二十五
凛翔は都督に招待されて宴に出席している。
私も誘われたがあまり日がなくやる事があるからと、辞退させてもらった。
宿舎の自室に篭り資料を作成・整理していた。
カタリと微かな音と共に従者の耀が入ってくる。
「若様、お客人が参られております」
身に覚えのないその客人。
誰とも合う約束はしていない。
訝しい思いを抱えながら居間に行くと椅子に座っている人間がいた。
見覚えのある人間だ。
庁舎内で何度か顔を見た。
そして庁舎内での反都督派筆頭。
そしてもう一つ。
始めてこの部屋に入ったときに幻視した背後から切られた人物。
あれは、これから起こる事なのか。
半ば確信を持って思う。
「一体何の用だろうか?」
正面に座り切り出した。
まどろっこしく遠回りになどしない。
そして意識を周囲に巡らせる。
あれをする何者かが潜んでいるはずだ。
ほぼ、確実に。
おかしな気配がないか、それこそ最大限に意識を凝らせた。
「お知らせする事があり参じました」
「知らせ、と?」
「はい。都督が殿下方を排除すべく、人を雇った模様です」
なんとも安直に手がかりが飛び込んできたものだ。
逆に罠ではないかと思ってしまう。
真祥といったそいつは頭を下げる。
「お疑いはご尤もと。ですが偽りを述べているわけではありません」
真摯な目つき。
そして深い案じる色。
なるほど嘘をついてはいないと言う事か。
「信じよう」
言う。
「ありがとうございます」
「何を見た。いや、聞いたのか」
真祥は頷いた。
「先程、何者かと話しているのを耳に致しました」
「何者かとな。姿をはっきりと見たわけではないのか」
「その通りです。申し訳ありません。姿を確認しようとした所、一足遅く逃げられました」
「逃げられた?お前が潜んでいる事に、話を聞いていることに気づかれたのか」
真祥の頷きに私は考え込んだ。
「耀」
控えていた従者に声をかける。
今現在、私の側にいる従者は彼だけだ。
残る2人、條と伶は私の命で出ている。
「凛翔様に、危険を耳打ちしてくるんだ。無理であれば側近の方々でも構わない。護衛達をそろえ防備を固めさせよ」
「それでは若様が」
「よい。急げ」
渋る耀に重ねて命じれば、渋々とした様子ながら出て行った。
「他におられないのですか」
真祥はいう。
「見ての通りだ。とりあえず礼を言って置こう。よくぞ知らせてくれた」
暗に戻るようにと促す。
それを受けていいのだろうかと真祥は躊躇しながら部屋を後にして戻っていった。
ふむ、とりあえずは真祥が切られる事はなかった。
あれはもっとずっと先の未来のことなのか。
それともあの出来事は回避できたと言う事か。
一体どっちなのだろうなと思いながらも、書斎代わりにしている部屋で作業の続きに戻った。
姿の見えない暗殺者がどこかにいると言う事実は決して忘れない。
周りの様子に神経を尖らせながら書類に目を走らせ、必要な事柄を書き付けていく。
緊張状態というのは私にとってはなじみの感覚だ。
意識しすぎて作業効率が極端に落ちると言う事はなかった。
微かな物音が響いたような気がし、私は手元から顔をあげた。
息を潜めて耳を澄ませる。
やはり僅かに聞こえる。
なんだろうかと脇においてあった剣を手にした。
「紘菖様!」
先程出て行ったばかりの真祥の声がして、私は部屋の入り口のほうへ向う。
続き部屋となっている居間に入ると、緊迫した様子で真祥が飛び込んできた。
「火事です!急いでお逃げください!」
私は警戒しつつも窓に寄って慎重に外をうかがう。
窓の外すぐに人の気配はない。
僅かに顔を出して見ると、赤い火が壁を侵食しようとしていた。
火元は私の居所から離れているとはいえ、危険である事に変わりはない。
火事に気がついた数人が水をかけて消火しようとしているが効果はあまりなさそうだった。
「紘菖様、お急ぎください!」
真祥は荒い息をつきながら重ねて促してくる。
よほど急いで来たのだろう、流れる汗がそれを物語っていた。
私はそれに頷き入り口へと向った。
真祥は私の背後につき従いついてくる。
「宿舎にいた他の者たちの避難はどうなっている」
「もともとこちらへは殆ど人員が配置されておりません。本日の宴に出席される殿下に付き従い、その者達も空けている筈です」
はっ、成程な。
始めから謀られていたということか。
よくぞ人のことを虚仮にしてくれた、と私は冷たく思う。
この礼は他の方法でたっぷりとって貰うとしようと心に誓った。
「危ない!」
といきなり背後から強く突き飛ばされ、私は前に投げ出された。
身体を捻って後ろを確認すると、真祥が私に腕を突き出すような形でのけぞっていた。
きらめく白い輝きを確認するまでもない。
あれはこの瞬間の出来事だったのか。
真祥の更に向こう側には黒く人影があった。
前方の部屋の入り口には注意を払っていた。
そこから人が入ってきていないのは間違いない。
そしてこの居間の窓の外には怪しい人員は何もなかった。
ではどこから入ってきたのか。
先程まで作業をしていた部屋、そこのどこかに潜んでいたか、その窓から入ってきたかしたのだろう。
ここまで私個人を狙うというのは、少し違和感を感じた。
これほどあからさまな暗殺を実行しては、ただ疑いを深くするだけで益はないはず。
都督自身もここまで大掛かりにする予定などなかっただろうし、都督だけの思惑とは思いにくい。
つまり、私を狙う勢力が都督と組んで、もしくは都督を唆して動かしたかしたのではないか。
やってくれるじゃないかと、暗殺者を前にして私は皮肉な笑みを刷いた。