二十一
随分と順調に事が運ぶ。
怖いくらいだ。
今日の宿舎に向かいながら、そう考えていた。
都督から書類を駄目にしてしまったので、明日の朝に届けると確約を受けたのだが、よもや無事な書類が存在しているとは思っても見ない様子だった。
女官の粗相を装って書類を駄目にしようと言うのは、平和的でとても現実的だ。
それは評価してもいい。
今までには事故を装って従者達に直接的な危害を加えようとする馬鹿や、暴漢を嗾けるなんてとんでもない阿呆もいたから、それらに比べれば非常にまともな神経をしている。
もっとも庁舎内でその様な事をすれば即首が飛ぶ。
むしろ首謀者が誰かなど聞かなくてもわかる時点で能力の無さが窺い知れると言うものだ。
前記の二タイプはまともに視察をする前に即刻処分をしてやったからある意味手間が省けてよかったが、さすがにそこまでの頓馬ではなかったようだ。
都督の見ていない場所で、従者の條からこっそりと書き写した書類を受け取った。
明日の馬車の中ででも凛翔と共に、都督の出してきた書類もあわせて精査するとしよう。
大人しいと評してもよい凛翔を思い、つい苦笑した。
佑茜が視察にいく場合は、絶対にこんな風に事は運ばない。
例えば今後の予定をつめて都督と話し合っていたときに、佑茜ならばつまらんとか言って1人で護衛もつけずにフラフラと席を外すくらいはする。
庁舎内を視察するときだって案内をする役人達をからかったり、わざとまぜっかえしたりと、普通に終わる事はない。
話し合いで決まった視察先も、まるで思いつきのように変更されるし、予定通りに事が運んだ事はない。
苛立たしいのは滅茶苦茶にしているだけに見えて、その実酷く効率が良いものになる事だ。
佑茜が見たいと言い出した視察先ではまず大きな問題を発見するは、無理難題を述べているようで、ウッカリ役人達がボロを出すように誘導している。
どこまで判っていやっていて、どこまでが偶然なのか。
暗愚の振りをして行われるそれに、私はただ踊らされるばかりだ。
それが途轍もなく悔しい。
責任ある地位が面倒でわざと暗愚の振りをしている阿呆か、そういう振りをする事で何かを狙っている野心家か、それとも本当に偶々上手く行っているだけで真性の愚者なのか、判然としないのだ。
凛翔は非常に真面目で善良な皇子だがいかんせん素直すぎで、頭は良い様だが、人を疑うと言う事ができない性質で、簡単に騙されてしまいそうだ。
そういう部分を補える側近がいなければ、王宮内でやっていくのは難しいかもしれない人だ。
今までは兄の克敏がそういう分野を補っていたのだろうが、いつまでもそのままで済むはずがない。
だからこそ私や玉祥と知己を結ぶよう進言したのだろう。
私は必要以上に人の裏を見ようとするし、玉祥は逆に人が良すぎて凛翔にその”人の良さ”がもつ危うさを教えることになるはずだ。
案内された宿舎の貴賓室に入る時だった。
目の前に男が現れた。
後姿だからはっきりとは判別できないが、見たことのない男だと思う。
官服とは違い、私服を緩く着崩し、だが粗野な雰囲気のない男だ。
男の背に金属のきらめきが走り、直後赤い線が背中に真っ直ぐ浮かび上がる。
切られたのだと私が認識すると同時に、男は消えてなくなった。
ほんの瞬きほどの短い幻視。
この部屋で、先程の男が誰かに切りつけられると言う情報しかわからない。
私自身に関係があるかどうかすら不明だ。
これは近い将来確実に起こる現実だ。
この未来視もまた、私の能力の一つだった。
だが、感情の色を見ることと違い、いつ起きるのか、どういう切欠で起こるのか、それらはさっぱり判らない。
しかも見ることのできるのは、極めて断片的な情報。
それがどの位先の事かさえわからず、かつ、どれほど努力しても変えることの出来ないもの。
私にとってはなんら意味のない能力だった。
この能力は、父から継いだ力だ。
様々なものを見て聞く。
それが一族の能力。
この力があったからこそ、一族は王族として君臨し続けてきた。
この力があったからこそ、今まで帝国に飲み込まれず国を維持し続けてこられたのだ。
もちろん、私だけではなく、弟も妹も似たような能力を持っている。
似て非なる忌々しい能力だ。
私の能力は、感情を色として見、時折未来を垣間見るものだ。
弟の能力は、怒りや嫌悪など負の感情を、その思念を、言葉として聞き、今の世界を遠見するもの。
妹の能力は、悲しみや嘆きを聞き、過去の世界を見通すもの。
三つ子とはいえ、それぞれの見るもの聞くものは違う。
過去現在未来の世界を見通す力は共通して不安定で、いつ起きるのか、どうして起きるのか、わかっていない。
そして重要な点は、この一族の力は、男子にしか受け継がれないということ。
私や妹は父の娘だから能力があったが、それもじき消える。
年々能力は弱まる一方で、月の物が始まってからはそれはより一層顕著になった。
だからこそ男子のみに王位継承権が存在する。
子をなさねばならない重圧も、国を継がなければならない重圧も、全て弟に押し付けなければならない。
それが哀れで、姉として居た堪れない思いをも抱いている。
だからこそ、私はそれを終わらせる事にしたのだ。
早く視察を終えて王都に戻り、山積みとなっている問題を片付けなければと、重いため息をついた。