百三
父王が信用できる人だと請合ってくれたが、それでも前皇帝陛下を目にするまでは不安が拭えなかった。
誰よりも父王の事を信じてはいたが、周りのそれを否定する声はあまりにも大きかったのだ。不安はそれだけではない。
あの頃、帝都はとても危険な場所であった。僅かでも高位の者の不興を買えばその場で切り殺されるなどざらであったし、裏切りや汚職など当たり前で互いにの足を引っ張り合い、いかに相手を落としいれるか、いかに相手を利用するか、そういった輩ばかりであった。
父王からも恐ろしいところだと、常々言い聞かされてきた程だ。帝国へ人質として差し出された頃の私達など、格好の獲物である。家臣達が身代わりを立てると言い出したのも当たり前だ。生きては戻れなくても当然。そんな雰囲気の中で帝国へ向かった。不安にならないはずがない。
初めて前皇帝陛下へ拝謁した時は、不安と緊張でいっぱいだったから、あの方の姿を目にして、その纏う色彩を目にして、驚きと同時に戸惑いを抱いた。父王と引けを取らないくらい、慈しみの色が多い方だった。父王とは余程良い関係を築いていたのだろう。父王の子である私に対しても、親しみを感じてくださっていたようだった。
父王が信用できる人だと仰った言葉が、その時にようやく納得できた。同時に、なぜこのような方が、音に聞こえるほど残虐な振る舞いをするのかと、違和感も抱いた。
前皇帝陛下が亡くなった後、幾ばくかの権力も振るえるようになってから、色々と調べた。
「おそらくだが、前皇帝陛下の非道な振る舞いは演技だ」
私の言葉に二若と三姫は眉根を寄せた。
「私が調べたところ、前皇帝陛下によって処断された者の中に、罪無き者は皆無であった。言いがかりのような罪状をでっち上げ、親族諸共皆殺し。罪なき子供達まで無差別な殺戮を行い、助命される者もいるがそれ全て陛下の胸先一つと、こんな噂を聞いたことはあるだろう?」
「ああ」
「他家から嫁いだ娘や、まだ成人に至らぬ幼子まで容赦なく処刑していたようね」
「当時の帝国における腐敗は、それだけ深刻だったのだよ。なにせ有力者の子供である、有力者の妻であるというだけで、領民を弄り享楽に耽る者が多かったのだから」
「まさか、幼子に己が悪行の真似事をさせていたの?」
嫌悪も露な三姫に、私は頷いた。
「……聞いたことがあるな。一族郎党皆殺しにされた一族へ同情どころか、天罰が下ったと快哉を上げる人間を幾人も見た。先帝の時代は、危険と呼ばれる地域に近づかないようにしていたから、俺はあまり詳しい話を知らないが、地元ではかなり怨まれていたな。今でも清々したと声高に言う者が多くいるくらいだ」
「でも、無実の優秀な人間が幾人も左遷されて、閑職へ追いやられたとも聞いているわ。何かの間違いではないの?」
「閑職へ追われる、な。追われた先がどこか、知っているか?」
三姫の指摘に、私は聞き返した。
「いいえ」
「追われた者達は、官職を持たない弟、つまり現皇帝陛下の側近として配されたり、蟄居を命じられた将軍や高官の秘書官や護衛官に回された。そして前皇帝陛下が亡くなられると同時に、現皇帝陛下が位にお就きになられた。蟄居させられていた将軍や高官らも身分を回復され、現在の帝都の中枢を担っている。前皇帝陛下と現皇帝陛下は同母のご兄弟で、おそらく最初からお二人が話し合って決めてあったのだろうな」
私が話し終えると、二若と三姫はなんとも言えない表情を浮かべた。
そうだろうとも。
前皇帝陛下が暴君だと思われていたから、私は二若の身代わりに帝都へ差し出されたのだ。
それに反発して二若が国を出奔し、三姫は一姫として己を偽って暮らしてきた。
つまり私達の運命を決定付けた人物でもあるのだ。
それが演技だといわれても、そうそう納得は出来まい。私だって己で調べた結果でなかったら信じられなかった。父王の言葉がなければ、調べようとすら思わなかっただろう。
「ああ、話がずれてしまったな。母上の事だ。前皇帝陛下はおそらく母上の事をご存知であった。父上の願いを伝えると、悲しみと喜びの色を見せたから、間違いはないだろう」
「つまり――皇族の関係者か? 母の事を口にしなかったのは、帝国の醜聞となる可能性があったからか?」
二若は心底嫌そうに口にした。
「可能性は高い。正直、宮の下働きに手を付けて産ませたというのが一番面倒がないのだが、それにしては出産時の情報が隠匿されすぎている。もし、皇室の姫に産ませていたり、皇族に嫁いだどこぞの姫に産ませていたりしたら……恐ろしくて考えたくもない」
「そうね。皇室関係なんて、冗談じゃないわ。まだどこぞの貴族の娘に手を出して、その親族に命を狙われるのが怖かったからという方が、何倍もマシだわ」
三姫も大きくため息を付きながら言った。
「おいそれと話せなかった理由を理解してもらえたと思う。私自身もあまり探りたくはないのだが、父上の言伝もある。もし私が約束を果たせなかった時には、二人にその願いを託したい。頼まれてくれるか」
二人はしばし黙り込んだ。
判ったとは、言い難いだろう。私とて請け負うには躊躇する願いだ。
私が手を尽くして探して見つからないのに、帝都の宮殿とは殆ど無関係にある二人が見つけられる可能性はまずない。重い荷を背負わせるだけの願いだ。
「お母様をお探しするために、出来る限りの事をすると約束しましょう」
「恨み言の一つも言ってやるのもいいな」
しばしの沈黙を破り、二人はそう口にした。
可愛げのない台詞だが、意味合いは二人とも同じだ。
「ありがとう」
頬を緩め礼を述べた。
「一姫、貴女の言いたいことはわかったわ。だけど約束を果たせなかったら、なんて仮定の話は不愉快よ」
三姫が口調を改めて切り出してきた。
静かな怒気が込められていた。
「こういう時は、協力しろって言うもんじゃないのか?」
二若も憮然としながら口にした。
「二若の言う通りね。一人で何もかも抱え込んでは駄目と、わたくしが今まで何度も口を酸っぱくして言ったのに、一姫はそれを全く理解していないのね」
「そのようなつもりは……」
私だって無理をしようとは考えていない。
心配をかけるだけだと理解しているし、悪手だとも判っている。ただ助力を乞おうにも難しい場面ばかりで、結果として自分一人でどうにかするしかなくなっているだけだ。
しかしそんな反論は三姫に通じなかった。
「反論は不要です。……いい加減に、反省なさい!」
「……だから、」
「ご・め・ん・な・さ・いは!?」
聞く耳持たないといった様子である。
確かに今回は私の言い様が拙かった。同じことを二人に言われたら、私とて腹を立てるだろう。
我等三人の問題なのだから、遠慮などされる方が腹立たしい。だから二人の言い分の方が正しい。
「……すまない」
私の謝罪に、三姫はため息を付いた。
「本当に、一人で無茶をしないで。貴女はわたくしをもっと頼って。わたくしも一姫を頼りにしているのだから。わたくし達は姉妹でしょう?」
「言われずとも、誰よりも頼りにしている。もう一人で無茶はしない。その必要もないだろうしな」
私の答えに、三姫は満足げに頷いた。
「あのさ、二人の仲がいいのは結構なんだけど、俺もいるの忘れんなよ」
姉妹って、俺の事を端から度外視してるだろと、ブツブツと二若は言った。
「何を言っている。お前は政に協力する気がないだろう」
「そうよ。当てにならない人を頼りにしてどうするの?」
「その通りだけど、幾らなんでも酷くないか?」
二若は国が落ち着いたら出て行く予定だ。
それを私は止めないし、三姫も止める気がない。
二若に期待していないとか必要ないとは考えていない。ただ自由気ままに生きるのが奴らしいというだけの事だ。あえて国に縛りつけようなど無駄な事を考えたりしない。
私達が二若に助力を請えば、奴は快く力を貸してくれるだろうが、そのような不確かなものを当てには出来ない。
不満げな二若へ、私はニッと笑みを浮かべた。
「お前を頼りにはしていないが、いざという時の助力は期待している」
「随分と調子のいいこった」
呆れたように二若は言った。
三姫と目を見合わせ、二人して声を上げて笑った。
笑い声を聞きとがめられてはいけないので、小さく抑えてのものだが、なんだかとても可笑しかった。出来るなら誰はばかることなく笑い転げたかったくらいだ。
三人が揃っての軽口なんて、随分と久しぶりだ。長い間会っていなかったことなんて、まるで無かったかのような気安い空気で、おもわず笑い出したくなるくらいに愉快な気持ちであった。