第10話:刺繍
わたしは寮の自室にもどるとふらふらとベッドに近づき、そのまま倒れ込んだ。
枕を掴んで顔に押し付ける。
ない、ないわー。
いくらテンパっていてもご注文ありがとうございますはありえないわテサシア。
枕を涙で濡らす。
ルートヴィッヒ様は笑ってくれたけど、どう考えても変な女よわたし。
…………うん。
わたしはのたのたと起き上がると引き出しを開けた。
そこには沢山のハンカチなどの布や刺繍道具が整然と仕舞われている。
それらを全て取り出すと、引き出しの底板を外した。二重底となっているそこから取り出したのは布に包まれたハンカチ、わたしの渾身の一枚。
職人が限界まで細く加工した純白の最高級リネンに同じ糸で刺繍を施したもの。
極薄の透き通る生地の周囲全てがレースで覆われている。
「良くまあ売らずに取っておいたものだわ」
この時のために?
ふん、運命なんて信じるくちではないけど。
下絵を描く用の紙を出し、コンテストに出したデザインを引っ張り出す。
「ルートヴィッヒ様にお気に入りいただいた、神剣を授ける女神のデザインか。これをそのまま縮小しようとするとごちゃごちゃしすぎるところがあるわよね、少し簡素化して……」
中央の空白を埋めるデザインに取り掛かる。
刺繍に取り掛かりそちらに集中していくと、恥ずかしい失敗も頭から薄れていく。現実逃避?まあ刺繍は進むからいいんだけども……。
こうしてわたしが刺繍に没頭する間も世界は進んでゆく。
ナルミニナ様たちはあれ以降、慎ましやかに過ごされている。
クレイーザ様はナゲイトア大公の領地へと戻り、そのお姿をみることはありません。
わたしは王都にていつも通りの日々を過ごしている。時折そこにルートヴィッヒ様がやってきて心の平穏が乱れるのだけど。
「ルートヴィッヒ様は美しい薔薇に囲まれて飽きただけでしょう。わたしなんかでは貴方の隣は務まらないわ」
わたしがこんな風に話しかけて牽制しても。
「ロサ・レヴィガータには棘が多く、ロサ・フェティダの酷い匂いにもこりごりなんだ」
こんな風に返されてしまう。
白薔薇と黄薔薇ね。ナゲイトア家の家紋には白百合の紋章があるからレヴィガータはクレイーザ様の例えか。いじめを主導していたことを棘と表現しているのかしら。
黄薔薇は社交界の高位貴族全般かしら?
動物系の高価な香水が流行った時期があったし、嫌いな人がいるとも聞くわ。
「ルートヴィッヒ様も結構皮肉屋ですね」
「そう、だからこそ野に咲くアザミに惹かれるのさ」
ああ、もう!
ルートヴィッヒ様は直接的にも間接的にもわたしへの好意があると示し続ける。
言葉でも、態度でも。
家に戻ってはその想いを刺繍にぶつけて鎮める日々。
週末、兄の滞在するタウンハウスへと向かう。
タウンハウスといっても本家筋の所有するアパルトメントの一室を借りているだけだけどね。
道中、カスタードプリンや焼き菓子が値上がりし、にもかかわらず売り切れは早くなっているのを見かける。
……うん。
ちょっと遠回りして金物屋の前を通る。臨時休業の看板。
「……戦になるのね」
呟きつつ道を進みます。
戦となると食料品の値上がり、特に嗜好品は早い。そして鉄そのものか鍛冶屋が徴用されているか。
王家とナゲイトア大公家での戦が近づいているのでしょう。
その旨を兄に伝えました。
「という訳でマサキア兄様、戦の気配です。以前も申しました通り、ノーザランまでは戦火に巻き込まれることは無いかと思いますが……」
兄が手を出し言葉を止めます。
「待て、テサシア。大事なのはそこではない。
アーヴェライン卿とは親しいのか?」
む……。
「はい、お声がけいただいています」
「以前、レガッタの時に彼がお前にアプローチをしているのは見たが、テサシアはどう思っているんだ?彼に嫁ぐ気はあるのか?」
「家格が違いすぎますわ」
兄様はため息をつき、わたしに似た灰色の瞳がじっとこちらを見据える。
「家格も金銭も地縁も全ての阻害要因を無視して、お前の気持ちを聞いている。彼を愛しているか?」
「……………………はい」
わたしが俯き答えると、兄様は頷いた。
「ならばよし。わたしは王党派について戦に出よう。テサシア、父に早馬で手紙を出せ。わたしの武具と騎士サンドライワの一門をこちらに。それと馬を100頭アーヴェライン領に送れと」
「兄様!」
思わず立ち上がります。
兄も立ち上がるとわたしの頭を撫でました。
「義弟となるかもしれない男にせめて格好くらいつけさせろ。本家筋やエッゾランドの諸侯は中立に傾いているが、ノーザランは王につくと伝達してくる。
我らが祖、英雄セヒローの血を引くものが北の果てで武を継承し続けていることを見せようではないか」
わたしはくすりと笑って言う。
「兄様そんなに強くないでしょ」
「そりゃないだろ妹よ。まあ間違ってないが。
強さはサンドライワ卿が見せてくれるさ」
涙がすっと頬を流れ落ちました。
兄様がもう一度わたしの頭を撫でてから離れ、出かける用意を始める。
「……ありがとう、兄様」





