第9話:個人的な理由
ルートヴィッヒ様が頭を下げられるとか、そんなことがあってはなりません。
わたしは頭を上げるよう頼みます。
ルートヴィッヒ様は頭を上げ、言われました。
「何か謝罪できることはないだろうか」
ふむ……本当に不要なのですが。それなら……。
「ルートヴィッヒ様。では1つ質問にお答え願えますか?」
「答えられることなら」
わたしは深呼吸を1つ。花壇から芳醇な花の香りが漂います。
「先ほどの廊下でのルートヴィッヒ様の発言、嘘……というより要素が足りませんわね?」
ルートヴィッヒ様は左手で眼鏡のブリッジを上げられました。手の陰から上がった口角が見えます。
「どうしてそう思ったんだい?」
「先ほど仰っていた、ミス・ナゲイトアの派閥に与せず、ミズキ様とも距離を取っている令嬢、わたしが唯一かまでは分かりませんが、確かにほとんどいないというのは分かります」
ルートヴィッヒ様が頷かれました。
「ですが、その条件なら隣国の令嬢にでも婚約を打診すれば良いはず。何らかの要因で国内の貴族から探さなくてはならなかったにしろ、その条件で探したのだとしたら、わたしを見つけるのが早過ぎる。
なぜなら婚約対象としてエッゾニアの男爵令嬢などは一番最後に来るはずなのです。婚約破棄騒動の傍らで直ぐにノーザラン男爵令嬢がそうだと気づけるはずはありません」
「殿下の婚約破棄がもっと早く計画されていたのだとしたら?」
わたしはルートヴィッヒ様に近づき、耳元で囁くように答えます。
「いいえ、あれは突発的な事態だったはずです。ナゲイトア公爵家でミズキ様の暗殺計画がある事を知ってから急ぎ対応したのでしょう?」
ルートヴィッヒ様の顔色が変わりました。
「なぜそれを」
「情報は流れてくるものですよ」
「……驚いたな。ミス・キンシャーチャか」
「ふふ、お答え、願えますか?
なぜ……なぜわたしなんかに興味を持たれたのです?」
「まずは『なんか』をやめたまえ」
「っでも!……でもルートヴィッヒ様と比べればわたしなんか、なのです。
爵位や家の経済力も、美しさも、教養も」
ふむ、とルートヴィッヒ様は頷かれると、わたしを四阿へと誘った。
ガーベラの花壇の間に位置する瀟洒な白いベンチに並んで座る。
「ミス・ノーザラン。君は色々勘違いしているようですね」
やはりわたしがルートヴィッヒ様に好意を抱かれているなどというのは妄想であり勘違いですよね!
ルートヴィッヒ様は笑みを浮かべられる。
「こういう言い方をすると、君は私が君に好意を抱いていないと曲解した挙句にそれに安堵するというのが困ったものだね。
いいか、情緒もへったくれもないが幼稚園児にも分かるように伝えておこう。私は君に好意を抱いている」
ひうっ、と息が詰まります。
「君が勘違いしているのは、君が自分に価値がないと思い込んでいることだ。テサシア・ノーザランの価値は極めて高い。
あなたが言う通り、貴女の顔を初めて知ったのはカフェで会った時でしたが、名前だけは前から知っていたのですよ」
わたしは首を傾げる。
「わたしは自分のことを目立つような生徒ではないと思っているのですが」
「私が貴女の名を最初に知ったのは、展示されていた刺繍を見てでした」
学校の刺繍コンテストに出したやつかー。そんなのもあったわね。
「あー……、拙いものをお見せしまして」
「謙遜は美徳ですが、し過ぎるとそうではないね」
不機嫌そうに軽くため息をつかれる。
「申し訳ありません……」
「いや、責める気はありません。素晴らしい出来でした。
あそこまで美しい刺繍が出来る女性のチーフが私の胸に飾られていたら、どれほど心躍るでしょうと思ったものです」
「そこまで褒められても……3位でしたよ」
ルートヴィッヒ様は首を傾げられた。さらりとした銀のお髪が流れる。そして得心したように頷かれた。
「そうか。貴女は……知らないのですね」
「何をですか?」
「その前に、あれは全て貴女が刺繍したのでしょう?」
「当然で……あっ!」
これはひょっとしてやらかした?
「気付きましたか。あのコンテストの上位は高位貴族の令嬢ばかりだったでしょう。高額な報酬を払って針子にやらせているのですよ」
これは秘密ね、公然の秘密だけど。とルートヴィッヒ様は唇の前に指を立てて続けた。
「あー、わたし、令嬢らしからぬ真似をしてしまいましたか?」
「そうやっかむ者もいるだろうことは間違いないでしょうね」
ああ、やはり……。
貴族令嬢・夫人は文化的な趣味を持つべきと言われるわ。
乗馬に音楽・絵画・歌・踊り・刺繍……。でもそれらが上手すぎることは好まれない。
それは専門家の職分を侵してしまうから。美しい音楽を聴きたいときに、音楽家を招聘して演奏させないことは貴族的ではない。
しょげていると、ルートヴィッヒ様がわたしの右手を優しく取って持ち上げた。
な、ななな、何を。ルートヴィッヒ様御乱心ですか?
触られている右手が熱くなる。顔を上げるとルートヴィッヒ様と目が合ってしまい息を呑む。
眼鏡の硝子の奥で紫の瞳がわたしの魂を貫くようにこちらを見つめていた。
「テサシア嬢、君の作品は確かに趣味の領域を超えた作品でした。でも私はそれに心動かされたのです。
緑を基調とした草花に囲まれた剣を抱く赤髪の女性、英雄に神剣を授ける女神を描いた意匠でしたね。
あの作品に勇気を与えてもらったのですよ」
「勇気を……」
彼はその切れ長の目を少し寂しそうに細めて笑った。
「貴女もあの婚約破棄の夜会にいたでしょう?私の婚約者に別れを告げる勇気ですよ。そしてそれは新たな一歩を踏み出す勇気でもある」
ああ、わたしの作品がルートヴィヒ様に勇気を与えただなんて。
「テサシア嬢、私のためハンカチに刺繍して頂けないだろうか」
「ご、ご……」
「ご?」
「ご注文ありがとうございます!」





