それぞれの宝 3
カフェで席に座る男女二人とその正面にいるのは男一人。男女の方の男は顔面蒼白でわずかに震えており、女の方は怒りで顔が真っ赤だ。
目の前にいるのはかつて夫だった男。覇気もなく気が弱く、趣味もないつまらない男だったが金だけはため込んでいたので本命となる男と出会うまでの財布として結婚した。今の夫と出会ったのでさっさと離婚したのだ。それが、今。目の前にいるのは本当に自分の知っている元夫なのかと疑いたくなるほど別人だった。
まず見た目が違う。明るい茶髪に染め身に着けているのはすべてブランド品、態度も自信に満ち溢れ高圧的だ。本当に、これが元夫の義一なのかと疑ってしまう。
たった今川口から今説明された事実に、二人は理解が追い付かずにいた。今、夫の会社は川口が筆頭株主だと言うのだ。それも株を全体の6割を持っているという。創設者や一族でもない限りあり得ないその比率に女は信じられない思いでいっぱいだ。そんなの、会社を売り渡したと言ってもいい。夫に何故そんなことになったのかと問い詰めればわからないを繰り返すばかり。
「一体どういうこと!? ありえないでしょう6割持つなんて、何で気付かなかったの!?」
「だから本当にわからないんだよ! 俺の株がいつの間にかなくなってて……!」
「あー、そういうのは外でやれよ。今俺がしゃべってんだ、黙ってろ」
「なんですって!?」
「いいから黙れ、外に蹴りだすぞ豚」
ヤクザのような鋭い目つきで睨まれたうえにワントーン低い声に柄にもなくビビってしまう。彼はこんな態度をするような男ではなかった。いつだって他人の顔色を窺いながらビクビク生きていたというのに。
「経営陣にお前の金遣いの粗さと、経費っつってそこの馬鹿女に貢ぎまくってた事実伝えて経営状況改善しろっつったらあっさり解雇を提案してきた、俺はそれを承認した。今日からお前は無職なんだよ、バーカ」
「そんなバカな! ありえない、経営陣ってあいつらだろ!?」
ユースアティック株式会社は男が大学時代の仲間と立ち上げた会社だ。親友と後輩たちでどん底の貧乏から勝ち進んでようやく成長させた大切な会社。文字通り同じ釜の飯を食った仲だ。それを、苦楽を共にした仲間たちから捨てられたと告げられたのだ。
「お前が親友、と思い込んでた黒岩な。ある程度金に余裕が出てきたお前は人が変わっちまって愛想が尽きてたんだと。後輩たちも、苦労して育てた会社を我が物顔で好き勝手するお前がさっさと死なねえかなってお祈りしてたんだそうだ」
「一緒に、苦労して、立ち上げたのに!」
「その苦労の結晶を食い散らかして仲間の信頼を裏切ったゴミはお前だろうがよ」
川口の言葉に男はすぐにスマホをいじり連絡を取ろうとするが、全員から着信拒否のアナウンスが流れるだけだ。SNSもすべてブロックされている。
「経営は黒岩がやってくれるそうだ、経営陣も満場一致だ。俺も異存はない、正直会社の運営してたのほぼ黒岩だったからな、お前は遊び惚けてただけで。お前の席も荷物も全部ゴミに出しておいたから、二度とこなくていいよ」
そう言うと川口は立ち上がる。二人はどこ行くんだと食い下がって来るが、店の入り口から若い女が小走りで近寄ってきた。
「ごっめ~ん義一さん、遅くなっちゃった」
女子大生くらいだろうか、胸の開けた派手な服と煌びやかなブランドバッグでいかにもパパに買ってもらいました、というような風貌だ。それでもモデルのように可愛らしく、細い腰とすらりとのびた足は男であれば注目してしまうし派手な服もよく似合っている。
「ああ、いいよ。場所変えよう、ゲロ吐きそうだからここ」
「ふうん? いいけど。誰? この人たち」
女はじろじろと不躾に二人を見る。その態度に、妻だった女はぎりっと唇をかみしめた。
「あっちはニート、この女は俺の元奥さん」
「え? マジ!? きゃはは、やだあ、こんな皺まみれのババアが好きだったの? 信じらんな~い! 昔はゲテモノ趣味でもあったの?」
「なんですって!?」
思わず叫んで立ち上がると店員が寄って来て、他の客の迷惑になるので店を出るように言ってくる、何故か川口たちにではなく自分たちに。
「じゃ、行こうか」
「うん! ねえ~、私欲しいものがあるの! アビスの新作バッグなんだけどめちゃ可愛くてぇ、買って? いいでしょ?」
「ああ、カード渡しておくから好きなの買っていいよ」
「ホント? やったあ、ありがと!」
腕を組んで店を出る二人を慌てて追いかけようとしたが、何故か警察が来て店で暴れたということで連行されることになった。何故か、女だけ。
ぎゃあぎゃあと騒がしくなった店を出る際、店のマネージャーに迷惑料を払いそのまま後にした。二人で歩き、ビルの路地裏に入ると女は組んでいた腕を放して姿勢よく立つ。
「ご苦労さん、なかなか良かったよ、演技も警察呼ぶタイミングも」
「ありがとうございます」
先ほどの馬鹿っぽい雰囲気など微塵も感じさせない。彼女はプロだ。どんなシチュエーションでも誰にでもなる代行人サービス。その中で見た目と演技力重視で注文をしておいただけある。あの馬鹿女にはこれだけで十分だろう、会社の金に手を出したという事で執行猶予付きの実刑がくだるよう手配もしてある。
「これからもお宅の会社は使わせてもらう、鬱陶しいハエは増えるだろうからな」
言いながら内ポケットからいくらか厚い封筒を渡す。無論報酬は別途払っているが、チップだ。電子マネーよりもやはり現金というのが一番インパクトある。女は動揺する事なく受け取り、深々と礼をしてその場を後にした。よく教育されている、いい会社を見つけることができたと川口は満足そうに笑う。
あの株券を持ち帰ると、どういうわけか自分が正式に買い付けたことになっていた。しかも他の株券も世界に名をはせる超有名企業ばかりだった。あっという間に川口は資産が増えた。自信もつき、燻っていた炎を解消するために今回あの茶番を実行した。
株券を持った時、海里のオルゴールを聞いたので株券の内容が川口の望む内容に書き換わったのだが、無論そんな“事実書”を知る由もない。
元妻の不倫相手はとっくに内輪から切られる寸前だったので、少し後押ししただけだ。男の不倫中の金の使い方を少し役員会で指摘しただけ。事はとんとん拍子で進んだ。
金は手に入れたが、これにおぼれる気はない。それはあの馬鹿どもと同じだ。投資のプロも雇った、資産運用は慎重にやらなければ。今後自分に寄って来るのは金目当てのハイエナばかりだ、誰も信用できない。
もはや、個人同士の形のない信頼など不要だし無意味だ。契約、保証、実績による「信用」だけあれば事足りる。愛だの夢だの冒険だのと、そんな形のないものは非生産的過ぎる。そんなものに頼るから上手くいかないのだ。徹底的に調査して、数値を出して、見える化しているものだけが価値がある。今までの自分は非効率だったし人として本当にダメだった。苦楽を共にした仲間にさえあっさり見捨てられるような世の中なのだから、利口に生きなくては。
今回のこの会社も意趣返しが出来れば用はない。例え黒岩が経営したところで、あと1年もすればサービスがマンネリで落ちぶれるのが目に見えている。それが今見えていない、成長していると勘違いしている今が株の売り時だ、損切しなくて済む。
黒岩たちからすれば自分たちの会社の株を赤の他人が半数も所有するなど面白くないはずだ、絶対に後で揉める。それに大学サークルのノリで、頭の中が子供な連中が作ったどこにでもありそうな会社などあっという間に周囲に真似されて価値が下がる。上場企業や確かな実績がある会社が真似をしたらこの会社は終わりだ。株を持っていてもまったくうま味がないのだ。
川口はふん、と小さく鼻で笑うと歩き出した。
●宝は、人を変える●




