表現の自由って、認めることであって認められることではないよって話。
最近は自分の気に入らないものを勝手に"表現の自由"の範囲外だと言って、表現自体をやめさせようとする人たちがいるが、彼らは表現の自由をそもそも理解していない人たちである。
表現の自由とは誰かが範囲を決めたりできるものではない。
表現の自由とは、"自分が気に入らないものの存在を認めること"なのだ。
じっさい、これってかなり難しいことである。
何しろ気に入らないのだから、何でもいいから理由をつけて批判したくなるのが人間というものだ。
そのとき自分が気に入らないからやめろとは言えないので、「女性が傷つく」とか「子供の成長に有害」とか何とか理屈をつけるのだ。
それが本当かは重要ではない。それっぽい理由であればいい。それで批判者の罪悪感は薄まるからだ。
「理屈と膏薬は何処へでも付く」なんて言葉があるくらいだ。
ここ「なろう」でも近いことはある。
感想欄で「こういうキャラクター気に入らない」とか「こういう展開はいかがなものか」みたいなことを言う人がいる。
わかる、気持ちはわかる。
でもそれは、萌え絵のポスターに文句をつけるのと何も変わらないのではないだろうか、と思うわけである。