十七
王都に残してきた繋ぎ役に指示内容の変更を送った。
今はそれ以外に打てる手立てはない。
私が何か指示を出さずとも、彼ならば状況の変化を的確に対処してくれるだろうと信頼はしているが、念のためだ。
そもそも事件から大分たった今頃指示を出したって遅いのだし、まさに気休め以外の何物でもなかった。
様子を見に凛翔の泊まっている部屋に顔を出すと、凛翔はボンヤリと窓の外を眺めていた。
「克敏様が気になられますか?」
凛翔は自嘲気味に頷いた。
「若飛兄上の言葉を信じていないわけではありませんが、やはり不安にも感じます」
佑茜が信じられないというのは私には心から理解できたのでそれには何も言わずに、
「克敏様は無謀な真似をなさる方ではありません。例え手傷を負わされたとしても、そこまで酷い怪我をなさった可能性は低いと思います」
ガラス玉のような濁りのないまなざしを向けられた。
「衢雲殿をはじめ優秀な側近方もおられます。あの方々がついておられて、克敏様が酷い目にあわれるということはまず有り得ません。また、克敏様が酷い怪我をされたのなら、若飛様はすぐさま戻ってくるよう伝言なさります。視察を続けよと仰ったからには、怪我の程度は軽いと決まったようなものです」
「若飛兄上を信じておられるのですね」
それには苦笑した。
「信じている、というよりも、知っていると申し上げるべきだと思います。あの方の噂は大半は事実ですし、色々難しい方ですが、人としての優先すべき事柄を間違えるような方ではありません。ご安心ください」
凛翔や克敏などは皇族としては非常識なほど常識人でまともだが、そんなのは貴族も含めごく少数派だ。
事実、他の皇子方は、そういう”人としての常識”が欠如していたりする。
その中で、佑茜は最も欠如していそうな人間なのに、意外と常識を弁えていたりする。
本当に不思議な話ではあるが、それは事実だった。
気に入らない相手に、佑茜がとてつもなく冷酷であるのは間違いがない。
気分屋であることも間違いがない。
だが、私や玉祥に対して、そういう普通の配慮は何故か普通に出来たりする。
克敏に対しても、同じだった。
将軍職としての面子をつぶすような真似はしないし、克敏の周りで大事件が起きているときにわざわざちょっかいをかけたりもしない。
地位や立場を危うくするような、”悪質”な嫌がらせなどもしない。
克敏が他の兄達に追い落とされそうになっていた時も、特に手を貸したりはしなかったが、足を引っ張るような真似もしていなかった。
その間は妙なちょっかいすらかけなかったのだ。
その問題が解決したとたんまたちょっかいをかけ出したので、判っていてそれをやっているのは間違いない。
どれだけの人間がそれに気が付いているのか未知数だが・・・・・・。
「紘菖(私)殿はなぜ白牙の事をご存知なのですか?」
単刀直入な答えにくい質問だ。
「若飛様が王都の警備隊の半分を統括されている事はご存知でしょうか?」
「はい」
「白牙と警備隊はなにかと係わり合いになる事があるのですよ」
凛翔は訝しげに首を傾ける。
「最近では少なくなりましたが、警備隊が賄賂を貰って不正を見逃したりということがありました。それを白牙によって衆目に晒されるという事件があったのです」
「そのようなことが……」
凛翔が絶句していた。
役人の不正など珍しくもなんともないだろうに。
これは紛れもない事実だ。
救いなのは、その被害(?)にあったのは第三皇子が統括している部隊の人間だった事だ。
警備隊自体の評価は地に落ちたけれど、佑茜の統括している部隊についてはそれほど民から白い目で見られることはなかった。
「他にも、警備対象にある商家や貴族の邸が襲撃される事もあり、その取締りもまた我らの責務ですから、自然と情報は集まります」
「若飛兄上にとっては厄介な相手という事ですね」
まさしくその通りだ。
「困った事は、白牙に対する調査もですが、彼が、彼の組織が襲った相手までもが、警備隊の調査対象となってしまうことです。その所為で、警備隊員達の仕事が倍増しているんですよ」
おかげで佑茜配下の警備隊はここ暫くはずっと過密勤務状態にちかい。
腹立たしいのは、第三皇子が統括している部隊は以前と変わらず勤務していて、その不公平感が尋常ではない事だ。
第三皇子に直談判しに行けば、白牙なぞほうっておけばよいだろうとのたまわれた。
そもそも不正を発見するための監査というものが、全く機能していないのが問題なのだ。
おかげであっちに不正、こっちに不正。
そいつらを取り締まるには関係各所に根回しして、警備隊員の集めた証拠品を突きつけて法務官を強引に動かして、ようやく逮捕。
民の官や貴族への信用が全く存在しないものも無理がないし、白牙が絶大な信頼と人気を得ているのも最もな話なのだ。
「私からもお聞きしてよろしいですか?」
「なんでしょう?」
「なぜ私をご指名下さったのでしょうか?凛翔様の配下にも優秀な人材ならば幾らでも居られるでしょう。凛翔様配下に居られずとも、克敏様にご相談なされば、すぐにでも手配くださったはずです」
「確かにその通りです」
凛翔は頷いた。
「兄上から、稼祥殿(玉祥のことだ)や紘菖殿とお近づきになっておいた方がよいと助言を頂きましたからです」
凛翔は真っ直ぐ私の目を見てそう言い切った。
「若飛兄上は私のことなど眼中にありません。若飛兄上だけではありません。他の兄上方もです。ですが私自身は、若飛兄上をはじめとする他の兄上方と家族らしく近しい関係を築きたいと思っています。そう兄上に相談申し上げたら、若飛兄上と良い関係を築くのであれば、稼祥殿や紘菖殿と良好な関係を築く事が近道だと教えていただいたのです」
なるほど、将を射んとすれば馬を射よの精神なのだな。
理解はしたが、それが上手く行くとは思えなかった。
私や玉祥が誰と親しくなろうと、佑茜は興味のない相手にはとことん冷淡な態度を取るので、その考えは少々どころかかなり甘い。
それ以上に凛翔の語る理由は胡散臭いが、彼の表情はとても真剣なもので、何よりも纏っている色からも嘘をついているとは思えなかった。
こんなに明け透けで真っ直ぐな性格をしていては、王宮で生きていくのは難しいのではないかと、老婆心ながらそう思ってしまう。
まともに会話をしたのは今回の件が初めてだが、できれば権力を巡る陰謀などに巻き込まれずに平和に暮らしてもらいたいと願う程度には凛翔に好感をもった。