百二
布に包まれたままのそれを三姫の前に押し出すと、彼女はそれを取り上げて包みを開き、目を見開いた。
「これは……」
「お前からの預かり物だ。お前の大切な物を壊してしまった事、すまなく思っている。その髪飾りのお陰で私は命拾いをした。謝罪とそして感謝を言わせてくれ」
三姫は壊れた髪飾りを胸に抱き、真剣な眼差しを向けていた。
「服の中に仕舞っていたこの髪飾りが、敵の剣を受け止めて私を守ってくれたのだ。髪飾りがなければ命はなかっただろう」
「……約束を、覚えている?」
三姫は静かに問いかけてきた。
「ああ。勿論だ」
「わたくしは『お父様が守ってくださるように』と言って渡したわ。だけど本当に守ってくれるなんて、欠片も思っていなかった。『帰る』という約束が欲しかったから、だから……。まるでお父様が一姫を守ってくれたかのよう。こんな事も……あるのね」
「私も同じ事を思った。お前には悪かったとは思うが、何故だろうな。それ以上に嬉しかった」
「わたくしも髪飾りより、一姫が無事だった事の方が嬉しいわ」
「ありがとう」
涙の滲む目で三姫は微笑んでいた。
「それよりも、一姫と二若はこれからどうするの?」
「二若は知らぬが、私は怪我が完全に癒えて表に出られるようになるまで、当面は裏方で動くつもりだ」
「その後は?」
「回復した『三姫』として、できる事をするかな。伶から連絡を受けたというのなら、緊急にどうにかすべき案件は既に処理したのだろう?」
「ええ。一姫がある程度はお膳立てしてくれていたから、とても楽だったわ」
「ならば問題はないだろう」
「そうね。それで二若は? 暫くはゆっくりしていけるの?」
黙ってやり取りを聞いていた二若に、三姫は尋ねた。
私も三姫も、二若が城に腰を落ち着けて、王族としての義務を果たすとは考えていない。
私達には私達の生き方があるように、二若にも二若の生き方があるのだ。
今更無理やり王に祭り上げようとは思わない。
甘いのかもしれないが、二若らしく生きてくれればそれで良かった。
「俺も一姫の怪我が治るまではここにいる予定だ。『俺』が死んで暫くはゴタゴタしそうだし、二人の身辺も怪しくなるだろうからな。怪我が癒える頃にはそれらにも一段落つくだろ?」
「その後はどうするつもりだ?」
「帰るさ。そりゃあな」
なんでもない事のように二若は言った。
少しだけ寂しくも思ったが、それまでは共に居られるのだ。しかも奴は私達の身を案じて、守ってくれようとしている。そちらの方こそ喜ぶべき事だろう。
「実はもう一つ、二人に話しておかねばならない事がある。我等の母上についてだ」
「「……」」
私達は、母のことは何も知らない。
父王が何も答えてくれなかったからだ。
生きているのか死んでいるのか。どこの誰だったのか。私達が聞いても、家臣たちが聞いても、何も答えようとしなかった。
母という存在は、私達にとって遠い存在だった。
二若と三姫は無表情を貫いて私を見ていた。
二人とも内心思うところがあるのだろうが、それを表に出すまいとしている。
「母上はおそらく帝都に居られる。少なくとも居られたはずだ」
「……なぜ?」
三姫が囁くように問いかけてきた。
なぜ、それを知っているのか、なぜ今まで話そうとしなかったのか、なぜ今更話そうと考えたのか、そんな問いであった。
「父上が亡くなられる前、私だけを呼び誰にも話してはならぬと念を押して、願いを口にされた。母上に会ったら、『貴女に会え、共に歩めた事は幸せでした。先に黄泉路でお待ちしております』と、伝えて欲しいと仰ったのだ。おそらく私が帝都へ送られる事をご存知だったのだろう。だから父上は私にだけ言伝を頼んだのだと思う」
「お会い出来なかったのね」
「ああ。共に歩みと言うくらいだから、父上の側にいた誰かのはずだ。子を三人も一時に産んでいるのだから、目立たぬはずも無い。だが方々手を尽くして探したが、見つけることは叶わなかった」
父王は、私と同様に幼き頃から人生の大半を帝都で過ごされた。
人質として送り込まれたのだ。本当ならそのまま捨て置かれて人生を終えるはずだったのに、内乱で他の王族が死に絶え、そして呼び戻された。捨て置かれたからこそ生き延びたというのだから、皮肉なものだ。
国に帰る時、父王は私たち三人を連れていた。
捨て置かれていた父王が帝都でどの様に暮らしていたのか、家臣達は一切把握していなかった。当然相手の女についてもだ。
どこの誰が産んだかわからない子供を王の後継者にするなど認められないと、家臣達は二若を廃嫡して王妃を娶れと何度も迫ったらしい。だが父王は頑として妃を娶らず、私達三人を慈しんでくれた。敬虞老将軍と共に、実力行使にでた家臣達から私達(特に二若)を守りきってくださったのだ。
「父上と母上には何か、公にしてはならぬ事情があるのだろう。事情を確認してから二人には話そうと決めていた。だが今回は本気で死を覚悟したし、実際に生死の境をさまよった。次に同じ様な事があって、そのときも生き延びられるとは限らない。だから伝えておこうと思う」
「俺達以外には誰にも話していないんだな?」
「いや……一人だけ、打ち明けた事がある」
「どなた?」
「前皇帝陛下だ。父上はあの方にだけは何を話してもよいと仰っていた。何かあれば事情を話して頼るようにとも」
「殺戮帝か!?」
「……!」
二若と三姫は驚愕を浮かべた。
「父上は前皇帝陛下が太子時代の側近だったのだよ。私もそれを知ったのは帝都についてからだが。敵には残虐で容赦のない方であったが、私には親切にしてくださった」
二人は酷く驚いている。
そうだろうとも。残虐だ危険な人だと言われていて、だからこそ私が身代わりとして帝都に送られたのだから。