第五章 下準備と様子見
彼女は俺に稽古をつけてくれることになった。
そしてあっという間に一週間が過ぎ、二週間が過ぎ、三週間が過ぎたところで、彼女の態度にも変化が表れていた。
どことなく居心地の良さというか、情というか、何か思うところがあるようなのだ。喫煙所で座っていると彼女が安心したように一息ついた。
「気に入りましたか、この匂い。」
稽古を始めて3週間と少し。稽古終わりの喫煙所にて彼女は何を言うんだお前といった顔で、眉間にしわを寄せた。それをニコニコして見ながら俺は煙を吐く。
「センセが俺の色に染まっていくみたいで嬉しいなあ。」
「言っとくがそれは吸わんからな。」
「手厳しいなー。」
俺はその態度が嬉しくてつい本音をこぼした。彼女の口の悪いところも全部ひっくるめていいなと思っていた。初日にむせたことを根に持っているのだろう。彼女は俺の本音には気づいていなかった。
それならば言ってしまおうか。
「ねぇ、センセ。」
「なんだ?」
「俺、センセが好きだよ。」
「師範としてなら教えがいがあるというもの。光栄だな。」
ああ、これ気付いてないな。
「違うよ。一人の女の子として好きだよって言ったらどうする?」
さらに爆弾を放つ。真っ直ぐに放たれたそれに彼女は顔を真っ赤にして口をぽかんと開いた。その姿が愛らしくて俺はくすくすと笑いをこぼした。
そっと彼女の柔らかい手を取る。
ふっと、レモンの香りがした。
いつも飲むカクテルの香り。彼女からその香りはした。
一瞬動揺する。その動揺を振り払い、俺は彼女をまっすぐ見つめた。
甘酸っぱい恋心。
もちろん師範として尊敬してない訳じゃない。彼女の技術は、心構えは、年下と思えないほど素晴らしかった。
それも含めて愛していた。
「センセ、好きだよ。」
この腕を引いてそのまま連れ去ってしまいたい。
いや、まだだ。
まだその時ではない。もっと、もっと、もっと彼女に入り込まなくては。
「バカ言ってないで、今日の稽古でも洗ってくるんだね。」
つっけんどんに言い放った彼女の耳が赤い。それだけで俺は満足して頷くとそっと彼女の手を離した。
1ヶ月の目標に決めた茶席まであと少し。神棚に置いた花瓶に入れる花も香合の中に入れるものも、もう決めてある。彼女はきっと驚くだろう。茶道の倫理からしたら怒られても仕方のないことだろう。それでもいい。そこまでしてまで彼女の記憶に残りたかった。
「センセ、また明日ね。」
吸い終えたタバコを揉み消しながら喫煙所を後にする。彼女が振り返り一度手を振った。それに振り返して、歩き出すと俺は緩む口角を抑えた。
「可愛すぎて無理。」
へなへなと電柱に寄りかかりながら、彼女の余韻に浸ることにした。