しろいかげ
大きな空間が私たちを待ち構えていた。中は薄暗く、中央の灯りをつくっている照明らしい何かが不気味に輝いていた。彼の着ている学校の制服の白が一番目についた。
・・・
私は疑問を抱かずにはいられなかった。部屋が暗いからではない。照明が不気味だからではない。
・・・・彼女が、華凛がいない。
それだけは薄暗くても私は察知できた。
「華凛っ!どこだっ俺だっ直哉だ」
彼の声が傘の中いっぱいに響く。返事はない。静けさだけが彼に返ってきた。歩きながら私たちは辺りを見回した。
「・・やっぱり」
「何あれ、君、あれも知ってたの?」
少し離れた場所に拷問用具らしきものが見える。やはり、私の記憶に間違いはなかった。でも彼女の姿はなかった。どうして、
「・・あ、あれ」
彼が指をさした先に何か見える。
螺旋階段。細い螺旋階段が上へ伸びている。暗くて状態がわからないがこの広場のイメージからしてそう脆くない感じがする。私は彼に登るの?と聞こうとしたときには、もう彼は私の一歩先を歩いていた。私もすこし早足になって彼を追った。
螺旋階段に足をかけたのは私が先だった。彼は周辺の主幹や照明を調べていたのだ。
バリッ
一段目が音をたてて崩れ落ちた。
「キャッ」
自分でもみっともない悲鳴だったと思う。驚いた拍子に尻餅までついてしまった。
「大丈夫?ごめん、気づけなくて」
彼がサッとやってきた。さながら執事みたいだ。
「平気」
本当は驚いたし、まだ怖い。彼からはまったく恐怖心が伝わってこないのが不思議だった。
二段目は崩れずに登ることができた。ただしミシミシと嫌な音がするので安心はしていないけれど。真上を見てもただ暗闇が続く。あと何段あるのかわからないまま私たちは螺旋階段を登り続ける。
カツカツ
かなり登ったような気がする。まだ階段が続く。
「・・・・」
彼が黙って足を止めた。どうしたんだろう。ふと左側を見てみると光が微かに漏れている。
窓。
とまではいかないが、外が見える程度に透けた壁、のような部分があった。光が懐かしい。
「・・くっ」
彼が壁から顔を離して私に見るよう勧める。
「・・・・」
私は黙って、
降り注ぐ灰の雨を見ていた。
この時点で本当は華凛の叫び声が響いて、彼は一気に階段を駆け上がり、彼女を発見する、はずなのだが・・・・
「華凛・・・・」
彼が力ない声で言った。灰の雨は明らかに雨量を増していた。彼女の安否が私にもかなり不安になってきた。
無音の雨は私たちの前を横切っていくだけで何も答えなかった。
「アイツ・・おっちょこちょいな奴だったな。まあ、いい幼なじみだったかな。」
「勝手に殺さないでくれる?バカ直哉」
私たちの後方から高い声がはっきりと彼を罵倒した。
「か、華凛!」
「か、華凛・・じゃないわよっ!どうゆうこと?ふたりで行くって話だったじゃない!なのに、何その子?」
「ちちち、違うって、誤解だ!そうゆうんじゃねぇ!」
「ヒドい、酷いよ直哉。あんまりだわ!・・・・この髪留めだって直哉が私にってくれたやつなのに!」
私、邪魔?
「・・お前、まだつけてくれてたのか?」
「な、何よ!」
彼女は自分のツインテールの髪の先をクルクルと弄りだした。ついでに顔も真っ赤だった。
●○●○
「あんた、もしかしてこの傘の中からあたしのこと叫んだ?」
彼女が階段を登りながら彼に言った。
「いや、叫んではいない、呟きはしたけど」
そう、と彼女は返して自分がなんで直哉と遭うのを待たずに来たのかを話した。
「声がしたのよ、はっきり。あんたみたいな男の声だったから、そうかなって思ったんだけど」
声、私と彼はこの傘に入ってからお互いの声以外の声は彼女と遭うまで聞いていない。私は知っている。その正体を知っている。声の主は彼自身。つまり、愛のテレパシーというわけだ。まあ、それがわかるのはもっと後になってからだけども。
私たちはカツカツと螺旋階段を登りながら、上の階を目指す。下を視界の中に入れたらいけないと、私は両手を目の端につけて視界をわざと狭くした。私が見ているのは階段だけ。
ふう・・・
黒に染められた私の視界の中に白い影が現れた。見間違えかと思って私は顔を上げた。目の前には何もない。ただし、私の後ろを歩いていた彼女が私の背中を押した。足元に白い影がゆらゆらと蠢いていたのが見えた。有害か無害かわからないその白い影はゆっくりと私の足元を泳いでいた。彼女が私を押した理由、私を守るためなのだと私は察した。私が慌てて螺旋階段を駆け上がると彼と彼女も応えるように走りだした。
「・・!追いかけてきてる」
「とりあえず逃げようっ!」
彼、彼女、私の順で一列に、細い螺旋階段を駆け上がる。私の少し後ろをしろいかげは、まるで蛇行運転している自転車のような軌道で追いかけてくる。
「あれ!あれ見て!」
彼女が走りながら上を指差す。
微かな光が頭上に見えた。闇の中でその光はふわふわと揺らめいていた。
私たちは螺旋階段を登りきり新たなフロアに到着した。
●○●○
あのしろいかげが有害か無害かなんてあまり関係ない。何故かというと今、私はそんなことを考える暇がないほどのある感情が私を支配しているからだ。驚愕、そして恐怖。
目の前に無数の檻。中には誰も入っていないが檻の床や柵の部分に赤黒い染みが見える。私は思わずその場で膝を折った。視界が狂う。寒気がする。
私が肩をふるわせていると彼が口を開いた。
「大丈夫?君はここにいて、今調べてくるから。お前も一緒に・・・・」
「わかったわ」
彼女がしゃがみこんで私の肩に手を置いた。
ツカツカと彼は檻に向かって歩いていく。そんな彼を私はただ見守ることしかできなかった。
その時だった・・・・
ガタンガタンガタン
ひとりでに檻が揺れ動いて轟音を発した。まさにポルターガイスト。私は彼女に抱きついた。
「直哉っ!」
彼女は私を抱きしめたまま言った。彼はその声を聞いて檻からかなりの距離をとった。
「その子を連れて逃げろ!」
彼は檻と適度な間合いをはかりながら、私たちの近くまで足を運んだ。
私たちは部屋の側面に沿うように走りながら必死に逃げていた。次の階に続く螺旋階段に向かって走りながら彼の状況を見守った。
螺旋階段の一段目に足をかけたときだった。
ガラガラッ
螺旋階段のほとんどは錆がひどく、キイキイと音をたてている。私たちの体重に耐えることなんて出来るわけもなく、螺旋階段はあっけなくバラバラになった。どうしょう、こんな展開、記憶にない。どうしょう、どうしょう。
私はもう何もかも諦めてここで気を失ったふりでもしてやろうかと思った。
私の感情は恐怖から不満に変わっていた。私が何をしたっていうの?悪いことなんてしていない、なんで?
でも、この怒りの矛先をどこに向けていいのかはわからなかった。
・・・・もういいや
私は目を閉じた。
・・・・・・
私の手首を誰かが掴んだ。確かに誰かが、確かに・・彼が。
「大丈夫?こっち、急いで!さっきの影も来たから」
彼に引っ張られながら後ろを見るとあのしろいかげがまたゆらゆらと宙に浮いて、私たちの後をつけてきていた。
彼は壊れた螺旋階段に向かって走っていたことに気づいた私は彼を止めようとしたが、彼は走る足を止めようとしない。
「そこ!」
彼の指差す先には壁があった。ただし脆く、崩れ落ちた表面に人がギリギリはいれそうな隙間が見えている。
私たちはその隙間に駆け込んだ。とりあえず檻の群れはもう心配ないだろう。隙間の中には細い通路が私たちから見て左にのびていた。
「直哉っあんた、なんでこんな通路があるってわかったの?」
「別に通路があるってわかったんじゃない。」
どうゆうこと
ふぉお
そう考えていたときだった。
「風が流れてる・・・・」
「そうゆうこと」
私の頬を冷たい風が撫でた。
・・・・・・
私は何も知らなかったのだ。絶望的に小さな私たちを、誰が見つけることもなかった。