二十七
泳ぐ練習をする機会がなかったわけじゃない。
だが、そんな事をすれば一発で性別がばれてしまう。
そのため私は風呂以外の水につかったことはない。
佑茜や玉祥、他に貴族の子弟達が川で水遊びしているのを、いつも横目で眺めている事しかできなかった。
こればっかりはどうにもならない。
そして私は泳ぐ事が出来ないまま成長してしまった。
その泳げない私が深い川に飛び込んだら確実に死ぬ。
まだ地面の上に飛び降りて足を骨折したほうがいくらかましだ。
真祥の腕を外し、彼を窓へ押しやろうとした。
だが、逆に肩布を強くつかまれてそれを阻止された。
なんだ?と見返せば、
「大丈夫です。私が必ず岸までお連れします。お任せください」
力強く何かを決意したような声音。
「ま、」
待てという前に、そいつは私を荷物のように小脇に抱え、窓から飛び出した。
真っ暗な中をまっさかさまに落下していく。
視覚的な恐怖はないのだが、その風きり音が水面に向って落下しているのを私に教えた。
数瞬の浮遊感の後の凄まじい衝撃に、私は意識を失った。
手足にガツガツと何かがぶつかる感覚に意識が浮上する。
体の腰から下はまだ水の中で、足先が川底で引きずられているようだった。
水から上がったかと思うとドサッと投げ出され、本格的に意識が覚めた。
とたんひどくむせて盛大に咳き込んだ。
すぐ横に別の人間が倒れてくる。
ゼイゼイと荒い息をついて息も絶え絶えと言った様子だった。
空を見上げると己から見て右手前方が赤く光を放っている。
視界を妨げる木々の上に赤く照らされた空の様子から、火勢は衰えることなく燃え続けている事がわかる。
大分遠くに見えることから随分と流されたらしい。
真祥は力尽きたようにグッタリとして目を閉じた。
怪我をした状態で私を抱えて泳ぎきったのだから当然だろう。
むしろよくぞ泳ぎ切ったものだと感心するほどだ。
川原に横たわっていた身体を起こし、真祥の怪我を見た。
ぱっくりと開いた傷跡は綺麗なものだが未だ血がタラタラと流れ出ている。
斬られてからそれなりに時間が経っている事、今まで水の中にいたことも考えると血がかなり出てしまっていることが予想できた。
これ以上血を失うのは拙いだろうと、私は上着を脱ぎそれで患部を縛った。
とはいえ患部が背中であるため、布地を当ててきつめに胴体を締め付ける事ぐらいしかできない。
早く医者に見せてやる必要があった。
火事場にそのまま素直に戻るのは身の危険が高い。
民家のありそうな方角はどちらだろうかと空を見上げる。
近くの民家を見つけて医者を呼んでもらい、そこを拠点にしつつこっそり凛翔に繋ぎをつけるのがいいか。
宿舎消失という失態に、都督がどんな言い訳をしているか見ものだなと思う。
皇帝への報告書の類は凛翔も持っているので、その点については心配はしていない。
予定とは違ったが、今ここで“私”という存在を殺してしまってもいいような気はする。
このまま姿をくらましこっそり国に戻って、本来の私の居場所に戻る。
火事で死んだということにしておけば遺体が見つからずとも多少の疑惑程度で収まるだろう。
そういう選択肢だってある。
あるにはあるのだが……今それをするのは問題があった。
第五皇子の宮から盗まれた極印の事だ。
少なくともあれに決着がつくまでは姿をくらませるのは得策ではない。
万一の場合は国に累が及ばないよう、私1人の首で済ませられるようにしておく必要がある。
例え私が身代わりでしかなくても、いや、身代わりだからこそそれが出来るのは私しかいない。
身代わりを降りるには千載一遇の機会なのは間違いないが、やはりそれは出来そうにない。
いつまでもボンヤリしているわけにも行かず、今回の件をそれなりの形に治めるべく地面から立ち上がった。
真祥はかなり大柄で、とても背負っては歩けない。
両腕を掴み意識のない真祥を背負うような形で担ぎ、ズリズリと引きずっていく。
少しでも油断すると真祥の膝が地面につきそうだった。
幾らも進まないうちに全身から汗が噴出し、息が上がっていく。
近くの民家を見つけるまで体力が持つかかなり不安だ。
身長だけで見れば佑茜よりも真祥の方が大きいだろう。
無理をすれば玉祥程度の体格をした人間ならば背負えなくはない。
しかしこれが佑茜になると更に頭一個分背が高くなり、とても背負えたものではないのだ。
その佑茜よりも更に背が高いとなれば引きずるのさえ一苦労だった。
体格は佑茜の方が多少筋肉質に思えるから体重は恐らく変わらないはずだが、縦に長い分バランスも取りにくい。
文官ならもっとなよなよとして背も低くあるものだろうと、内心で悪態をつく。
ただでさえ衣服が濡れて張り付き動きにくく、牛歩のような歩みとならざるをえず、酷くもどかしかった。
ずしゃ、ずりっ、ずしゃ、ずりっ。
川原の石を踏みしめる音と重いものを引きずる音が暗闇の中交互に響く。
命を狙われている人間としてはもっと静かにひっそり行きたいところだ。
これではここにいますよと喧伝しているも同じだ。