百五
「イチ達を追うのなら、やめておけ」
香麗が口ごもっていると、堅如は言った。
「なんで、そんな事が」
「見れば判る。二人を追っても無駄だ」
「あたしはイチの側にいたいの! それの何がいけないの」
感情的に言い返すと、堅如はため息交じりに答えた。
「あいつ等とは、生きる世界が違う。一緒にはなれないだろう」
「……っ」
堅如の指摘に、香麗は言葉がなかった。
香麗とて薄々わかっている。だけど、だからって諦められなかった。
「双葉はどこから見ても貴族の女だ。当然、イチもそういった関係の人間だろう。運良くイチと共にあれても、一生日陰の身だ。判っているのか?」
「うん」
「それでも行くのか」
「行くわ」
香麗は迷わず答えた。
「疎まれて、最悪の場合殺されるかもしれないんだぞ」
「イチは薄情な人だけど、一度懐に入れた相手には甘いのよ。双葉なんて全く関係のない人間ですら守ろうとするお人よしだし、そんな最悪の事態には早々ならないわ。なったとしても、イチや双葉にとってどうしようもなくなった時だし、仕方がないって諦めもつくと思う。だから、それでもいいのよ」
「全く……どうしようもない奴だ」
諦念を滲ませて堅如が折れた。
「心配をかけてごめんなさい」
申し訳なくなり香麗は謝った。
「二人の行き先は判っているのか?」
堅如の言葉に香麗は首を振った。
「同じ方向を目指せばいつかは追いつくかなって、考えてる。イチは双葉を背負っているし、女の足でも追いつけるでしょう?」
「イチの体力を甘く見るんじゃない」
堅如は静かな口調でたしなめた。
「二人を追うのなら蒔恵を目指せ」
蒔恵は隣の青稜の王都だ。
帝国の属国で、とても小さな国である。
二人が向かったのはその国の方面だが、なぜ蒔恵を目指せなんていうのだろうかと、香麗は首を捻った。
「どうして?」
「イチは一度だけ、双葉の事を『一姫』と呼んだ。お前も側にいて聞いていたはずだ」
「……襲撃の後、救護所でイチが呼んでいたわね」
少し考え込んだ後、香麗はそういった。
それが何かといった様子を浮かべている。
「俺はこの近辺を支配している王家の事は一通り調べている。内実まで把握できないし、どんな政をして民にどう対応しているか位の簡単な事だけだがな。それでも天辺にいる人間の名前ぐらいは知っている」
「……うん。それで?」
「隣の国を実質的に動かしているのが、現王の姉である王女だ。王は国を離れていて、何らかの指示はしているのだろうが、実権を握っているのがこの王女なんだ」
「その王女が何か関係があるって事?」
「王女の子供の頃の呼び名が、『一姫』と言うんだ」
香麗は驚愕に目を見開いた。
「双葉さんがその王女様だって言うの?」
「可能性は高いと思う」
「じゃあ、イチは……王様!?」
堅如は香麗の言葉に苦笑した。
「それはないだろう」
「だって!」
「王は帝都で結構な地位にいるらしい。イチのようにフラフラしてはいられんだろ」
「王様は帝都にいるの!? だったらイチの可能性だって」
「確かにイチは帝都によく行くが、だからって役人の真似事が出来るほど長くいるわけじゃない。役人の仕事ってのは、時々顔を出せばいいってものじゃないんだ。毎日決まった時間に出仕しなくちゃならん。全国各地を渡り歩いているイチには不可能だよ」
その説明に香麗はようやく納得した。
「でも王族……なのよね」
堅如は眉尻を下げ困ったように首を傾げた。
「あくまでも、単なる憶測だ。俺の思い違いかもしれん。そして王族だとしても、かなり微妙な立場である可能性が高い。下手をしたら存在すら認められていない、そんな不安定な立場なのかも知れんぞ」
「……うん。でも、その可能性はあるんだって、覚悟はしておく」
「それでもまだ追いかける気か?」
「だって、確実な事は何も判らないのでしょう?」
香麗はキッパリと言い切った。
その返事に堅如は仕方がないなとため息を付いた。
「……無理だと思ったら、すぐに帰って来るんだぞ。無茶をして命を落としたら洒落にならん」
「判ってる。忠告ありがとう」
香麗は堅如に別れを告げて、イチたちの後を追った。
身軽な独り身のはずだが、堅如の言っていた通り、香麗はイチ達に追いつけなかった。
香麗は堅如の忠告に従って、蒔恵を目指して森の中を歩いているのだが、時折野営地と思しき痕跡を見つけ、それで堅如の言葉は間違っていなかったのだと確信できた。
イチは香麗と同じ様に森の中を進み、人を一人背負っているというのに、位置の歩みは香麗よりも早い。
野営地と野営地の間隔などから、香麗はそれを知った。
もし堅如の忠告がなければ、彼女はイチたちの行方を見失っていただろう。堅如に心から感謝していた。
食事と睡眠時間以外はずっと歩き詰めで、四日後に蒔恵にある王城へついた。
急ぎに急いだが、香麗は結局イチたちには追いつけなかった。
香麗はグルリと城下の町を見て歩き、イチの姿がないか探したが見当たらなかった。
堅如の言葉通りなら、位置は王城の中にいるはずで、姿が見えなくても当然の事だ。
それなら――と、香麗は王城を見上げ、大きく頷いた。城に忍び込むことを彼女は決意していた。
以前、イチから伝授された忍び込みの極意を思い出しながら、荷物の中に紛れ込んだり、人から見つからないよう隠れたり、時には堂々とした働きの振りをしたりと、城の中へ進入を果たした。
いつ見つかるかと香麗の心中は穏やかではなかったが、イチに会うため彼女は必死だった。
彼女はかなり奥まった場所まで来て、ドキドキしながら植木に隠れて周りを見回した。
彼女が隠れている周辺の建物の造りや、窓から垣間見える調度品はとてつもなく高級感に溢れていて、身分の高い人が使用する棟である事が見て取れた。
ひょっとしたら王族が生活する部分かもしれないと香麗は考えていた。
場違いな場所に入り込んでしまった怖れと、恋しい人に会えるかもしれないという期待が入り混じって、落ち着きなく辺りを窺っていた。
香麗はどちらへ進むべきか悩みながらも、人の気配がする方へと足を向けた。
見つかってはならないという縛りはあるが、物陰から誰がいるのか確認するぐらいなら問題はないだろうと判断してのものだ。
隠れていた植木の影から一歩踏み出したところで、ヒヤリとしたものが首筋に触れた。




