百七
私は『三姫の部屋』でこのまま寝起きする事とした。怪我を療養できて、なおかつ三姫の振りも出来る。一石二鳥だ。
普段は人が寄り付かない事もあり、昼間は書類などに目を通して今後の国政をどうするか考えようと思う。
「二若、お前はどうする? 城の中に部屋を用意する事もできるが」
「俺は禁足地の小屋でいい。人は近寄らないし、気兼ねしないで済むからな」
「食事はどうする? お前の変装ならば城の中でも十分生活できるだろう? 一姫に雇われたと名目さえあれば、衣食住に不自由はしまい」
「一姫の言う通り、遠慮は要らないわ。小屋なんかじゃなくこちらで暮らした方がいいと思う」
私に続いて三姫も言い募ったが、二若は首を横に振った。
「気にしなくても、自分の食い扶持は自分でどうにかするさ」
「……そう」
三姫が寂しげに相槌を打った。
折角近くにいるのだから、帰ってしまうその時まで、一緒に過ごしたかったのだろう。
この三人が揃うなど、私が身代わりとなって以来の事だ。三姫の寂しい気持ちはよくわかった。
翌朝、朝食から少し経って、三姫が部屋へやってきた。
「どうした?」
「先程、若飛皇子の使者を名乗る者が来たわ」
“若飛(佑茜の現在の名で、佑茜は幼名である)皇子の使者”が、この国に来る理由がわからなかった。
今までに一度も無かったし、佑茜が訪れた事もなかったのに、何故だ?
「本物か? それよりも何と言っている」
「それが……近日中に皇子がいらっしゃるので、準備をせよと」
「来るだと? ここへか」
「ええ。訪問理由は明かしてくださらなかったわ」
「その使者の名は?」
「傅真祥という御仁よ。二十台半ばほどの武人風。身につけているのは文官のものだったけれど、身ごなしは武術を嗜んでいる者と同じだったわ」
「……おそらく本物だろう」
「心当たりが?」
「ああ」
まるっきり真祥の特徴と一致する。
彼が佑茜の配下についてから随分と荒っぽい事に従事させられているようで、文官扱いなのに雰囲気はまるっきり武官となっていた。
垣間見たところだと、帝都の警備隊の中に放り込まれて兵と共に走り回っている事もあったし、情報収集をして来いと命じられ平民の衣装を纏って酒場に放り込まれていたり、ついでにそういった場面で乱闘騒ぎを起こして警備隊に摘発され玉祥の仕事を増やしていたり、騒ぎを収めようとした警備隊員へ怪我をさせて警備隊での訓練時に報復という名の熱烈な歓迎を受けたりしていた。……こうして思い返すと、佑茜のせいと言うよりも、真祥の自業自得のような気もする。
本物かどうかこの目で見て確かめたいところだが、万一見咎められたら面倒だ。
三姫ならば上手くやるだろうし、何か問題があってもこれだけ近くにいるのだから直に対応できる。今のところ私には、表立ってやれる事はない。気にはなるが、佑茜一行の対応は三姫に任せて、自分の務めを果たす事にした。
私は溜まっていた未処理案件に取り掛かった。普段は三姫が一人でこなしているものばかりだ。
私の元へ送られて来ていたものは、国政内でも重要な一部だけだ。国の内部がどの様になっているか大枠は理解していたが、生々しい民の暮らしはよく知らなかった。だがこうして小さな案件を一つずつ見ていくと、どの様な者達がどの様に暮らしているのか何となく想像する事が出来た。案件内容自体は、帝都にいた時に佑茜の下で処理していたものと大差はなく、国の大小はあろうと、人の営みに大きな違いはないのだなと、そんな事を感じていた。
こうして私が三姫の仕事を肩代わりすれば、彼女が他の事に大きく力を割ける。暫くはこの状態で様子を見ていくつもりだった。
夕方近くなり、微かにざわめきが聞こえてきた。
『三姫の部屋』にまで騒ぎが届いてくると言う事は――佑茜が到着したのだろう。
皇族を迎え入れて城内の者が右往左往している様が目に見えるようだ。
夕食の後も再び机に向かい仕事をしていると、三姫が顔を見せた。
今夜は三姫が佑茜の歓迎に忙殺されて、食事を一緒に摂ってはいない。何らかの報告で夜半には来るだろうと考えていたが、予想していた時刻よりかなり早い。
「何か問題か?」
三姫は困惑を浮かべながら頷いた。
「気付いているだろうけど、若飛皇子が夕刻到着したわ」
「少し空気がざわついていたな。……何しに来たのか聞いたか?」
「ええ。部下が行方不明となり、主として親族へその報告に来られたのだと」
私は三姫の言いように引っ掛かりを覚えた。
“部下が行方不明”で――それは“死んだと考えていない”という意味ではないのか?
「それは、部下の紘菖(二若の現在の名)が死んだ、その挨拶なのか?」
「違うわ。部下が帰って来ていないか、確認にいらした。そんな雰囲気ね」
やはり。
死体がないから、偽装だと見抜かれたか。
わざと行方をくらませるなら、必ず国へ帰る。そう見抜いて真っ直ぐここへ来た。
――しかし、佑茜本気で馬を乗り潰し強行軍でここを目指したのなら、もっと早く到着しているはずだ。使者などわざわざ出すなんて手間も掛けないはず。一体どういうことだ?
「王は帰国していないと突っぱねたのだろう? 何が問題だ?」
「それが、妹の『三姫』にも主として直接伝えたいと言い出しておられるのです」
「つまり、逃げ帰った王が三姫の元に隠れているのではないか、と?」
「どういうおつもりか判らないけれど、『三姫』を疑っておられるのは確かね」
「疑いを晴らすために、『三姫』に会わせなければならない……か」
三姫は私の言葉に頷いた。
こうなると、三姫が『三姫』の振りをして会うことは出来ない。
私が『三姫』として佑茜に会うよりは、三姫が会うほうが危険は少ないだろうが、彼女が『三姫』として会っている時に『一姫』が姿を見せなければ、佑茜は『一姫』はどこへ行ったと指摘してくるだろう。そうなると『一姫』と『三姫』が同一人物と見破られる可能性は高くなるからだ。
二若が『三姫』の振りをするなど論外だし、となれば私が『三姫』の振りをして会うしかない。
「今すぐ会わせろと言っているのか?」
「明日で構わないと仰っているわ。病人に無理はさせられないだろうと」
正論ではある。
だが一体何を考えている?
あの佑茜が病人の状態を一々斟酌するようには思えない。
まるで――そう、まるで三姫などいるはずはない、一晩やるから『三姫』とやらを用意しておけとでも言うかのようだ。
そこまで考えて、ヒヤリとしたものが胸中を過ぎった。
もしや、佑茜は二若(私)は偽者だと、知っていたのか?