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インナースペースオペラ  作者: 犬上田鍬
7/7

オブスキュア・ライズ ~ エピローグ

最終回です。

 チャンドラは、なにかにとり憑かれたように告白を続けた。オレは目覚めたばかりで虚ろだったが、そこにいる全員が彼の話に耳を傾けていた。


 スカンクの鬼気迫る表情に、みんな、トイレの建屋に目を向けて沈黙していた。

 突然、だれかが「なにかくる!」と叫んだ。慌ててクルマに乗り込んだが、オレはカズトに運転席を譲らなかった。

「おい、どけよ。オマエ、免許ないだろ!」

「大丈夫だ、オレは普段からカアチャンのクルマで鍛えてるから、峠道はオマエよりよほど上手い」

 カズトは苦笑いで「なにいってるんだ、オマエは。無免許のヤツがいうセリフか!」と見下すようにいう。

「無免許だから、万が一のときにはオマエらもオレもペナルティにならないだろ?」

「そんなバカなことがあるかよ!」とカズトは運転席側のドアを閉めない。

「早く乗れよ!」と後部座席に座った連中が急かすので、カズトはしぶしぶ助手席に乗り込んだ。

 オレは得意だった。自分の運転技術をみんなに見せようと、ミッションをマニュアルモードに変え、見様見真似で下りの峠道へアクセルを踏み込んだ。展望台にいたのはほんの少しの間と思っていたが、もう路面は黒ずんで凍っているらしい部分が増えていた。

 コーナーを回るたびに、みんなは悲鳴をあげた。その様子がオレにますます火をつけた。速度はどんどん上がっていった。オレは得意の絶頂だった。

 そして、次のコーナーでシフトダウンするために急制動した瞬間だった。ヘッドライトのなかに道を横切る人の影が見えた。

「わっ!」

 オレは思い切りブレーキを踏みこんだ。クルマはバランスを失ったように制御不能になったのだ。しかもこのコーナーは、ほぼ一八〇度回るほどのヘアピンだった。ハンドルが無反応だった。

 オレは冷静を装いカウンターをあてた。今度は逆方向にスピンし始めた。オレはヤバいと思った。まるでスローモーションのように、なにもかもがゆっくりと動いて見えた。まちがいなく、谷側のガードレールに吸い寄せられるように向かっていることがわかった。

 オレはとっさに右にハンドルを切った。一回転してうしろ向きのまま、助手席側からガードレールに突っ込んだ。そのまま、ガードレールを突き破り、リアから斜面に落ちた。

 幸いというべきか、斜面に生い茂った木の根もとに命中したクルマは、そこで止まった。

 オレの目の前の急斜面の上に、ひしゃげたガードレールの白い塗装が見えていた。クルマは、こと切れていた。

 あれはなんだったのだろうと、いま見た人影のことを思い出す。しかし、よかったと思った。どこもなんともない、と胸を撫で下ろし、横を見て愕然とした。

 助手席のヘッドレスト部分がオレの顔のすぐ横にあった。こんなに近くに座っていたかと思うほど、潰れた左側のボディに追い込まれて、カズトの身体がドアにめり込んでいた。上半身は破れたエアバックに包まれていたが、血まみれだった。

 この態勢では見えない後部座席からうめき声がきこえていた。助手席のシートがくっついてしまっているせいだった。

 ミラーを覗くと、ラッキーと水瀬が寄り添うように頭をつけているのがわかった。そのすぐ背後にひび割れたリアウィンドウが見える。こんな小さなクルマではなかったはずだ。ふたりの間に座っていたはずのスカンクはどうしたのか?

「おい!」とオレは声をかけた。少ししてから、やっと絞り出すようにラッキーの声がきこえた。

「救急車… スカンクが挟まれている… 」

 オレは無傷の運転席側からドアを開けて斜面に降りた。足場は凍っていて霜柱を踏んでいるようだった。しかも、暗いうえに鬱蒼と生えた繁みと木の根でまともに立っていられる状態ではない。枝にぶら下がるようにして、クルマのリア部分へと移動しようとした。

 そのときだった。オレが降りたことでバランスを崩した車体は、そこからさらに下へ滑り落ちた。オレは、それをただ見送るだけだった。

 頭のなかをいろいろなことが交錯した。このままではオレが起こした事故で同級生を殺してしまう。事故でオレは傷ひとつ負わなかったのに、どうすればいいんだ。アイツらを助けなければいけないはずだが、オレ独りではどうにもならない。助けを呼べば、オレは捕まるだろう。

 途方に暮れた。斜面に、もたれかかるように横になった。こんなときに限って、晴れた夜空に星がキレイに瞬いているのだ。この事故を覆い隠すような崖崩れか、なにか起きてくれないか、などとバカなことが浮かんだ。このまま逃げてしまおうか、とも考えた。

 手が無意識にポケットからタバコを取り出す。オレは無傷だ。タバコもモバイルも使える。まず一服して考えよう、そして火をつけた。

 もし、このまま逃げて、アイツらが助かったらどういうことになるか・・・ 

 アイツらは、まちがいなくオレが運転していたというだろう。そうなれば、オレはおしまいだ…

 待てよ?

 オレは閃いた。クルマはカズトのもの、オレは免許を持っていない。オレは無傷、オレがもし、ここにいないとすれば… 

 いや、オレがいたことを知ってるヤツがいなければ…

 そうだ、オレはカズトのクルマに乗っていなかったんだ!

 そのためにはカズトを運転席側に移動させなければ・・・

 待て、待て。車内はかなり臭かった。ガソリンが漏れ出しているかもしれない。火をつければ、なにもかもわからなくなる…

 真っ黒なものがオレの頭をくるくる回転させた。そうと決まればクルマを見つけなければ…と、オレはタバコを近くの繁みに投げ捨てた。

 オレは足場の悪い暗い斜面を奈落へと降りていった。暗いところが苦手だなどといってる場合ではなかった。それより、オレの心の方が真っ黒だったにちがいない。

 なにか燻ぶったような臭いがしてきた。目に沁みるような刺激もある。気のせいか、とも思ったが、涙が出てくるのだ。同級生への憐ぴんとか、自分が犯したことの悔みではない。そんなものは、とっくの昔に奈落の底に放り投げた。

 いまは自分が助かることだけを考えていればいいと、だれかが囁いたようだった。

「エッ!」

 突然、オレの目の前に火の手が上がった。カズトのクルマだった。

 逆さになっている。こんなに近くにあったのだ。無傷の運転席側のウィンドからラッキーらしい男の顔が一瞬だけ見えた。「逃げろ」というように手を払っている。

 そうか、さっき投げ捨てたタバコが漏れたガソリンに引火したのだ。思いもよらず、自分の計略どおりになった。神様はオレを見放していなかった。

「悪いな、ラッキー」

 思わずオレは、ほくそ笑んでいたかもしれない。だが次の瞬間… 

 クルマは爆発したのだ!

 …………………

 それからオレは意識を失っていたらしい。遠くで鳴っているサイレンで気がついたが、熱いのに身体が動かなかった。同時に周りではパチパチと、なにかが弾けるような音がしていた…


「どうしたんだよ」というゲンチャンの声。

「ラッキーの人格が事故の真相を語った」

 それに応えるミッキーの声。ヒミコの弱々しい声もきこえる。

「基本人格が目覚めて、いままで乖離していた人格が統合されたみたいです。彼の潜在意識が記憶を手繰ったのね… 」

「爆風で吹き飛ばされたんだな。打ちどころが悪くて頸椎を損傷したのか」

 エコーがかかったようなクマの声が近くで響き、オレは目が覚めた。首を持ち上げて、まわりを見回してみる。

 クマ・・・ミッキー・・・ゲンチャン・・・ワカもいる。さっきの教室のなかだ。見慣れたはずのヒミコは、見たことのない顔色でオレを見ている。

「ヒ…ヒミコ… 」

 彼女は崩れるように椅子に座り俯いてしまった。右手で左の二の腕あたりを掴んで肩を震わせていた。

「オレは… 」

 なにか喋ろうと思うのだが、なにをいっていいのかわからなかった。ゾーンを逃れて、やっとみんなと会えたというのに。

「生き残った後ろめたさじゃなくて、殺してしまった罪悪感から人格が乖離したんだ… 」

 これはワカの声だ。そして、クマがいう。

「オマエ、とんでもないヤツだな」

 クマとは二十年ぶりだというのに笑顔にもなっていない。昔とあまり変わっていないが、髪をだいぶ短くしたようだ。ワカもミッキーもそれなりに歳を重ねたように見えた。ゲンチャンだけが昔のままだ。だが、みんな嬉しそうな顔をしていない。

 クマのいった一言が、もう一回頭のなかを巡った。どうやらチャンドラの話をきいたうえでの反応のようだとわかった。

「クマ? なんだよ、そんな顔して?」

「なんだよじゃないだろ? なんで、こんなことしたんだ!」

 クマは怒っているようだった。オレに向かっていっているんだとわかった。オレは、だいぶ頭のなかがはっきりとしてきた。いま、チャンドラが告白したことをオレのことだと思っているらしい。

「いまの話のこと? オレのことじゃないだろ?」

 オレはチャンドラを指さして、思わず息をのんだ。チャンドラは既にモノクロ写真のように、くすんだ色合いで固まっていた。ハンゾーもサイレンも同じように静止している。

 クマが苦笑いで教えてくれた。

「チャンドラはオマエ自身だ。オマエ以外のことを喋るわけがない」

 チャンドラの話は、たしかに二十年前の事故のことだ。それはオレも憶えている。でも、もう終わったことじゃないのか? いまさら、なんでそんな昔のことをいうんだ?

「オマエら、まさか二十年前の事故のことをいってるのか?」

 ゲンチャンが半笑いみたいな微妙な表情でいうのだ。

「それ以外にないだろ? 倉井、隠し通せると思ってるのか?」

 ヒミコも追い打ちをかけるように顔を上げた。目が真っ赤だった。

「チャンドラは慧さんの潜在意識です。潜在意識は正確な記憶を持っていて、嘘がつけないといわれているわ。そのうえ、きかれたことに従順なのよ」

 まるで悪夢だ。オレは追い詰められた。また混乱してきた。

 まさか・・・まさか、いまになって、なんでこんなことになったんだ?

「怖かったんだ… オレは怖かったんだよ!」

 逆ギレのように叫ぶオレに、クマたちはお互いを見合わせ、そして冷たい視線をこちらに投げてきた。

「なんで早く助けを呼ばなかったんだ! 事故を起こした直後だったら、こんなことになってなかった」

 ミッキーも口を出す。

「酒を飲んで無免許で事故を起こしたとしても好意同乗だから、みんな同罪だよ。だれか一人が悪いわけじゃない。だけど… 」

 そこでワカが口をはさむ。

「コウイドウジョウってなんだよ?」

「違法とわかっていてクルマに乗り込む行為だ」とクマが怒ったようにいう。そして、ミッキーのあとを継ぐように続けるのだ。

「このチャンドラが喋ったことが事実なら、過失かもしれない。だが、オマエには殺意もあったし、カズトにすべての責任を押しつけようとしたのも事実だ。オブスケアがカズトの人格を最も嫌っていたのが、その証明みたいなものだ。それはオマエが自分を一番怨んでいるのはカズトだと思い込んでいたからだろ?」

 まったく、その通りだった。怨んでいるのはカズトじゃない。アイツに罪をかぶせた後ろめたさから、死んだはずのアイツに怨まれているにちがいないと思っていた。

 アイツが現れたとき、オレを殺しにきたと思った。水瀬やスカンクもそうだが、カズトは一番恐かったんだ!

 クマの責めは止まらない。

「結果として四人が死んで、ヒミコちゃんの一家は離散だ。わかってるのか、オマエのやったことを?」

 待ってくれ、オレだけが悪いのか? オレだって、カズトのウチがあんなことになるとは思ってもいなかったんだ・・・

 そんなことをいっても、だれもオレには同情してくれないだろう。

「ヒミコ、助けてくれ。オレはどうしたらいいんだ」

 オレはヒミコにすがるようにした。

「この期に及んでも自分のことばかりかよ」と呆れ顔のクマ。やはりオレの味方はいないみたいだ。

 彼女はオレを憐れむでもなく、俯いたまま小声でこういった。

「許さない。家族を返して… アタシの二十年を返して・・・ 」

 ミッキーが、さらにドライにヒミコにきく。

「メタフィジカルで死刑ってあるの?」

 死刑? ふざけるな、オレも被害者なんだ。あの事故のせいで車いすになってしまったんだ! オレだって二十年を不意にしたんだ! 火傷で爛れた顔では、フィジカルで同級生たちにも会えないんだぞ! 十分、罰を受けているじゃないか…

 なのにヒミコは、ミッキーの戯言にまじめに答えようとしている。

「きいたことないです。でも、レジデントは維持装置のパワーサプライを断てば、それまでです。それを意図的にやれば、逆に罪になりますけど」

「どうするんだよ、コイツ」

 ワカまでもが面倒くさそうな言い草で詰め寄るのだ。

「冬眠街に連れていくしか方法がありません」

 ヒミコは妙にさばさばした言い方をした。それは一番感情的になっていたクマも同じだった。

「仕方ないよな。オレたちが裁くわけにいかないんだから」

 そういって、冷たく笑った。ミッキーもワカも仕方なさそうにつられて笑っていたが、目だけは冷ややかだった。

「オマエに会えるのを楽しみにしてきたんだ。オレだけじゃない、みんなだ。ずっと気がかりだったあの事故の真相を知ったことが、よかったのかどうかもわからない… 」

「二十年近く連れ添ったけど、これが最後ね。こんな結果になって残念だわ」

 ヒミコはオレに肩を貸してくれて、一緒にいくといってくれた。ゆっくり立ち上がると、教室内の全景が初めて見えた。

 この教室で過ごした二十年以上前のことを思い出す。あの頃は、コイツらとまさかこんな関係になるとは思ってもいなかった。懐かしいと思える瞬間が、オレの目の前から駆け足で遠ざかっていった。

 ギャラリーだったクマたちが見送っている。その表情は、まるで幼なじみというふうではない神妙さだった。

「クマ… 」

 オレは言い訳がましく、なにかを訴えようとした。しかし、ヤツはそれを拒んだ。なにもいうなというがごとく、「いけ」という手ぶりをした。

 そのうしろに亡霊のようなストレンジャーの戦士たちが虚ろに佇んでいた。空っぽになった彼らの表情は、決してヒーローのようではなかった。なぜかオレを憐れむように、もの悲しげに見えた。

 ごめんな、みんな・・・

 声には出せなかったが、そう思った瞬間だった。黒焦げで、うつ伏せに倒れていたアグニが立ち上がったのだ。

 ・・・!

 よく見るとアグニは服を着ていた。洒落たピーコートに、夏だというのにマフラーを巻いている。あの日のカズトだった。

 ラッキーも、ダウンを羽織ってジーンズのポケットに両手を突っ込む彼独特のポーズ。モコモコのセーター姿のスカンクも、革ジャンの水瀬もそこにいる。

 彼らは、揃ってオレに笑顔で親指を突き上げた。これ見よがしに、オレたちの勝ちだ、といいたかったのか。それとも、ヒミコやクマたちへのアピールだったのか。

 オレが声をかけようとすると、彼らはくるりと背を向けて、廊下の闇へ歩き始めた。小さくなっていくそのうしろ姿を見ながら、涙が溢れているのに気づいた。

 もう、アイツらと肩を並べて歩くことはない。アイツら全員の人生を奪ってしまったのは、このオレなのだ。それを隠したことでクマたち同級生とも、前のようにはつき合えないだろう。

 ヒミコだって愛想をつかしたはずだ。非力で慣れていないのに、我慢強くオレの世話を焼いてくれたヒミコですら。オレは、ついに本当の独りになってしまった。

 クマたちには見えているのだろうか。颯爽と去っていくストレンジャーの雄姿が。


リモート・トーク


仲込(以下ワカ)「じゃあ、成人式の前の日曜でいいな?」

作間(以下クマ)「オレはいつでもいいよ。合わせるから」

志垣(以下ゲンチャン)「オレもどうにでもなる。ミッキーはどうなの?」

ワカ「ミッキーの都合なんだ。この日がいいって」

ゲンチャン「なるほど。アイツらしいな、こういうところは抜け目がない」

クマ「ミッキーはどうして参加してないんだよ?」

ワカ「これに? なんでもヒミコさんの講演会があるから、ウチにいないんだってさ」

クマ「講演会って、あの本の?」

ワカ「そうだよ。やっぱり彼女のあるべき姿はアレだったんだな」

ゲンチャン「なに、本って? 本を書いたの?」

クマ「オマエ、知らないのかよ。いま〝(そら) ()美子(みこ)〟名義で彼女が出版した『オブスキュア・ライズ』ってノンフィクションが話題になってるのを?」

ゲンチャン「それって、ひょっとして倉井のことを書いてるの?」

クマ「そうだよ。ところどころに仮名でオレたちのことも出てくるんだけど。なっ?」

ワカ(笑顔で頷く)

ゲンチャン「倉井のことを書いたんだ? したたかだな、ヒミコは」

クマ「彼女なりの復讐かもしれないな。もちろん実名なんか出ないけどさ」

ゲンチャン「いくら仮名だっていっても自分の亭主だろ?」

ワカ「離婚したんだよ。それで曽良姓に戻したんだ。ペンネームは〝空〟だけど」

ゲンチャン「離婚したの? やっぱりそうか、どうもヘンだと思ったんだ」

ワカ「ヘンって、なにが? まさか… 」

クマ「オマエ、あのあとヒミコちゃんに会ったの?」

ゲンチャン「いやね、ミッキーがヒミコ目当てで倉井に面会しようっていうから、冬眠街にアクセスしたんだよ」

クマ「そんなことできるの? だってアイツ、閉鎖病棟とかに収容されてるんだろ?」

ゲンチャン「いや、関係者ならできるらしいんだ。それでヒミコに連絡したら、自分はいないけどわかるようにしておくって手続きだけをしてくれたんだよ」

ワカ「面会なんてできるんだ… 」

ゲンチャン「できる、できる。でも、もうヒミコがいないんじゃできないかもな」

クマ「でも、倉井に会ったんだろ?」

ゲンチャン「ミッキーが、ヒミコがいないんじゃいってもしょうがない、なんていうからオレもやめようかと思ったんだけどさ、せっかくの機会だから面会しようぜって無理やり連れてった」

クマ「連れてったって…ウチからのアクセスじゃダメなの? リモートじゃあ?」

ワカ「冬眠街ってどこにあるんだよ?」

ゲンチャン「ふつうは家でできるんだけど、倉井の場合は一般のレジデントと扱いがちがうからな。獄門寺市にある国民生活安定化機構とかいう独立行政法人の研究所にいくのさ」

ワカ「それがヒミコさんのいう冬眠街なのか。獄門寺にあるんだ?」

ゲンチャン「出先機関はあっちこっちにあるらしいよ。オレたちがいったのは研究所だけど。ヒミコは、あの事件のおかげで経過観察員から研究所の方に異動になったらしい」

クマ「たしか、本には彼女の肩書に、そのなんとか機構にあるエトランゼ解析チームの研究員ってなってたな。それで倉井に会ったの?」

ゲンチャン「それがさ、アイツがいうには珍しいエトランゼの現象実験の被験者になってるっていうんだ。その現象は〝オブスキュア・ライズ〟と名づけられた、いわゆる倉井のケースのことらしいよ。人格乖離が治ったと思ったら、冬眠街の職員たちは実験で人格乖離が起こるところを見たがってるんだとさ」

クマ「それを本のタイトルにしたのか。体のいいモルモットじゃないか、それじゃあ」

ゲンチャン「なんでもヒミコの提案で、事故の損害賠償請求を一切しない代わりに、離婚と倉井が研究対象になるという条件で示談が成立したみたいだ。そのときは、まだ離婚はしたくないっていってたんだけどな、アイツ」

クマ「一回、カタがついちゃって二十年も経ってるしな。いまさら裁判も面倒だから、ヒミコちゃんは賢い判断をしたよ。倉井が生きてる限り、彼女は安泰ってことだろ?」

ワカ「そんな生々しいこと教えてくれたの? 倉井が?」

ゲンチャン「うん、なんでもきいてくれっていうからさ」

クマ「どうしてるんだよ、アイツ?」

ゲンチャン「オブスキュアがつくったゾーンがあっただろ? あれは倉井が事故直後に見た夜空のイメージらしくて、そのときに暗黒面が表出する引き金になったのじゃないかって冬眠街では見てるんだよ。それで毎日、アイツが苦手な暗いところに何時間も閉じ込められて、現象が現れるのを待ってるっていってた」

ワカ「また元に戻っちゃうんじゃないの?」

ゲンチャン「冬眠街の連中は、オレたちが見た人間の暗黒面を見たがっているんだよ。倉井が治癒しようと、再発しようとそんなことは関係がないんだ。今後のメタフィジカルの運営に支障が起きないように、一生オブスキュア・ライズに向き合わなければいけないみたいだ」

クマ「自業自得とはいえ、それも残酷な話だな」

ワカ「よく面会させてくれたな?」

ゲンチャン「まあ担当者がヒミコだってこともあるし、倉井も一見、ものすごくまともなんだけどね… 」

クマ「なんだよ、一見って?」

ゲンチャン「話してる最中は落ち込んでる様子もないし、そうかといってヘンに陽気なわけでもなく、至ってノーマルだったんだよ。それが帰り際にミッキーが、今度はヒミコにも会いにくるっていったら、倉井がいうんだよ。いるから、呼ぼうかって」

ワカ「ヒミコさん、いたの?」

ゲンチャン「それがさあ・・・ 」

クマ「なんだよ?」

ゲンチャン「アイツがヒミコを呼ぶんでうしろを向いたんだよ。おおい、ヒミコって。画面がしばらくそのままになっちゃってね。オレもミッキーも声をかけたんだけど反応がないからさ、フリーズしたと思ったんだ。それで《職員呼出》ってボタンがあったから、それを押そうとしたんだ」

クマ「それはなに? 緊急事態のときとかのためにあるの?」

ゲンチャン「まあ、それもあるんだろうけど、ふつうは面会を終わるときに押すんだよ」

クマ「ああ、なるほど。それで?」

ゲンチャン「突然、倉井がこっちを向いてヘンな声で喋りだすんだ」

クマ「ヘンな声?」

ゲンチャン「女の声になってるんだ。志垣さん、三木さん、こんにちは、なんて。この間はお疲れさまでしたっていい出してさ。アタシ、今度、研究所の方に異動になったんです、だって」

クマ、ワカ「えっ…?」

ゲンチャン「ああ、これかと思ったよ。どうやら倉井はヒミコに成りきってるようなんだ。というか、倉井が持っているヒミコのイメージが人格化して、独り歩きをしているみたいなんだ。ヒミコへの依存心が、まだあるんだろうな」



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