九十九
騒動に一段落がつき、参事官一行も村を発った。
予想外に村の内実に関わってしまったが、私達もここらが引き時である。
怪我は塞がっていないが、二若と話し合った上で私達も村から出て行くことにしたのだ。
毒による体調不良は無くなったが、怪我のために二若に背負われていくのは変わらない。
帝都からずっと世話になりっぱなしで、少々肩身が狭いが、この借りはいずれ何らかの形で返さねばならないだろう。
堅如らに見送られ村を離れた。
二若は迷うことなく山中へ分け入っていく。
この村から国は直線距離ならばほんの僅からしいが、街道まで出て行くとなるとかなりの遠回りとなるそうだ。
この村は隠れ里であったこともあり、街道まで出るにも獣道を行くしかなく、それならば道は無視して国を目指した方が良いという事だった。
二若は私を背負っているとは思えないほどの健脚振りを発揮し、出発から四日後には城の裏手に出た。
どこをどう通ったか判らないが、国境から幾つかある村や町を全て無視した行程で、見覚えのある建物が現れるまで、私には現在地すらわからなかった。
「着いた……」
久方ぶりの故国に、安堵が広がった。
「これからどうする? ここで夜まで時間を潰すか?」
二若の声にボンヤリとこたえた。
「ああ。三姫以外に見つかるのは拙いからな」
城は国の要だけあり、大勢の人間がいる。
この場に居るはずのない私や二若を見られるのは得策ではない。
連絡なども全く入れていないし、暗闇に乗じて忍び込むより無かった。
木の幹を背もたれにして座り込んだ。
怪我はこの四日間で随分とよくなったが、痛みはまだ残っている。歩き回る気にはなれなかった。
「ここで日が暮れるまで私は待つ。お前はどうする?」
「俺は少し辺りを見てくる」
「そうか。余計な心配かもしれないが、見つかるなよ」
「ああ。わかってる」
二若の背を見送り、城を見つめた。
こんな風に己の家をゆっくりと眺めるのは、身代わりとなって以来かもしれない。
国に戻ってくると、いつも時間に追われてゆっくりする暇などなかった。
処理せねばならないことなどが山積みで、こなしきれない事の方が多いくらいだった。佑茜の側付なんてしていたから、国に帰る時間も殆ど取れなかったし、必要に迫られて戻ってくる事があっても最低限の時間しか取れなかった。
懐かしいなと思うと同時に、少しの寂しさも感じていた。
佑茜や玉祥にもう会えないかと思うと、一抹の寂しさを覚えたのだ。
二人とも、今頃はどうしているだろうか。
玉祥にも知らせは行っているだろうか。行っていればそろそろ耳に入っている頃だ。婚礼を控えている最中で、困らせただろうか。それとも新婚の幸せに水を差した形だろうか。申し訳ないなと素直に思った。
佑茜は……どうしているか全く読めないな。平然といつも通りにしているのか、荒れて周りに当り散らしているか。玉祥のみならず私の事も気にかけてくれていると思っている。行動が読めないなりに、少しは荒れてくれるといいなと、そんな事を夢想していた。
日差しを浴びながらボンヤリとしていた。
そしていつしか居眠りしてしまったようだ。
いまだ朝靄も明けきらぬ早朝。ひそやかな出立だった。見送りも少なく、誰もが黙り込んでいた。
それもそのはず。王族の幼い子供を人質として朝廷に連れて行くのだ。楽しい気分になれるはずもなかった。
小さいとはいえ一国。攻め滅ぼされない為に帝国へ恭順と忠誠の証として、次期王である若君の引き渡しを要求されたからだ。引き渡されるのは、五才になったばかりの幼子だった。
他にふさわしい人物がいなかった。数年前に起こった内戦で、ほとんどの王族が死に絶えてしまった。ただ一人残った王族は、人質となる幼子の父王のみだった。その若き王もつい先だって病死してしまったばかりで、血縁関係のある近隣諸国の王による内政干渉の恐れがあった。
税を搾取され、領土を削り取られ、国としての威儀を脅かされかねず、最悪の場合は周りの国による領土の奪い合いが始まり、国土が戦渦に踏み荒らされかねない情勢だった。そんな中、帝国の後ろ盾を失うわけにはいかなかったのだ。しかしながら正当な後継者がいなければ、遅かれ早かれ、国土が荒らされるのは目に見えていた。
王には三人の子があったが、王子は一人きり。家臣たちは決断を迫られた。
「一姫、本当にいっちゃうのね……」
小さく稚い少女が旅装束の子に訊ねた。
二人は背丈も顔立ちも恐ろしく似通っていた。
「うん。三姫、元気でね」
一姫は泣き出してしまった三姫の頭を優しくなでた。
同じ年頃の子供達よりずっと聡い二人は、これが今生の別れになるかもしれないことが判っていた。心の色や心の声が聞こえる二人には、自分達の置かれた厳しい状況を正しく認識できていた。そしてそれが仕方のないことなのだという事もだ。
だから『行かないで』とも『行きたくない』とも口にすることが出来なかった。
三姫は二つにしているお下げの髪留めを一つとり、一姫の手に握らせた。
「持っていって」
「でも、これはお父様にいただいた大切な髪留めでしょう?」
「だから、もって行って欲しいの。一姫に貸してあげる。お父様が一姫を守ってくれるように」
三姫が口にしたお父様が守ってくれる云々は、殆どでまかせだった。
死んだ人が何かしてくれるはずがない。人を助けてくれるのは人だけだ。三姫はただ、約束が欲しかっただけだ。『貸してあげる』というのは、言い換えれば『返しに帰ってきて』という意味だ。だから『必ず返す』という、『返しに帰ってくる』という約束が、欲しかった。
一姫は髪留めを握り締め頷いた。
「うん、三姫」
一姫は確りと目を合わせ言った。
「ありがとう。……借りて行くよ。ずっと大切に持ってる。ちゃんと返せる日まで。約束する」
三姫は泣きながら頷いた。何度も何度も頷いた。
「そろそろ行くよ。二若のことお願いね。最初のうちは暴れて大変だろうけど、いつかわかってくれると思うんだ」
「会っていかないの?」
「……決心が鈍りたくないから。会わずに行く」
「そう……」
「じゃあ、ね」
少し離れた所で見守っていた大人達の元へ、一姫は歩み寄った。この旅の同行者達だ。
彼らと共に無言で出立し城門を出たところで一度だけ振り返ると、門のところで三姫が手を振っていた。他にも見送りに来ていた者が、皆黙って見つめていた。
一姫は隊の足を止め、深々と一礼した。
そうしなければいけないような気がしたからだ。誰も自分を好き好んで送り出しているわけじゃない。辛いのは彼らも同じだ。それがよくわかった。
城の姿が見えなくなり、峠を一つ越えた頃だった。馬に乗っての移動だから大して疲れてはいなかったが、隊は休憩をとることにした。
たいした距離ではないが、これほど長い間馬にゆられたことのない幼い一姫は、地面に抱き下ろされたとたんへたり込んでしまった。すぐさま道の脇に敷き物が敷かれ、お茶が沸かされた。一同が再び腰を上げ動き始めた時だった。森の奥から子供の声がした。
始めは気のせいだろうと思っていると、どんどん声が近くなってくる。
不明瞭だった言葉も、はっきり聞き取れるようになるにつれ、皆唖然としてしまった。
「いちー!! 一姫ー!!」
皆が見守る中、雑木林の中から子供が一人飛び出してきた。
「二若!?」
一姫はあわてて駆け寄った。
全身泥まみれの擦り傷だらけだった。
「どうしたの!? け……」
怪我だらけじゃないと言いかけた一姫は、言葉を飲み込んだ。
鬼気迫る形相で二若が一姫に掴みかかったからだ。
「行くな! 身代わりなんて許さない!」
二若の剣幕に一姫は腰を抜かした。
周りを取り囲んだ大人たちをにらみ上げて、二若は怒鳴った。
「つれて来いって言われたのは俺だ! 何で一を連れて行く!!」
同行していた乳母が、諭すように目線を合わせてかんで含めるように優しくいった。
「こうするより仕方がなかったのです。二若様。わかって下さい」
二若は肩に置かれた手を払い、激昂して怒鳴った。
「お前達は一姫が殺されてもいいっていうんだ! そんなこと認めるものか!!」
大人達はその言葉に後ろめたそうに目をそらした。
なおも言い募ろうとした二若を一姫が黙らせた。
「黙れ、若!」
むっとして二若いった。
「本当のことだろ!」
「だったら他に方法があるのか!? 大勢が死ぬ! 城の者も、里の者も、お前や三もだ! 余計なことを言うな!」
「それでも、ダメだ!!」
一姫は、二若をじっと見つめ、懐から懐剣を取り出した。
「一……?」
一姫は一つに縛った長いおさげを、取り出した懐剣で一息に切り取った。
「何してるんだよ!?」
驚く二若に、無言でずいっと突き出した。
わけもわからず、二若はそれを受け取った。
一姫は懐剣を懐に戻しながら、言った。
「今日この時から、お前は一姫だ」
「な!? こんなもの返す!」
一姫は頑として髪を受け取らなかった。
苛立って投げ捨てようとする二若に釘をさした。
「私の名前をその辺に捨てるのか!?」
グッと捨てるに捨てられず動きを止めた二若を、護衛の一人が抱えあげた。
「はなせ!」
二若がどれほど暴れても全く意に介さず、軽々と馬に乗せてしまう。
「先に進んでください。二若様を城に送り届けたらすぐ後を追います」
「嫌だ! はなせ!! 一! 一ー!!」
二若がどんなに泣いて怒って暴れても、彼が必死になってやってきた道を容赦なく戻っていった。
ふっと目を覚ますと、日が少し翳ってきていた。
懐かしい夢だった。私は目元に滲んだ涙を拭った。




