二十三
通りの向こうから歩いてくる姿に、彼は喜色を浮かべた。
二階の窓から通りを見下ろしていた彼は、すぐさま階下に走り建物の入り口へ移動した。
勢いよく店から飛び出すと、逆に入ろうとしたその人物とぶつかりかけてしまった。
「何だ。危ないだろ」
いたって普通に苦情を申し立ててくる。
「お前!どこほっつき歩いてたんだよ!」
華麗に苦情を無視して彼はその人物を怒鳴りつけた。
「別に」
気のない返事であしらい、店の奥に向かっていく。
「イチ!こっちがどんだけ気をもんだか判ってるのか!?」
彼はその後を追いながら詰る。
「いつもの事だろ」
「いつもって、おいこら、ちょっと待てって!」
イチと呼ばれた男はどんどん奥に向かって進む。
彼は仕方なしにその後をついていった。
店の中には他に耳目もあり、彼のしたい話には憚りがあるのも事実だった。
従業員専用で、他に人に聞かれる心配のない小部屋に入り、彼は切り出した。
「ちゃんと説明しろよ」
「だから何をだ」
「王宮に忍び込んだんだろ!?んでなんだか凄い財宝を盗んだんだって、街中もちきりなんだぞ!」
「いつもの事だって言ってるだろうが」
イチはウンザリといった様子を崩さない。
「王宮なんだぞ!?どこがいつもと一緒だ!そこらの貴族の屋敷とは違うだろう!!」
彼は怒鳴り、大きく息をついた。
「頭はお前だ。お前の決めた事なら俺たちは従うだけだ。だけど何も言ってくれなきゃ手伝いようもないだろ」
イチは気だるげに見返す。
無気力なその様子に彼はいい募る。
「お前が詮索されるのが嫌いな事は知っている。徒党を組む事を好まない事も。だけど俺たちは、俺は、そんなお前だからこそ力になりたいと思っているんだ。足手まといな事も知っている。だけど王宮だなんて危険な場所に1人乗り込むのを見過ごせるほど俺は人が出来ていないぞ」
イチはガリガリと頭をかいた。
「だから、そんな大した事はない。王宮に入る事自体初めてでもないんだ」
「今までにも?1人でか?」
「ああ」
「何しに」
「……」
答えないイチに、彼はハッと気がついた。
「悪い。聞かない約束だった」
「いいさ」
事も無げにイチは言う。
「王宮に入ったのは、本当なんだな?」
「ああ」
「大逆の証を盗んだって」
「そんな大それた物じゃない」
彼はそれを信じなかった。
「それを隠すために今日までほっつき歩いていたんじゃないのか?王宮からここまで数刻もかからない。なのにこの二日というもの全く音沙汰なしと来た。そうなんだろ?」
イチはニヤッと笑うだけで明言はしなかった。
だが、彼にとってはそれで充分だった。
「どんなだった?やっぱ相当なお宝なんだろう?」
「さて、どうだったか」
イチは頭の後ろで腕を組んで空惚ける。
ふと袖口から包帯が覗いているのを発見した。
「怪我しているのか?」
腕を見、イチは苦笑した。
「手当ては」
「したさ」
「第四皇子はそれほど手練なのか」
「違う。第七皇子だ」
イチは珍しく真面目な顔をしていた。
「はぁ?あの馬鹿皇子?」
ギロッとイチは睨む。
彼はその迫力に口をつぐんだ。
「馬鹿は馬鹿でも、ただの馬鹿じゃない。俺の逃走経路を先回りして、たった一人で待ち伏せしてやがった」
「1人?お前が、一対一で手傷を負わされたのか?」
愕然として彼はきいた。
「そんなとこはどうでもいいんだよ!」
珍しくイライラとした様子を顕にしていた。
「じゃあ何だって言うんだ」
彼は内心で驚きながら聞いた。
普段のイチは、例え腹を立てていてもそれと見せないような所がある。
あまりにもらしくない態度だった。
「俺の行動を先回りしていたって事だ」
「あ?……もしかして、顔見られたのか?」
「見られたが、そうじゃないっての。人員配置や抜け道を全部把握していて、それらと王宮の動きを鑑みて俺の逃走経路を割り出し、先にそこへ回りこんでいたって事だ。ただの馬鹿に出来る芸当じゃないだろう!」
「中に詳しい皇子なら簡単だろ」
「あのな、優秀だって噂の第四皇子なら、それもまあ納得したさ」
「ああ……あ!?だからただの馬鹿じゃない、と」
尋ねたがイチは答えなかった。
イチは既に心ここにあらずの状態だった。
何時もの様に何事かを無心に考え込んでいた。
そうなるとどうしようもない。
食事の時間になっても気が済むまでは何も答えなくなるのだ。
やれやれと立ち上がり、仕事の続きに戻ろうとした時、それが耳を打った。
「あいつは、邪魔だ」
ぼそりと独り言のようなそれ。
暗く陰鬱な響を伴ったそれは、普段のいい加減なイチとはまるで別人のようであった。
彼は振り返ったが、イチはあさってを見て深く思考の中をたゆたっていた。