百十一
佑茜は私と三姫の驚いた様子に、本気で不思議がっていた。
「知らなかったのか? あの宮はそなたらの父が、先の皇帝より賜った宮だ。いまだ国庫に返還されていない以上、そなたらに所有権がある」
私と三姫は目を見交わした。
私は知らないと小さく首を振った。
確かに帝都へやって来て、佑茜の側つきになるまで水閑宮で生活していたが、そんな理由があるとは知らなかった。
「わたくし共は存じ上げておりませんでしたわ」
三姫が答えた。
「ふむ、道理で。二若も全く寄り付かないので不思議に思ってはいたが、知らなかったからか。あの宮には二若の小さい頃の品や、そなたらの父が使用していた品が多数残されている。三姫を送りがてらそなたも上京し、それらの品々を整理をしていってはどうだ」
佑茜は『三姫』が帝都へ行くことを前提とした話をする。
まだこちらは了承していないというのに、問答無用で話を纏める気か。やはり佑茜は佑茜だと、変なことに感心した。
「わたくし共も知らないことを、なぜ若飛殿下がご存知なのですか?」
三姫の問いに佑茜は答えた。
「二若を先の皇帝からお預かりする際に、あの宮の管理も一緒に任されたからだ。二若が自分で宮を管理する余裕が出来るまでとの約束だったんだが……そうか。あいつも知らなかったのか」
最後は砕けた佑茜の素の言葉遣いだった。
皇子らしい振る舞いを忘れるなんて、よほど意外だったのだろう。つまりこの宮については正直に話している可能性が高い。そして『あいつ』と言っている所から、佑茜は私が本人とは気付いていない……?
あくまでも二若への人質にするためであり、帝国への恭順の証を用意しておき、万一にも国がなくなってしまわぬように手を打っただけなのか?
どうにも思惑が読めず混乱する私を尻目に、用件を済ませた佑茜は部屋を出て行った。
最初から最後まで『二若』の話しかなかった。私や三姫の話題にしても、あくまでも『二若』が戻るまでのつなぎといった思惑が見えた。一体どういうことだろうな。
佑茜が『三姫』を手元においても、利は無いだろうに。あるとしたら先帝お気に入りの臣下の子としての価値ぐらいか。だがそれにしても、方々から恨まれている先帝のお気に入りなど、恨み辛みの対象にこそなっても擦り寄る人間はいないだろう。……そうか、『二若』が小さい頃、嫌に貴族の子弟らから嫌がらせをされたのは、『先帝お気に入りの臣下の子』だったからか。
私は一つだけ腑に落ちた。
ずっと佑茜がらみで嫌がらせを受けていると思っていたが、私の背後も理由だったのだろう。自分自身の事なのに、意外と知らないものだ。
しかし――ならばどうして先帝は『二若』を人質になどと言い出したのだろうか。
お気に入りは臣下であって、その子は関係ないと考えたのか。それとも国許に置くより手元に置いた方が安全と踏んだからか。
我が国の臣下の中には、『二若』の命を狙っているものは幾人もいた。今でこそほぼ一掃出来たが、当時は高位の役職に大勢付いていたのだ。もし帝都へ差し出されていなかったら、いつかその臣下達に『二若』は殺されていた可能性は高い。帝都にいても暗殺者を差し向けられて、それこそ何度も危ない目にあった。『一姫』や『三姫』を人質に脅しをかけられたりもした。辛くも逃れ続けてきたが、もし国許にいたらその攻勢は一段と激しく、凌ぎきれずに国は今と違う形を歩んでいただろう。そういう意味では、私達は先帝に生かされたともいえる。今になって父上の言葉を振り返ると、私のこの予想が正しいという気がした。
そこまで考えて、私は大きく嘆息した。
つい思考が脱線してしまった。考えるべきは先帝ではなく佑茜の事だ。
佑茜が『三姫』を手元に置く、その理由とは一体なんだ。
まだ『一姫』ならば理解できる点はある。対外的に『一姫』は未婚の王女で利用価値もあるし、『二若』が“死んだ”今ならば国を乗っ取る最適のこまだ。痩せても枯れても一国だ。佑茜にとっては意味のない地位だが、他の下位貴族や豪商には十分魅力的だろう。そういった者への手札とする事も出来る。
だが『三姫』は違う。彼女は表向きは既婚者で、そういった手札とはなりえない。身体も弱く手間ばかり掛かって利となるものなど……いや、まてよ。青稜国の貢献をしていると、内外に知らしめる手段にはなる。
我が国は帝国にとって一番厄介なテグシカルバと国境を接していて、帝国にとっていわば緩衝地帯だ。
ひとたび帝国とテグシカルバの間で戦争が起これば、真っ先に戦場となる地である。そこを押えるというのは、軍事的に大きな意味を持つ。見方を変えれば第一皇子等への切り札ともなるだろう。
我が国がこの数十年ほどどこからも国土を荒らされずに済んだのは、父上や『二若』という人質を差し出すことで、帝国が青稜国の後見になってその威光によって守られてきたからだ。帝国としても緩衝地帯を失ったり、テグシカルバ側にとられるのは痛かったからそういった対応をしていたわけだ。今回の件で『二若』を殺す事によって、帝国との繋がりが薄れる事が私としても最も気がかりだったわけなのだが、今のところ帝国もテグシカルバも青稜をどうこうしようという雰囲気は存在していない。そのため他の国からの手出しさえ抑えれば何とかなるだろうと考えていた。しかし佑茜の命でその懸念はかなり軽減され、気を回す必要はなくなった。
だから佑茜の命は、私達にとっても決して悪い状況とは言い切れない。帝国へ吸収されるという、最も穏やかな王朝の死にも近づく。悪くない話なのだ。佑茜にとっても、この国にとっても、よい事尽くめだろう。しかしどうにも気が進まなかった。
短い時間ならともかく、私はずっと『三姫』のふりをしていくのか? 長く接していれば絶対にどこかで襤褸を出す。そうなれば何もかも終わりだ。
「ねえ、一姫」
佑茜と共に部屋を出て行った三姫だが、いつの間にか戻ってきていたらしい。
声をかけられて私はハッとして顔を上げた。
「なんだ?」
「帝都へはわたくしがいこうと考えているの」
三姫はそう言った。
予期しない台詞に私は目を丸くした。
「お前は政があるだろう?」
「一姫の指示を元に動かしているだけだもの。私でなくとも一姫でもやれるでしょう? それに身体が回復してからと仰ってくださったし、わたくし達が入れ替わる時間はあるわ」
「馬鹿なことを言うな」
私は三姫の言葉を一言でそう切り捨てた。
「一姫が帝都へ行っては、いずれ襤褸が出るかもしれないでしょう? 帝都のことなど何も知らないわたくしの方がいいわ」
最もな主張だが、それを認めることは出来ない。
「なんといおうと、許可できない」
三姫はフッと笑った。
「一姫らしくない台詞ね。判っているわ。わたくしの身を案じてくれているのでしょう?」
「……」
図星を指されて私は思わず黙り込んだ。
「二若ではないけれど、わたくしも次に同じ事があった時は、一姫を犠牲にさせないと決めていたの。だから何を言われようと、わたくしが行きます。それにわたくしも帝都へは一度行きたいと考えていたし、良い機会だわ」
「……なぜ?」
「一姫が様々な事を学んだように、わたくしも学びたい。わたくしは己の力不足を痛感しているわ。もっと知識があれば、もっと賢ければと、なんど歯がゆい思いをしたか」
「そう……か」
私が足掻いてきたように、三姫も足掻いてきたのだと、今の言葉で痛感した。
危険も何もかも承知で、それでも前へ進みたいという気持ち。そんな思いを無碍に出来るわkがない。
「わかった。私が残ろう」
三姫は私の言葉に大きく頷いた。