百十
私の問いに、佑茜は笑みを消した。
そして真顔で口を開く。
「落ち着いて聞いて欲しい。二若は行方不明になっている」
「若飛殿下! それは……」
三姫が声を上げたが、佑茜は片手を上げるだけでそれを制した。
「そなた達の状況は十分承知している。案ずるな」
佑茜は三姫に向けて言った。
そういわれてしまっては、三姫は引き下がるしかない。
納得してはいないが、口をつぐんだ。
佑茜は再び私へと向き直った。
私は戸惑ったように二度三度と瞬きを繰り返した。
佑茜はだまって私の返答を待っている。
私はゆっくりと口を開いた。
「何を、おっしゃるの? ……兄、が、……行方知れず、だなどと」
今のところ『三姫』は『二若』の失踪を聞かされていない。ここは戸惑うべき場面だ。
だが取り乱すのはよくない。
病人として“元気に”慌てては不自然だからだ。だけど落ち着き払っているのもおかしい。
戸惑いつつも動揺して言動がおかしくなる程度は見せなければならない。……なんて小難しい演技だ。
「大丈夫。二若は無事だ。だから落ち着いて聞いて欲しい」
佑茜は『二若』は無事と断言した。これは死を偽装したとばれていると見るべきなのか?
それとも私が『二若』と知っていて、何もかもわかっているのだぞという脅かしか?
私は不安気にしつつも、ジッと佑茜を見上げた。
「あいつは軽はずみな真似をする奴ではない。それなのに姿を隠したというのは、相応の理由と覚悟があっての事だろう。手のものに探させているが、見つけるのは至難の業だろうな。何らかの決着なり納得をせねば戻っては来ないだろう」
「ええ。……兄は、そういう、人ですわ」
これ以外に返しようがなかった。死んだと認めたくない『三姫』としては違うよとは言いにくい。
実は○○(いい加減だとか、責任感がないとか、そういった言葉なら何でも良い)という人だと、だから国も地位も投げ出して家出したとは、兄を頼りにしている妹としては相応しくないからだ。
だがこの誘導の先に何が待っているのか、見当も付かない。
集中して時間を掛けて考えれば何か気付けるかもしれないが、不調であまり考えが纏まらない上に、集中力もなくて下手な受け答えをしなようにするだけで今現在は精一杯だ。
とても思惑を推理するなんて出来ない。それがとても歯がゆかった。
「二若が戻ってきたら、皆でしかってやろう」
穏やかに佑茜は言う。
この様に言われたら、もう頷く以外ない。
「……はい」
「あ奴が戻ってきたらすぐ会える様、帝都へ出ては来ぬか?」
どうやら、『三姫』か『一姫』を『二若』への人質とする策であった様だ。あまり佑茜らしい策とは言えないが……?
「……ですが、わたくしに、旅は……無理かと」
「もちろん今のそなたには無理であろう。身体が回復してからの話だ。それでも旅は負担であろうが、工夫次第で幾らでも軽減できる。それに帝都の方が医術も進み、療養には向いているはずだ」
佑茜は滔々とまくし立てた。
「ですが……」
弱々しくも反論を試みた。
それはこれ以上強く出られないというのもあるし、毒の影響で大きな声を出せないという理由もある。
私は渋る振りで三姫へ目配せした。それに応えて、三姫が口を開いた。
「お心は嬉しいのですが、『三姫』を連れ出すのは幾らなんでも酷ですわ」
ここで強硬に否を唱えるのならば、『三姫』よりも『一姫』の方が相応しい。なぜ『三姫』に執着するのだろうか。
「しかし、そなたは国政もあり、国を離れられぬであろう?」
「ええ、それはもちろん……」
三姫は戸惑いつつも頷いた。
「この様な時にあまり言いたくはないのだが、そなた達のどちらかは帝都へ来てもらわねばならぬ」
佑茜は予期せぬ事を言い出した。
「なぜでしょう」
三姫は淡々と問うた。
そう、三姫の言う通り、そのような義務はどこにもないはずなのだ。
「二若は私の部下であると同時に、帝国へ差し出された人質でもあった。だが二若は消えた。私の配下としてならば、私にとっては痛手ではあるが、何も問題とはならない。問題となるのは、人質としての役割の方だ。このままでは造反の意思ありと取られかねないだろう。二若が戻ってきた時に、奴の帰るべき国が無くなっていたなどという事にはさせたくないのだ。そなたらにとって苦渋の策とは思うが、飲んで欲しい」
親切めかした台詞だが、明らかにこれは脅しだ。
……二若が人質として差し出されたのは先帝の時代だ。
佑茜らしからぬ穏やかな手段だ。本来の佑茜ならば脅し混じりに説得などせず、問答無用で連行するぐらいはやってのける。一応は『二若』の親族へ配慮しているのだろうか。
言いがかりでも何でも、連行する理由ならつけることが出来る。そしてこの国にはそれに逆らうだけの力がない。例え、反発があっても佑茜には脅威とならない。……まあ、あまり強硬な手段も採れないのか。もし『二若』の親族へ非情な真似をすれば。玉祥が深く悲しむ。そして戻ってきた『二若』も激怒する。全く見えないけれど、玉祥と『二若』には気を使っている佑茜の事だから、二人から見限られる真似はできないか。それならこの脅し交じりに説得というのも納得が行く。
実際は、今更人質としての役割など誰も重視していない。しかし現皇帝が即位された時に、人質としての責務を解かれたわけではない。
“帝国”へ人質に出されたのだから、代替わりしていても人質という役割がまだ有効であるというのは、理にかなっている。帝位が代替わりする時に、人質の件を確認していなかったのが悪いといってしまえばそれまでだ。しかしもう人質は要らないか? と問い合わせたところで、必要だとは答えても不要とは返さないだろう。政治とはそういうものだ。私とて同じ選択をする。だから有耶無耶のまま終わらせておきたかったのだ。
「わたくしにしろ、『三姫』にしろ、弟の代わりに若飛殿下のお側にお仕えするのは、無理かと存じます」
苦し紛れだが、三姫がそう反論した。
「それは理解している。そなた達に二若の担っていた役目の全てを背負わせる気はない。住居についても、二若の使用している部屋ではなく、水閑宮という二若が私の配下となる前に暮らしていた宮へ、入ってもらう予定だ」
水閑宮は佑茜の暮らす遼明宮のすぐ側に建つ一際小さく質素な宮だ。『二若』のようには使わないが、側において見張るつもりなのだろう。
「そこまで決まっているのですね」
三姫がため息混じりに言った。
私も同じ気持ちだ。どうやら佑茜がこの場に現れた時点で、この勝負は詰んでいたようだ。
佑茜は珍しく不思議そうな表情を浮かべて、首を傾げた。
「決まっているも何も、水閑宮はそなたらの宮だぞ」
「「……え?」」
意外なその言葉に、私と三姫の声が重なって響いた。