第8話:政略的な理由
ルートヴィッヒ様が声をかけてくださいました。
うん、まあ今の話は全て本心を語ってはいたけど、時間稼ぎでもあるのよね。友人1人走ってもらっていて先生とか捕まえてきて貰えればってとこだったんだけど、ルートヴィッヒ様が来てくれるとは思わなかったわ。
わたしは立ち上がるとルートヴィッヒ様に淑女の礼をとる。
「ルートヴィッヒ様!」
ナルミニナ様が叫ばれました。
ルートヴィッヒ様は左の中指で眼鏡のブリッジを押し上げて仰る。
「ミス・ウシィクヒル」
その声色は限りなく冷たく、ただその一言だけでわたしの身体が固まります。周囲で見ていた者たちもびくりと身体を強張らせました。
何も語ることなしに万感の思いが伝わります。
ナルミニナ様は崩れ落ちるとはらはらと涙を流されました。
「砕けた魔水晶は元には戻らない。ミス・ノーザランを排したとして、貴女と私の人生が交わることはもうあり得ません」
一度壊れた関係は元には戻らないと。
「なぜ……なぜ彼女なのです……?」
それわたしもすごく気になる!
わたしの思いが伝わったのか、ルートヴィッヒ様はため息を吐かれた。
「そうですね、政治的・政略的な理由についてここで示しておきましょうか」
ルートヴィッヒ様はわたしの目を見つめました。
「ミス・ノーザラン。聖女ミズキ様のことをノーザラン男爵家令嬢として。貴女の立場から正しく呼んでみて下さい」
ん、んー……?
聖女様を正しく……?なぜここで彼女が関わるのか。……あっ。
「……ミズキ?」
ナルミニナ様が驚いた表情を見せました。
ざわざわと周囲が騒めき、不敬では?という声が聞こえます。
「なぜそう呼びましたか?」
ルートヴィッヒ様は僅かに口角を上げ、わたしの肩に手を置かれます。
正解……ということね。
「ミズキさんが聖女とされているのは民衆や支持者からの呼称であり、まだ教会から正式に認められてはいません」
婚約破棄の際も、殿下は何度かミズキと呼び捨てにされていました。正式に聖女であれば、公の場でああは呼べないはず。
わたしは続けます。
「王太子殿下の婚約者として夜会で殿下が宣言なさいましたが、公表はまだです。故に彼女は平民の同級生だと思いました」
「不敬よ!」
どなたか声を上げられます。
ミズキ様の熱狂的な支持者の……セプテノート様だったかしら。
「聖女ミズキ様は我が国で流行している疫病を鎮めてくださった、正に神の御使い!あなたもミズキ様の奇跡の恩恵を得ているでしょう!」
「え、えっとですね。もちろんミズキさんが素晴らしい業績をなされたことは存じております。カスタードプリンもいただきましたし」
「カスタードプリンなどどうでもよいのです!」
……美味しいのに。
わたしが項垂れようとすると、ルートヴィッヒ様が顎をそっと持ち上げます。
きゃーと歓声だか悲鳴だかが上がりました。……アヴィーナかよ。
「無論、ミズキさんのことは尊敬しております。ですが彼女はまだ無位無冠であり、ルートヴィッヒ様がノーザラン男爵令嬢としてと仰ったので呼び捨てにさせていただきました」
「疫病を治してもらった恩は!」
「ノーザラン男爵領に患者は一人も発生しておりません」
「えっ」
王都で疫病が流行したのは昨年の夏で、ちょうどわたしも領地に帰っていて、ミズキ様が祓うまで戻らなかったのよね。
わたし個人としては学校を再開させてくれたし恩義を感じているのだけど、男爵家の立場としては恩があると言ってはいけないのよね。
「はい、エッゾランド南部までしか疫病は来ていないのです。
ミズキさんの記された病の理論は拝読いたしましたが、発生源であった王国南部から王都にかけてより我が領は遠いことと、人口密度が低く病が媒介されなかったのではないかと。故に尊敬の念はありますが、恩とまでは」
良くできましたと言わんばかりに、ルートヴィッヒ様の手がわたしの手を取ります。
そして言葉を続けられました。
「アーヴェライン家は代々司法官を多く出している家系。故に政治的な中立をこそ尊びます。
彼女、テサシア・ノーザラン嬢は賢くもミス・ナゲイトアの派閥に与せず、また聖女ミズキ様の恩を強く受けてはいない唯一の令嬢なのです。
当家にとって、何にも代え難い価値がある。これで宜しいかな?」
唖然とするナルミニナ様やみなさまを置いたまま。
ルートヴィッヒ様に手を取られ、わたしはその場を後にしました。
廊下では互いに声を発せず、黙々と歩いて行きます。
……うーん。
わたしの立ち回りが良かったということ?
それがルートヴィッヒ様の目に止まった?……何だろう。
ルートヴィッヒ様が嘘をついた?いや、それも無いわ。司法官の話をしながら嘘をついてるとは思えないし……何かが不自然……。
わたしが黙考する間にも足は進み、わたしたちは人気のない裏庭へ。
花壇の前、ルートヴィッヒ様が脚を止め、こちらに向かい合います。
そして頭を下げられました。
きゃー!
「だ、だめ!頭をお上げ下さい!」
「申し訳ない、テサシア嬢。迷惑をおかけした」
「だ、大丈夫!大丈夫ですから!」