婚約者とその愛人に海に突き落とされた私は生還した後、海賊になって国を守ります
青空に延びる細かい彫刻が施された細いマスト、太陽の光を浴びてキラキラと輝くシルクの帆。至る所に装飾が施されたその船は『造形美』としての役割しか与えられていなかった。
(素材はいいのにもったいないわね。改造すればとっても速い船になりそう)
つばの広い帽子と赤いロングジャケットを羽織った女海賊は赤い唇から憐憫のため息を吐く。
海洋王国ドルディラが海の覇者だったのは過去のこと、昨今は海賊が横行し、高い身代金を要求されて身ぐるみはがされるのが定番となっている。
それは王国の王太子、ガレンも例外ではなかった。
婚約者のリリアナと抱き合い、海賊たちに恐れおののきながら目に涙を浮かべている。
「お、お願いだ。命だけは助けてくれ!!金ならいくらでも出す!!」
「殿下! 海賊風情に命乞い何てみっともないですわ!!私たちは未来のドルディラの王と王妃よ。こ、こんなことして許されると思っているの!?」
「リリアナ。相手を刺激しちゃいけない! 身代金を払えば助かるんだから! な、そうだろ?」
弱腰のガレンと違い、リリアナは肝が据わっている。
女海賊は口笛を吹いてリリアナの雄姿を称えたあと、二人に近寄って帽子を取った。さえぎるものがなくなって女海賊の華やかな容姿が太陽の光に照らされる。
「二人ともお久しぶりですわね! といってもお分かりになりませんかしら、二年前、殿下から婚約披露パーティで婚約破棄をいきなり突き付けられて船から突き落とされたカルメンシータですわ。世間では事故ってされているみたいですけど」
にっこりと笑う女海賊……カルメンシータはとても凛々しくて美しい。貴族時代の優雅さと海で過ごした荒々しさが、独特の風格を彼女に与えていた。
「カ、カルメンシータ!!?」
ガレンは驚いて声をあげる。
「な、なんでっ!!あなたが……生きているのよ」
リリアナの顔が真っ青に染まる。
「そりゃあ不思議よね。潮の流れのはやい海域に突き落としたんですものね」
二人の顔が蒼白になる。まさか自分たちも同じ目に合うのでは……と恐怖で体が震えた。
「だ、だからよそうって言ったんだ。カルメンシータ!! 僕はリリアナに騙されたんだ。美しい君に嫉妬したリリアナが僕を騙したんだよ!」
「ち、違うわっ! あなたの活躍を妬んだこの男が私に強制したのよ。お願い信じて……私たち、友達でしょう?」
「あまり興味がないからどうだっていいわ。あと、仕返ししようなんて思ってないから、身代金が支払われれば国に戻してあげるわ」
カルメンシータにとって二人はもはや過去のもの。お金さえ頂ければいい。
二人はカルメンシータの返答にホっと胸を撫でおろした。
「身代金の支払いの意思があれば貴人として待遇してくれるんだよな? 縄を外してくれ。ちゃんとした食事がしたい」
ガレンの言葉にカルメンシータは頷いた。
「伝書鳥が来たらね」
「はっ。いくら吹っ掛けるか知らないが、王太子の僕に対して国が払わないわけないだろう」
ガレンは鼻で笑った。
「そうよ。カルメンシータ。私は未来の国母として慕われているの。あなたが驚く以上の金額をすぐにそろえて持ってくるわ」
リリアナは勝ち誇ったように笑った。
そうこうするうちに青い空に黒い影が凄まじい速度で降りてくる。リュンアー鳥と呼ばれる特別な鳥だ。国家間の伝書送付にも使われる。鷹よりも大きく、ツバメよりも早い。
二人はその姿を見て笑顔を見せた。
「あらら。残念。身代金は支払わないそうよ」
足首に巻かれた文書を読みながらカルメンシータは言った。
「は!? そんなわけあるか!! 嘘を吐くなカルメンシータ!!」
「そうよ!! 嘘じゃないというなら見せなさいっ!!」
二人にそう言われたカルメンシータは肩を諫め、その紙を二人に見やすいように間近で広げる。
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海賊船長カルメンシータ殿
貴殿の要求、5000金貨は支払うつもりはありません。
お気のすむようになさって下さい
ドルディア王国国王 アーサー
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二人は目を見開いたまま、その紙を凝視した。何度も何度も読み返し、それでも頭が理解を拒む。
「宰相の方からも文章が届いているわ。読み上げますね」
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身代金を支払うために開いた御前会議で王太子が財務大臣を脅し、一万5000金貨を豪遊に使ったことが発覚しました。その他にもリリアナ殿の生家が二万金貨にも及ぶ横領をしていたことが分かりました。
そのため、身代金を払う価値なしと判断しました。
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宰相の補足にカルメンシータは思わず吹き出す。婚約時代から無茶をやる人だと知っていたが、ここまでとは思わなかった。ちなみに、カルメンシータが要求した身代金は2000金貨で一つの街の一年分の税収くらいだ。
ちなみに、ひっそりとカルメンシータ宛てもある。
『あなたが無事で一同安堵しております。嫌な思い出が多いでしょうか、どうか立ち寄って頂けないでしょうか。宰相アドルフ・イングリス』
その名前を見た時、カルメンシータは驚いた。彼は幼馴染でもあり、私に海を教えてくれた人だ。ドルディラが海洋国家として海の覇者となり続けるために、二人で何度も話し合った。彼が王太子であればいいのにと何度思ったことだろうか。
カルメンシータが助かったのは彼のおかげだった。海に落ちた時も彼の配下の人たちが小舟を回し私を拾い上げた。離島で私が安心して回復できる場所を用意してくれたのだ。
「海軍将校から宰相になったのね。あのガレンはまともに仕事しないからしょうがないか」
第二王子ということが本当に悔やまれる。
国王が病床に就き、カルメンシータがいなくなってからたったの二年でドルディラは海の覇者ではなくなった。近海は海賊船や私掠船が横行し、商人がドルディラに行くのさえ困難になったのだ。
カルメンシータはアドルフの教えと配下をまとめあげ、海賊団を作った。ドルディラを狙う私掠船や海賊船を海に沈めて陰ながらドルディラを守った。
ガレンとリリアナを捕縛したのはほんの偶然だ。商船を襲っている豪華絢爛な船が目に入り、割り込んでいったら二人がいたというわけだ。
商船の船長に話を聞くと、無茶な航路に舵を切っていたので止めようとしたら激怒され、慰謝料という名目で金品を持って行かれそうになったという。まるでゴロツキだとカルメンシータは呆れた。
ドルディラ王国も二人を切り捨て、むしろドルディラの民に迷惑行為をする二人……。
「あなたたちの身柄は私に一任されたわ。どうすればいいかしらね」
カルメンシータが二人を見るとガレンは媚びたように笑う。
「カルメンシータ! ようやく真実の愛がわかったんだ。私が愛しているのは君だったんだ。すまない。本当にすまない。これからは君の側で君のために生きるよ」
「カルメンシータ。わ、私が悪かったわ。王太子に逆らえなかったの。あなたならわかってくれるわよね」
二人の懇願を聞きいてカルメンシータは少し考えた。
「私と同じように二年間海で暮らしてみるといいわ。あなたたちの働きぶりでその後のことは決めるわ」
「な、僕に水夫の真似を知ろというのか?!」
「私はか弱い女よ。できるわけないでしょう!」
「そもそも未来のドルディラを担う王と王妃が海を知らないっていうのが言語道断なのよ。先代も先々代も夫妻揃って海を支配していたわ。できなければ王太子の座を返上しなさい。二人でひっそりと田舎で暮らせばいいわ」
カルメンシータは二人に二択を突き付けた。海を制覇して王太子として国に帰還するか、それともただの貴族になるか……究極の二択だが、ガレンはあっさり後者を選んだ。
「ちょ、ちょっとガレンさま!? 私はどうなるの? 王太子妃じゃなくなるなんて嫌よ!!」
「うるさい!! 海の上で面倒な仕事などやってられるか!! それなら俸禄を貰って陸地で生活していた方がいい!!」
「わ、わたしだってそっちの方がいいけど、でも、私はどうなるの?田舎暮らしなんて嫌よ。カルメンシータ。私がか弱いって知っているわよね。田舎なんか行ったら病気になっちゃうわ」
「むしろ休養にはピッタリでしょ」
カルメンシータはそう切り捨てて王都に向けて返事を書いた。
二日後、ドルディラの港は大歓声でカルメンシータが率いる海賊船を迎えた。
「カルメンシータ様が戻られた。これで国は安泰だ!!」
「カルメンシータ様ばんざい!!」
人々の声にカルメンシータは思わず涙が出る。
そして王宮からの使節団の筆頭はアドルフだった。
以前と変わらない精悍で理知的な顔に優しい笑顔を浮かべ、彼はカルメンシータの帰還を喜んでくれた。
「お帰りなさい。カルメンシータ」
「ただいま。アドルフ」
■
アドルフは議会の満場一致で王太子に決定した。そして彼と議会がカルメンシータを王太子妃にと望んだ。
「私は海賊だった女よ。さすがにそれはまずいんじゃないかしら」
「君がドルディラを陰ながら守っていたことはほとんどのものが知っている。夫を助けられた夫人、息子を救ってもらえた母、恋人を取り戻してもらった令嬢……君の支持者はごまんといる」
「……それはよかったわ。でも私は仮にとはいえガレンと婚約していたわ。不道徳ではないかしら」
「真面目な君がそう思うのは無理ない」
アドルフは言った。そして彼の言葉を続けるのは議会長の王族公爵バードワズだ。
「それに関しては完全に我々の落ち度だ。最初、あなたとアドルフの婚約を推し進めていた。しかし、ガレンが急にあなたを王太子妃にしたいと国王陛下に願い出たのだ。『心を入れ替えて真面目に勉強するから』という言葉で陛下はその願いを聞き入れてしまった」
バードワズは悔しそうに目を伏せる。
「だが、ガレンはその約束を守らず、遊興にくれて愛人まで作った。こんなことなら、あなたを諦めるなどしなければよかったと何度悔いたことか」
アドルフの眉間に皺が寄る。それをバードワズが悲しい目で見た。
「カルメンシータ。すべての責はガレンの資質を見誤った我々にある。あなたこそドルディラの未来を導く国母であるべきだ。あなた以外考えられない」
バードワズの青い目がカルメンシータを見る。海のように雄大で力強いそれにカルメンシータは覚悟を決めた。
「バードワズ卿にそこまで言って頂けるのなら、私もこの身をドルディラに捧げましょう。どうかこれからよろしくお願いいたします」
カルメンシータが頭を下げるとバードワズの口から嗚咽が漏れた。後悔、自責……そして喜び、色んな感情が彼の中で噴きだしたのだ。
■
カルメンシータとアドルフは正式に婚約を結び、未来の国王、王妃として忙しい日々を送っている。だが、夜の寝る前は二人並んでソファに座り、未来の国について語り合う。
「そういえばアドルフ。私、気になっていることがあるの」
「なんだい。カルメンシータ」
「私が海に突き落とされた後、あなたの配下が助けてくれたでしょう? 気絶していたからあまり覚えていないのだけれど、たぶん、海に潜って助けてくれたと思うの。目が覚めてから、回りの人に聞いても皆は知らないと言って結局誰だかわからずじまいなの。お礼を言いたいから教えてくれる?」
カルメンシータは冷たい夜の海の事を思い出す。嫌な事件だったが、救ってくれた手の感触、力強い腕だけはカルメンシータに安堵を与えてくれた。
「……僕だ」
「え?」
「僕が君を抱えた。君が危険な目に合うって知って居てもたっても居られず……」
アドルフの耳が真っ赤になる。
「そ、そうなのね」
つられてカルメンシータの耳まで真っ赤になった。
なんどなく気恥ずかしくなって俯く。
しばらくの沈黙があったあと、アドルフが小さい声で言った。
「君を助けることができて本当に良かった……」
「……ええ。本当にありがとう。あなたがいたから私は今、ここにいるわ」
アドルフの大きな手のひらがカルメンシータの肩に触れる。大きな手のひらと逞しい腕、その温かい温度にカルメンシータは海の中にいた時のことを思い出す。あのとき、あれほど安心できたのはアドルフの腕と手だからなのだとカルメンシータは思った。
「大好きよ、アドルフ」
「大好きだよ。カルメンシータ」
二人は肩を寄せ合い、幸せそうに名前を呼んだ。