百十五
騙されていた事よりも、秘密をもたれていた事よりも、真っ先に考えるのは行方知れずとなっている主の心配。
三姫はほんのり心が温かくなった。
「一姫ならば無事です。今は離れにて療養しています」
「療養? お怪我をされたのですか」
「ええ。……二若が助けに入らねば危ういところでしたが、無事です」
「怪我の程度は酷いのですか?」
「いいえ。細かな傷が大量にあり見た目は無残なものですが、軽傷といって差し支えないでしょう。ただ、刃物に毒が塗られていたり、若飛殿下を病弱な三姫の振りでやり過ごすため毒を飲んで病人を装ったりと、かなり無理をして体が弱っています。しばらくは体力が戻るまで療養に専念してもらうつもりで……いえ、でした」
「なにか問題が……いえ、問題があるからこそ、若様のお命を狙われたのですね」
「……香麗はまだしも、二若を捕らえることが出来るとは思えません。となれば、あやつを追わねばならないでしょう。それに秘密を知るのが香麗だけとは到底思えません。他に秘密を知る全ての者を抹殺せねばならないのです。二若はどうやら帝都を行動の拠点としていた模様ですし、わたくしがあちらへ行き関係者の始末を指揮する予定です」
「一姫様とご相談してからお決めになられたほうが宜しいのでは? 急に国政を任されてもお困りになられると思いますし」
「政ならば問題はありません。もう何年も前からこの国は彼女が動かしてきたのです。実務についてはある程度の引継ぎなどが必要でしょうけど、実質的にこの国の王は一姫です。それに一姫はこういった事態だと、万一の場合は全て一人で責任をとる覚悟だけして、ある程度の調査まではしてもおそらく見逃してしまう。一姫にそんな犠牲を覚悟させるわけには、彼女に知られるわけにはいきません」
「なぜ私にお話しくださったのですか? 姫様方が人知れず入れ替わることは不可能ではないと思います。今まで通り何も知らせずに事を運ぶこともお出来になったでしょう」
「確かに出来ました。ですが……貴方には一姫の至らないところを補っていただきたいのです。今まではわたくしがある程度調整してきましたが、わたくしが居なくなれば一姫は無茶をします。彼女は守るべきものの中に、自分だけは入れていないから。だからそうならないように、遵石に窘めて頂きたいのです。帝都で従者達がしていたように」
「耀達愚息も、ご存知なのですね」
「身の回りの世話をしていたら、主の性別はすぐにわかりますでしょう? ある程度は誤魔化せたようですが、秘密を守り通せなかったなかったのです」
「では、父はご存知なのですか?」
「この秘密を知る者は、今となってはこの国の中では老将と従者達と貴方だけです」
「一姫様が若様として帝都へ行かれたのはいつですか。もしや――」
「そう。二若が帝都に人質として差し出された時」
「!! 父は! 家臣達は、なぜそのような真似を!」
「二若が居なければ、正当な王位継承者がいなければ、この国は存続できなくなります。当時はそういった情勢でした。老将は最後まで身代わりを反対されていました。これ以上の詳しい事情が聞きたければ、ご自分で老将にお聞きなさい」
「承知いたしました。姫様のお覚悟も理解いたしました。しかしながら申し上げます。どうか姫様はこちらでお待ちください。私が姫様に代わり若様のお命を頂戴しに参ります。姫様がお辛い想いをされる必要などありません」
「これはわたくしの手で行わねばならないのです。わたくしの責任ですから」
「いいえ! 姫様の責任と仰るのならば、それを肩代わりするのが臣下の役目です。王が民のためにあるのならば、臣下は王のためにこそ存在するのです。王が存分にお力を振るえるようお守りし、そしてあらゆる苦難を取り除くのが臣下の、私の勤めなのです」
「その忠誠は一姫こそ必要としているものです。そして貴方の主はわたくしではなく、一姫です。だからわたくしの思う通りにやらせていただきたいの」
「……わかりました」
渋々とながら遵石は承諾した。
沈黙が落ちる中、三姫は儚げな微笑を浮かべ、言った。
「二若は……。彼は、わたくし達とは違い一人で生きてきてさまざまな苦難があったでしょうが、此度の一姫の危機に駆けつけ救ってくれました。二若にも一姫にも二度と会えないかもしれないとまで覚悟していましたから、わたくしも二人に再びまみえたことが心から嬉しかった。助けられた一姫は、その恩を決して忘れないし恩返しをしようとするでしょうね。一姫は、全ての難題を背負い己の命を捧げるつもりでいました。偽の王を始末し、貴方を『三姫』の夫としての立場から解放し、わたくしの二重生活を終わらせて、そして穏やかなこの王朝の終焉を。己が命を質種にした欲張りな願いばかりですね。一姫の命が今あるのは、二若のお陰です。それなのにわたくしが二若を討ったと知ったら、一姫は誰よりも嘆きそして怒るでしょう。許してもらえないかもしれません。蔑みの目を向けられるかもしれません。想像するだけで辛く恐ろしい。一姫の絶望や覚悟に比べたら、二若を裏切るようで苦しいなどくだらない感傷なのですわね。……わたくしは二若が一姫を救ってくれた事を、とても感謝しています。命を狙っている張本人なのにいてくれて良かったなど矛盾していますが、これらは紛れもない本心です。貴方だけはそのことを、愚かなわたくしの心を知っておいてください」
黙ってそれを聞いていた遵石は深く叩頭した。
「恐れ多くも、その御心お預かりいたします」
「……ありがとう」