第六章 絶望的な愛を君に
稽古最後の日がやってきた。
茶室で準備をしながら、彼女のことを視界に入れる。
何も気づいてない。何か気付いてる。
彼女は帛紗を胸にしまいながら薄く微笑んだ。
・・・一体どっちだ。
心の中でコイントス。裏も表もわかっちゃいない。
それでも、この作戦に賭けることにしたんだ。彼女を手に入れるための最後の布石。
花瓶に喇叭水仙、香合の中にメッダの14mg。
『尊敬』するあなたへ、『報われない恋』を。
いや、この恋は絶対に実らせてみせる。
襖の前、覚悟を決める。
何も知らない彼女は俺に師範としての言葉をかけた。
それに真っ直ぐと答える。
これが終わったら側には居られなくなるね。
それでもこの稽古の意味をここに。
流れるように、堂々と繊細に。
彼女に何度も言われたこと。茶筅通しは茶筅を抜くまで気を抜かない。かける声は凛として。他にもたくさん。俺の指先の動き一つ一つが彼女の言葉だった。10分のお点前はあっという間に仕舞の動作も終わりに導く。帛紗を腰に戻すと俺は一息ついた。
彼女と礼をする。1.2.3.4.5.顔を上げた先には降り始めた雪を背景に凛とした横顔を見せる彼女がいた。美しい。このままずっと眺めていたい。そう思った。
道具を片付けながら、茶室にいる彼女に言う。
「センセ。俺、稽古つけてもらえてよかった。」
「そういってもらえて光栄だよ。」
彼女の声はどこか楽しそうだった。
「来月からはどうしようか。このペースならもう一つ上の・・・。」
当たり前に来月の話をする。それでもいいかもなと思った。でもそれじゃダメなんだ。
「センセ。あのね。」
「ん?」
「俺が探してた人、お抹茶を点てたかった相手、センセなんだ。」
「えっ・・・?」
お別れの前に真実を。それくらいは許してくれるだろう?
「ホテルマンでバイトしてたって言ったでしょ。あの時、センセがお点前した後に言ったんだ。綺麗なお茶室ありがとうございますって。その時、俺ただのバイトだったからビックリしちゃって、所作やお点前だけじゃなく、心まで広いなんて綺麗な人なんだろうって。まあそのあと喫煙所で再会したときは新しいセンセ見れて別の意味でビックリしたけど。」
「よく手入れが行き届いているホテルのお茶室・・・お礼を言ったホテルマン・・・もしかして。」
道具を仕舞い切り、ゆっくり立ち上げると玄関に続く襖に手をかけた。
「だからね、センセ。ありがとう。」
だからね、センセ。5年したら俺のものになってね。
「愛してた。」
その言葉とともに水屋を飛び出す。
彼女が水屋に続く襖を勢い良く開けたのを背中に聞きながら、非常口を蹴り開ける。そのまま駆け降りると昼休憩に隠しおいていた荷物をひったくり商業ビルから離れていった。
後ろ髪引かれない訳じゃない。これが正解だったかもわからない。
でも。
「あんたって人は・・・!」
茶室に仕込んだ盗聴器に響く声に俺は走りながら満足げに微笑んだ。