第11話:馬
季節は緩やかに移り、春から初夏へ。
ナゲイトア公との戦の噂が広まっていきます。それは貴族たちの間で、平民たちの間でと囁かれるようになり、学校もその話題で持ちきり。
「テサシア嬢は夏休みをどう過ごされますか」
ベンチに座り、長いおみ脚を組まれるルートヴィッヒ様が仰いました。
学校の裏手の四阿でルートヴィッヒ様とお話ししています。
こうして四阿でお話しするのも幾度目かですが、このような関係になりつつあるのが自分でも驚きです。
側から見たらこいこっこっこっこい恋人みたいな!
「できれば夏休みになるより前にエッゾニアに戻っていただきたいのです。
学校の単位は融通が利くとのこと。週明けあたり発表があるでしょう。……いかがですか?」
「戦はちょうど学校が夏休みになる頃に始まりますか?」
「ええ、そうなる見込みです」
ルートヴィッヒ様が頷かれました。
夏休みが始まってから北へと移動を始めると軍の移動に巻き込まれる可能性があるから、早めに移動してはどうかとわたしを心配してくださっているのです。
ああ、ルートヴィッヒ様にご心配いただいているというこの畏れ多さ、そして喜び!
「収穫月までに戦を終わらせねば公爵領も王国も立ち行きませんわよね。秋の新学年までには終わりますか」
「そうですね、休戦にしろ終戦にしろ一度けりがついているはずです。
無論、一気に叩く気ではありますが」
ええ、麦の収穫に関わりますからね。さて。
「あ、あのっ!」
声が裏返りました。
「はい、なんでしょう」
ルートヴィッヒ様はわたしの言葉をゆっくり待って下さいます。
「あ、あのですね……アーヴェライン領に滞在させてはいただけないでしょうか……。あ、いや別にルートヴィッヒ様のお家にお邪魔したいという訳ではなく領地の宿屋に泊まらせていただければというかなんなら住み込みで働かせていただければ結構なので!」
ルートヴィッヒ様がぽかんと驚いた顔をなさいました。
初めてみる表情です。何これ完璧な貴公子のちょっと隙のある表情尊いんだけど待って!死んじゃう!
ルートヴィッヒ様は優しく笑みを浮かべると組んでいた脚をとき、わたしをそっと抱き寄せました。
ひゃあぁぁぁ。
「なんと素敵なおねだりだろうか。
もちろん当家に滞在していただきたい。私と父は戦に出てしまいますが、貴女が待ってくれていると思えば勇気も湧いてこようというものです」
ルートヴィッヒ様がわたしの耳元で囁きます。
「私との婚約に前向きになっていただけたのだろうか?」
「ひゃ!そうではなく!いや、嫌という意味でも無いのですが、お、お渡ししたいものが!」
「刺繍かい?」
「そ、それもです!」
……いや、危ないところだったわ。魂が天に召されるところでした。
そう、渡したいのは馬。
ただ父がなんというか分かりませんし、無事連れてこられるかも分からないのでまだ秘密なのです。
マサキア兄様は戦の準備のため一度エッゾニアの地へ。
わたしは日々、刺繍と勉学に励みます。
ルートヴィッヒ様のハンカチに御守り。御守りは兄のものも作って……。
そうして試験期間も終わりに近づいた頃、ノーザラン家から早馬が届きました。
馬を送るとの連絡。わたしは試験が終わると合流のため早速北へと向かいます。
初夏の平原、緑の強く匂う季節。
馬車で数日かけて向かった町。そこからさらに歩いて小高い丘の上で北を見つめます。
陽射しが南の空に高くなった頃。地平線で砂埃が舞っているのが遠目に見えたかと思うと、それは段々と大きくなり一塊の馬群となりました。
鳥は慌てて飛び立ち、地面が震動します。
わたしが手を振ると、先頭付近の馬に乗る者が手を振り返しました。
「テサシアお嬢様!」
ノーザランに仕える騎士のサンドライワ卿です。
枯草のような褪せた金髪、隆々たる体格、腰には剣。
「サンドライワ!ありがとう!兄様は?」
「後方で馬がはぐれないように追っています!」
サンドライワ卿は大声で答えました。
100頭からなる馬群を10人ちょっとで連れてきてくれたのだから、彼らの手腕がわかるというものです。
「何頭いるのかしら?」
「すいません、100は連れて来られませんでした。
軍馬6の荷馬80です」
「じゅうぶんよ!」
従者たちがわたしが馬に乗る用意を始めます。
脚を引っ掛けるための突起がある、横乗り用の鞍が彼らによって用意されます。立派な体躯の鹿毛の馬に鞍が乗せられました。
……んー、なんか嫌がってないかしら。
「大きい馬ね。名前は?」
「ニシンスキーです。でかいですよ、それに群れの中でいっとう速い」
「気性は?」
「荒いですが、お嬢なら乗れますよね?」
サンドライワ卿が人好きのする笑みを浮かべました。
もー、こっち来てからはほとんど乗ってないってのに……。
わたしがニシンスキーの腹を撫でると、彼はぶるぶると頭を振った。
「よろしくね、ニシンスキー」
毛艶も筋肉の張りも素晴らしい馬なのは間違いないわ。
黒い鬣は整えられるのを嫌がるのか長く伸びていますが、野生の力強さを感じます。
「よいしょ……っと」
鐙に左の脚をかけて身を持ち上げる。サンドライワ卿が支えてくれている間に、突起に右膝の裏をかけて固定。
わたしがそうした直後にニシンスキーが嘶き、後脚で立ち上がる。
周囲からおこる悲鳴。
手綱と鞍を掴んで全身でしがみつくように耐える。右膝裏の突起に体重がかかり、ふわりとした浮遊感の後に、ニシンスキーが脚を下ろした。
馬上から兄様の叫び声。
「おい、テサシア、降りろ!暴れ馬で無理だろこれ!」
「大丈夫!暴れてるんじゃないから!」
わたしも叫び返すように答える。
この子は賢い。暴れ馬なら乗る時に振り落とすわ。今のは乗り手を試しただけ。
「大丈夫よ。さあ、アーヴェライン領へ!」





