十六
「克敏さまが負傷された!?」
私の従者達がもたらした情報に一行は騒然となった。
従者達はしっかり頷いた。
「紅扇宮に侵入した賊と打ち合って、その際に怪我をされたようです」
「兄上の怪我は酷いのか!?」
凛翔は勢いこんで訊ねた。
「いえ。お怪我自体は大した事がなく、お命に別状はないとのことです」
「そうか」
凛翔は目に見えてほっとした様子を浮かべた。
「それで、賊は?」
私は一番重要な部分に言及した。
「それが取り逃がしたそうです」
克敏が出張ってなお取り逃がすとはものすごく意外な結果だ。
「1人も捕縛出来なかったのか?」
「それが、賊はたった1人。白牙と名乗っていたそうなのです」
耀は重々しく告げた。
本当なのかと條に目で問えば、頷きが返された。
「その者は兵に幾重にも取り囲まれ、なおも不適に笑い小ぶりな箱を掲げてこう言ったそうです。『第五皇子書琴 の大逆の証、テグシカルバの極印を頂いていく。皇子でありながら敵国と通じ、国と民を裏切った世紀の逆賊。王家に組するのは本意ではないが、破壊と恐怖を巻き起こすを見過ごすことも出来ず参上した』と」
極印の件に冷や水を浴びせられた様な心持になった。
間違いない、あれだ。
白牙は第五皇子への切り札を手に入れたと同時に、私と私の国を滅ぼすに足る証を手に入れたことになる。
無意識の内に服の下に下げている首飾りに服の上から触れていた。
私は周りに気が付かれない様、さりげなく手をどかした。
「佑茜様からは……」
「耀、若飛様だ」
私は従者の言葉を遮り訂正した。
「失礼しました。若飛様はこちらのことは気にせず、そのまま視察を遂行するようにとのお言葉でした」
「そうか。ご苦労だった」
従者達を下がらせた。
不味い事になったと思う。
少なくとも早めに指示を出しなおして、第五皇子と朱晋を嵌めるための罠に変更を加えなければこちらが窮地に陥る羽目になるだろう。
顔色に出したはずはないのだが、思わず考え込んだ私に不審に思ったのか、凛翔は尋ねてきた。
「どうされました。賊がそれほど気がかりですか?」
誤魔化すのも限界があるので、私の知っている情報を教えることにした。
「白牙と名乗っていた事が気にかかります。凛翔様は白牙について何かご存知ですか?」
「いえ」
凛翔は知らないと首を振る。
まあそうだろう。
あまり上層部に回ってくるような話ではないからしょうがない。
私が知っていたのはそういった情報を個人的に集める必要があったためと、佑茜が警備隊を統括しているという立場にあるという2点のためだ。
「白牙は所謂義賊と目されている存在です」
「義賊?」
凛翔は怪訝な顔だ。
「法の下で権力を不当に振るう官吏、財を片手に悪辣な取引を行う商人、例を上げればキリがありませんが、白牙はそれらを法に悖る行いで誅しております。時には財産を強奪し、時には悪行の証拠を衆目に晒して処罰させる。それらの行為によって一般の民からは白牙は絶大な信を受けています。そこらの貴族など太刀打ちできないほどに、です。ともすれば皇帝陛下よりも、民は白牙の言葉を信じるやも知れません」
「つまり、書琴兄上に大逆の疑いありと、皇帝陛下は調査せざるを得ない事になると仰るのですか。例えハッキリした証拠を見つけられずとも、大逆を企てたと処分せねばならぬような事態になる可能性がある、そういうことですね?」
凛翔は神童といわれるだけの事はあった。
私の言いたい事をすぐさま飲み込んでいた。
「そうです。白牙を捕らえ、その『大逆の証』とやらを白日の下に晒し、明らかに捏造であると断言できねば、そうなるでしょうね。先代皇帝の御世の大粛清から幾ばくも経っておらず、未だ帝国は不安定な情勢にある。その中で民の反乱が起こっては、テグシカルバの対応どころではなくなってしまいます。下手をすれば帝国が割れますよ」
私の見解に、凛翔までもが難しい顔になる。
「その白牙という者は何者なのですか」
「わかりません」
「判らない?」
私は頷いた。
「白牙というのはかなり大きな組織です。中には貴族がその資金源になっている場合もあるようです。それなのに、肝心の白牙という組織、その人間がどういう存在なのか、未だつかめません。通常、関わる人間が多くなれば成程、その全体像や中心人物の情報など流出し易くなります。ですが白牙にはそれがない」
事実、私も自身の手のものを潜入させようとした事があったが、失敗に終わっている。
白牙の人間に接触させても、誰一人裏切ろうとしたものもなかった。
「では、賊が白牙の名をかたっているという可能性は?」
「それでしたらありえるでしょう。しかし、今までもそういった存在は居りましたが、その場合は白牙がその偽者を倒して衆目の元に晒し、自身の潔白を証明するのが常です。続報を待たねばなんとも言えませんが、それがなければやはり白牙本人の仕業であると見るのが自然だと思います」
だからこそ不味いのだ。
皇帝は間違いなく第五皇子の周辺を調査するはず。
そして私が指示してでっち上げさせた『謀反の証拠』を見つける。
朱晋を嵌めるためのものでもあったので、その繋がりも見えてくるはずだ。
そうなれば自然と私にも疑いが及ぶ。
本来ならここまで大事にならない予定だった。
第五皇子が皇帝に私の反逆を言い立てて、実際に調べればそれは全くの出鱈目で、私の用意した罠で第五皇子と朱晋が謀ったということになる目論見であった。
皇子という身分ある人間の仕業を皇帝とその近辺が公表するとは思えず、内々に処分する事になるはずであったが、白牙という存在が絡んできてはそうもいかなくなっていた。