皇帝に自ら願い出て賜っていた。
対して佑茜の母は正室であり、賜っている宮も皇帝の居住に程近い中央部付近にあった。
克敏の宮へ向かうとなると、宮殿の端へ移動する事になる。
つまり中央部よりも人の行き来は少なくなっていくのだが、途中から歓声らしき音が聞こえてきた。
前宮と違い、皇族が暮す中宮は歴然と人の行き来は少ない。
しかも立ち働く召使らは住人達である皇族の不興をかわぬよう、どのような時でも静かにそして影のように存在感を希薄にして仕えている。それがあのように歓声が上がるというのは、それだけで非常事態といってよい状況だった。
まず間違いなく、私達の主である佑茜がこの騒動の元なのだ。
私は思わず玉祥と顔を見合わせた。
お互いに同じ事を考えているのが、手に取るようにわかった。玉祥とも佑茜と同じだけ長い付き合いだ。互いの性格など知り尽くしているし、どんな事を思うかも判っていた。
「今度は何だろうね」
玉祥はのほほんとした様子でいった。
なぜ彼はこの状況でのほほんとしていられるのか、私にはその神経がとても信じられない。だが、それが玉祥なのだ。人が好くてお人よしで、善意の塊。どれほど騙されても、人を信じる事をやめない芯の強い人だ。なぜ玉祥のような乳兄弟を持っていて佑茜は一筋縄でいかず油断のならない人間なのか、むしろそっちの方が私には不思議でならなかった。
「さあ……」
佑茜とは付き合いは長いが、今だにあの思考回路は読めない。
何をしでかすか全く予想がつかないのだ。
「前のようにどちらが女性にもてるか競い合ったりするかな」
クスクスと楽しげに玉祥は言う。
途端嫌な記憶が甦り、私は渋い表情で言った。
「それは言うな」
少し前の騒動とは、兄皇子と佑茜がどちらが女性にもてるか、競い合ったことだ。あの生真面目で無骨な克敏にどうしてそんなことを了承させる事が出来たのか、未だに私には理解できず不思議に思っているのだが、ともあれ馬鹿馬鹿しくも不真面目な競争に私も巻き込まれた。
身分がばれないよう裕福な商人風の変装までして、二人の皇子は部下を引き連れて街へお忍びで出かけたのだ。
そこで通りすがりの女性達に声をかけまくり、どちらがより多くの女性と仲良くできるか競争した。
皇子達だけではなく、その部下も一緒になっての競争に、私も駆り出されたのだった。
しかめつらな私とは対称的に、玉祥はひどく嬉しそうな表情だ。
「何でさ。君、凄くモテてたのに。うれしくないの?」
「あの後私がどれだけ大変だったか! 玉祥は参加免除なのに、不公平だ!」
声をかけた女性方にやたらめったら撫でくりまわされて、恥ずかしいやら、女とばれないかヒヤヒヤするやら大変だった。
事情を知らない玉祥は、ニコニコとどこ吹く風だ。
「僕は婚約者いるし、浮気は出来ないよ。二若にも将来を誓い合う相手がいれば、佑茜様だって無理強いはしないよ」
もっともな台詞だ。
どれほど傍若無人な振る舞いをしようと、佑茜は不思議とそういった気遣いだけはするのだ。
もし私が本当に男なら、いや、本物の二若ならとうに婚約者はいたに違いなかった。
だけど私は偽物で、性別すら違う。
ここまで長く身代わりを勤めるとは予想外だったのだ。
うちの国は王位を継承出来るのは直系男子のみ。
そして本物の二若は、ただひとりの王位継承者。
結婚は早ければ早いほどいいし、子供は可能なだけ早く欲しいのが実状だ。
万が一の事態を考えれば、とても切実な事だった。王位継承者が居なければ、国は空中分解し、民の生活に大打撃を受けてしまう。
でも、それは出来ない。本物の二若は、私の手に届く場所にはなく、私がどれほどその力を振るおうと、二若にそれを強制できないのだ。
黙りこくった私をどうとったのか、
「大丈夫。いつかは必ず好きな人と出会えるよ」
と玉祥は優しく励ましてくれた。
ちなみに玉祥は子供の頃から想い合った少女と正式に婚約して、幸せいっぱいの状態だ。
近いうちに婚礼をあげることも決まっている。
私の目の前で友愛の色が玉祥の身体を覆った。
口さがないものは、彼を八方美人だなんだとけなすが、玉祥の言葉はいつだって本心だ。
幼い頃より見続けてきた私には判る。
色を見えない人には解らないだろうが、彼の言葉と纏う色が違えた事などなかった。
もっとも、小さいときと違い今の私の力はでは、いつでもどんな相手でも心が見えるわけではない。
今ではわずかに私に向けられた強い感情を色として認識できるだけ。
その私が判るくらいはっきりとした感情を向けられることは、余り多くはない。
人は様々な事を想うし、いろんな言葉にされる事のない感情を胸に抱えている。
だから特定の個人に強い感情を向けるということは、なかなか難しいことなのだ。
力が減ってしまってからは、大概は怒りなり、嫌悪なりの悪意を含んだ感情ばかり目にする。
玉祥のような、きれいな想いしか含まない感情の色を目にすると、とても心が安らいだ。
これから待ち受ける騒動を思い返しげんなりとした気分が湧き上がるが、それもまあいいかと思う程度には気分がよかった。