プロローグ ~ 二次元の浜辺にて
『ブランニューイエスタデイ』の作品世界でのスピンオフです。
マンガを読むように気軽に読んでみてください。
夜空を見ていた。満天の星、星、星…
痛いほどの凍った空気のなかを溢れだすような星の光だった。地元ではこんな光景を見ることはない。ひとつひとつが不規則に瞬いて、まるでオレに語りかけているようだった。
オレは怯えていた。どうしてこんなことになったのか、いま、なにをすべきか、咄嗟には思いつかなかった。身体を動かすことすら気が重かった。
いつの間にか、タバコを咥えていた。星の光が煙の底に沈んでいく。それを見ながら考えた。このなかの一番光っているヤツがここに落下してくれたら…と。そうすれば自分の抱えている不安など、ものともしない大惨事になる。
しかし、宇宙は無情だった。まるで自分が考えていることがわかっているのに、あえてそれを無視するかのように泰然としていた。むしろ、宇宙はオレの存在など認識していないのかもしれなかった。
やがてフィルターの根元まで吸ったタバコの火が燃え尽きるのを確認すると、近くの暗い湿った繁みに放り投げた。タバコの煙が目に沁みたのか、涙が溢れてきた。
リモート・トーク
仲込(以下ワカ)「倉井の奥さんからメッセージがきて、今年ヤツも盆帰りに参加するらしい。そのまえにオレたちに会いたいって」
志垣(以下ゲンチャン)「なんで倉井の奥さんがワカのところにメッセージを送るんだよ?」
三木(以下ミッキー)「倉井の奥さんはヒミコちゃんだぜ。ゲンチャン知らなかったの?」
ゲンチャン「知ってるけど、なんでワカのところに連絡がいくんだよ?」
ワカ「オレたちが毎年、カズトの墓参りにいってるって知ってるからだろ」
作間(以下クマ)「ワカは墓参りのことをいちいちヒミコちゃんに連絡してるの?」
ワカ「何年かまえにスーパーで会ったときに、その話をしたら毎年お礼のメッセージが届くようになってさ」
ゲンチャン「そのとき倉井もいた?」
ワカ「いや、ヒミコさん独りだった。倉井は外に出たがらないんだって」
ゲンチャン「倉井はたしかメタフィジカルに移住したってきいたよ。まさか倉井が参加するっていうの?」
ワカ「そうだよ。そのまえに会いたいっていうんだ」
ゲンチャン「マジかよ」
ミッキー「オレは最初から倉井のことだと思ってた。ヒミコちゃんならわざわざメッセージを流すことないだろ?」
クマ「オレもそう思った。せっかく会いたいっていうんだからいこうぜ」
ミッキー「二十年経ってるしな。もう解禁してもいい頃だよな」
*
海岸はグレーの雲が垂れ込め、生暖かい風が吹いていた。緩やかなカーブを描く波打ち際の突端は海水に浸食された岩礁が荒涼と横たわり、その向こうに入り江があった。こちらからは岩礁に阻まれて入り江の様子はわからないのだが、黒い煙が立ち上って上空でゆっくりと渦を巻きだしているのは見えた。
砂浜には大小六つの影があった。それぞれに奇抜な姿で立ち、その様子を凝視していた。
彼らを率いるように先頭に立つのは容姿端麗な長い髪の女性だった。縄文時代のような白い民族装束に革のバンダナを巻いた女戦士といういで立ちのソラは、その黒煙を睨みつけていた。彼女の後ろに立った、濃い紫の柔道着に革ベルトという長身のチャンドラはきく。
「ヤツか?」
ソラは長いまっすぐな黒髪を、気だるげに吹きつける海風に靡かせながら頷いた。
「たぶん・・・ 」
金髪のリーゼント、彫りの深い容貌にキラーサングラスという、衣装とはアンバランスなファッションのチャンドラは、その虚無的な表情で振り返った。
「ハンゾー」
その男は百六十センチそこそこの身の丈の、まるで時代劇の忍者の衣装だった。獣の皮のチョッキを羽織り、狼をイメージしたような金属の仮面を被っている。
ハンゾーと呼ばれる小男は無言で走り出した。足をとられる砂浜を低姿勢で砂埃もあげず、あれよ、あれよ、という間に岩礁の陰に消えた。
しばらくすると黒い煙は次第に濃くなってゆき、その中心で明滅が始まった。
「ハンゾーが見つかったみたいだな」
相変わらず無表情のチャンドラは呟く。すると彼らの後ろに立っていた、全裸で両肩の上に火の玉を従え、金髪を逆立てた赤ら顔のアグニは途端に全身を燃えあがらせ飛んでいった。まるでマーベルコミックに登場する〝ヒューマントーチ〟を彷彿とさせる。
切れ長の涼し気なまなざしで見送るようにしていたソラは残った彼らに号令をかけた。
「ストレンジャー、いくわよ。目標は前方のダークサイド。あの黒煙のもとにいるはず。インナーフォースの力を見せてあげましょう」
三メートルはあろうかという黄金の鎧に包まれた巨体のタロスが、まず飛び出した。それはさながら飛行船のように見えた。その後を〝筋斗雲〟のような物体に飛び乗ったチャンドラが追う。
最後の一人、全身を青くペイントして腰蓑に槍と楯という熱帯先住民の戦士の姿のサイレンが水に飛び込んだ。楯は海に浸かると、まるでサーフボードのように海面を滑り始めた。サイレンは楯にまたがり、ティアラのような銀色の装飾品でまとめた長いドレッドヘアを掻きあげてスピードに乗る。彼もまた、顔を隠すように鼻から下半分をマスクで覆っているが、ティアラの陰から覗く眼光だけはギラギラとしていた。
彼らに気づいた黒煙は明滅を激しくした。そのなかに火の玉となったアグニが突っ込んでゆく。煙柱を向こう側に通り抜けたアグニは空で切り返し、何度もその明滅に挑んだ。煙柱は怒ったように稲妻を放ちだした。そのまわりを火の光跡が挑発している。
巨大空母のようなタロスが黒煙の渦巻きに近づいたとき、不意にその黄金の巨体はバランスを崩して失速を始めた。
「あっ… 」
タロスは入り江に入る手前の岩礁に墜落し、砂煙が上がった。惰性で砂浜を転がり、左腕が砂を巻きあげながら飛んでいくのが見えた。
黒煙の中心部がひときわ明るくなった。どうやら、なかでアグニが火炎放射をしているようだ。それを遠巻きに眺めていたチャンドラが、アグニに警告した。
「アグニ、やめろ。オマエが溶けるぞ!」
波に乗って煙柱を至近距離にしたサイレンが槍の先から放水を始めた。煙が散り始めると同時にアグニが海面に落ちていくのが見えた。
「ちっ・・・ 」
ソラは唇を噛んだ。
タロスの腕が転がったあたりの砂が盛り上がり、なかからヘンな生物が姿を現した。全身にサイケデリックな模様のタトゥーを彫った四本腕の怪人だった。それが衣装なのかもわからず、頭はどちらが顔なのかも不明だった。
この怪人イシスは、まるでムシのように六本の手足で砂の上を這いずり、放置されたタロスの腕を引きずってボディの方にもっていく。岩礁に頭から突っ込んでいるタロスの空洞になった肩の付け根に腕をくっつけると、なにか霧のようなものを吹きつけた。見る間に腕は元のように固定された。
さらに傷だらけの顔面や頭部にも霧を吹きつけると、自分の腕でごしごしと磨いた。あっという間にタロスの輝きは蘇るのだった。タロスが我に返ると、イシスはまた砂に穴を掘って潜ってしまった。
一方、海からアグニを引き揚げたサイレンが楯のボードを槍で漕いで戻ってきた。チャンドラも筋斗雲から降りて、担いでいた黒焦げのハンゾーを降ろした。タロスが岩礁の向こうに立ち上がっている。
「ハンゾーはヤツの一撃をもろにもらったようだな。アグニは過負荷だろう。いまのところ全敗だな」
無表情のチャンドラは皮肉っぽく呟いた。ソラはイシスを呼ぶとふたりを任せた。イシスはふたりを四本の腕で抱えて、そこに掘った穴に戻っていった。
「リセットよ、アレに勝たなければいけないの」
「なにか策はあるのか? このまま無為な戦いを続けてもカタはつかないぞ、ソラ。なにしろヤツは姿を持たないんだから」
チャンドラは諭すようにいった。そんな彼にソラは意味ありげな笑みを浮かべて応えた。
「アタシに考えがあるの」
「?」
「もう手は打ってあるわ。さあ、みんなアジトに戻りましょう」
ソラは先頭に立って歩きだそうとして彼らを振り返った。
「ヤツはそのうち姿を現すわ。アタシ、名前をつけたの」
相変わらずの乏しい表情でチャンドラはきき返した。
「アレにか?」
「そう、インナーフォースのアナタたち一人ひとりに名前があるように、アタシたちのチームにストレンジャーって名前があるようにね。アレにも名前をつけたのよ」
「ケムリオトコとでも?」
「オブスキュア。ダークサイドのオブスキュアよ」
チャンドラは初めて口角を上げた。
「ダークサイドのオブスキュア対ストレンジャーか」
ソラも初めて楽しそうにほほ笑んだ。しかし、チャンドラ以外のインナーフォースと呼ばれる戦士で、唯一無傷だったサイレンは無言のままだった。
彼らを見降ろすように、海岸線を遠巻きにした高架をモノレールが通り過ぎていった。
*
階段を上がりプラットフォームに立って、あたりを見回しているのは仲込幸弘だ。静かだった。切り立った崖の狭間にホームはあった。雨あがりのような少し明るみのある曇天模様。まだ梅雨が続いているかのような寒々とした風景だ。
彼が、まだだれもきていないのかというふうにホームの先端を目指して歩いていけば、その先のベンチに座る三木祥吾を見つけた。手を挙げる仲込に三木は開口一番、不機嫌そうにいい放った。
「おい、ここどこだよ!」
仲込は駅名表示の看板を見た。
《モノレールえき》
「《モノレールえき》だってさ」と看板を指さす。
「それはわかってる。どこのモノレールなんだ!」
「そんなことオレにわかるわけないだろ? オレだって初めてきたんだから」
「他のヤツらは!」
まるで威嚇だ。久しぶりだというのに、「よお、しばらく」の一言もいえないのか、と仲込は少し不愉快になったようだ。
「そのうちくるだろ、なにイラついてるんだよ」
すると三木は顔をそむけるようにして「いや、別に」と素気がない。三木は時間きっかりじゃないと気がすまない性格みたいだ。ルーズな連中に腹を立てているのだろう、と時間を見れば、まだ十分前なのだ。
「どこなんだろうな?」
なんだか最初から気まずい雰囲気だなと思ったらしい仲込は、別にたいして気にもしていなかったことをいったようだ。
「くる前にちょっと調べたんだよ」と、三木は急に真面目くさって喋り出した。
「調べた? どうやって?」
すると三木は仲込の顔を覗き込むようにした。
「ワカ、オマエ、メタフィジカルにダイブしたことないの?」
「ワカ」とは仲込の呼び名である。商店の二代目だから、そう呼ばれるようになった。ちなみに三木は「ミッキー」と呼ばれている。
「だから初めてきたっていっただろ」
「メタフィジカル自体が初めてってこと? じゃあ、〝盆帰り〟に参加したことは?」
「ああ、リモートの同窓会だろ? きいたことはあるけど、ないな。オレたち、中高一貫の男子校だろ? だれも集まろうなんて企画するヤツいないし、あったとしても特にいきたいとも思わないしな。面白くないから」
「そうか、ワカとは小学校だけ一緒だったんだっけな。しょっちゅう会ってたから、ずっと同じ学校だったような錯覚があった」といいかけて、もう一度顔を覗き込んだ。
「じゃあ、ゲンチャンやクマも、倉井もそうか」
ワカは頷いた。
「カズトもそうだよ。オレの部屋が溜まり場みたいだったからな、あの頃は」
「だから、オマエがカズトの墓参りを仕切ってるのか」
「いまさら、なんだよ?」
「いや、同級生たちは、あの事件のことをみんな封印しちゃってて、だれも拘ろうとしないから」
しばらくすると志垣玄太郎と作間隆也がやってきた。時計を見ると約束の午後六時をちょっと過ぎていた。
「改札のところでゲンチャンに会ってさ」と、「クマ」の呼び名の作間は笑顔でいう。
「コイツ、若づくりしてるから一瞬だれだかわからなかったぜ」と志垣を指さした。
たしかに志垣は髪の量が多かった。たぶん二、三十代の頃をエントリーしたのだろう。こんなことができるのなら自分もそうすればよかったと、髪が薄くなってきたワカは思ったにちがいない。
「ここ、どこだよ」と「ゲンチャン」こと志垣がきく。
「オレ、マップで検索したんだけどワカが送ってきたアドレス、どこにもないんだよ」
「オレも調べたんだけど、わからなかった」とミッキーもいう。
「どこに飛ばされるのかわからないから、くるのやめようかと思ったんだぜ」
なるほど、ミッキーはそれが心配なうえ、だれもいなかったんで不安だったのだ。ワカも彼が不機嫌だった理由を知ったろう。その謎を解いたのはクマだった。
「ここ、パーソナルマップ上じゃないだろ?」
ワカは、クマのいっている意味がわからないようだった。
「パーソナルマップって、なに?」
他の三人は顔を見合わせた。すかさずミッキーが補足する。
「ワカはメタフィジカルが初めてなんだってさ」
クマは眉間にシワを寄せて「オマエ、ジジイみたいなヤツだな」といい放った。
「メタフィジカルを知らないと時代遅れになるぞ。定年後、ここに住むことになるかもしれないんだから」
巷では年金制度からメタフィジカル移住制度に移行することが、いろいろと議論されていた。しかし、彼らにとっては、ほとんど他人ごとなのだ。
「まだ二十年以上先のことだろ? それまでには理解できるようになってるよ」とワカは負け惜しみのようにいった。
「パーソナルマップってのはな…」とクマがいいかけたところにモノレールが滑り込んできた。彼らは再び顔を見合わせた。構内放送が響く。
《御一行様にお知らせいたします。目的地までこの車輌で移動しますので、ご乗車になってお待ちください》
彼らの他に待っている人影はない。
「どうやら《御一行様》っていうのはオレたちのことらしいぜ」
「乗ろう、乗ろう」と、みんなモノレールに乗り込んだ。
対面の四人掛けの席に座ると、ワカはクマからパーソナルマップのレクチャーを受けることになった。
それによればパーソナルマップとは、もともと街づくりのシミュレーションとしてのアプリで、それを応用して自分たちの街をVRの疑似空間につくり、リモートで利用できるようにしたものだという。その代表的なイベントが、お盆休みに同窓会のように昔の街に集まる〝盆帰り〟なのだ。今日は今年の盆帰りの初日だった。
「だけど、ここはパーソナルマップの上じゃない。マップ上にこんなアドレス無いって、ウチの息子がいっていたよ」
クマはゆっくりと走り出した車窓の外を見ながらいった。窓の外は、なんの変哲もない崖の法面だ。その、どこにでもある無機的な景色が延々と続く。
「じゃあ、どこなんだよ?」
ゲンチャンの問いにクマは首を傾げた。
「倉井がつくった街なんだろうな。アイツ、ここに移住してるんだろ?」
きかれたワカも首を傾げた。
「詳しいことはオレもよくわからん。ヒミコさんの指示に従っただけだから」
そこでミッキーが口を開いた。
「アンタたちがくる前に、ちょっとワカと話してたんだけど、そもそもカズトの墓参りをしようっていいだしたのはだれなんだよ?」
クマもゲンチャンも黙ってワカを指さす。彼は、それに呼応したように「オレ?」と自分自身を指さした。
「なんでそんなこといいだしたのかな?」
「ヒミコにアニキの墓参りをしてやってくれっていわれりゃ、断れないもんな」とゲンチャンは茶化すようにいう。
「オレ、そんなこといわれてないぜ。だいいち、ヒミコさんといやあ、あの頃オレたちみたいな連中にはハナもひっかけないお嬢様だったからな」
「ヒミコ様とかいわれてたしな… あんなことが無けりゃあ、彼女の人生だってちがったろうに」
ミッキーの言葉に、みんな黙って俯いた。彼らは、あの頃のヒミコ、つまり同級生であり、遊び仲間だった「カズト」こと曽良一人の妹、日美子のことを思い出した様子だ。
カズトは当時、ファンクラブができるほどの人気者だったが、妹も負けず劣らずキラキラ輝いた存在だった。端正な顔立ちも抜群のスタイルもTVで見るアイドルのようなオーラを放っていた。しかも、中高一貫の公立校から推薦で有名私立大の付属高へ進むほどの才色兼備の持ち主だったのである。アイドルというより、絵に描いたマドンナみたいな女の子だった印象が強い。
「オレは、いくらカズトの妹だとはいえ、ちょっと近寄り難かったって記憶がある。なんかオレたちとは種類がちがう人種だなと思ってたよ」とワカはいった。
「まあ、ワカは中学からちがう男子校へいったから、あまり身近に感じないんだろうが、それはともかく思い出したよ」とミッキーが続けざまに喋りはじめた。
「あのあとさ、ゲンチャンと倉井のお見舞いにいっただろ?」
「そうだっけ?」とゲンチャンはうろ憶えの様子だ。
「いったんだよ、花を持って」
「よく憶えてるな」とゲンチャンは相変わらず他人ごとのように半笑いできいている。
「そうしたら倉井の病室にヒミコちゃんが居てさ、エッて思ったじゃん」
「ああ、なんでカズトの妹がここに居るのかってか」
「そうだよ。お見舞いだとしても事件の張本人の妹だからな。よくこれるなって。しかも倉井はあの状態だろ?」
そこでワカが口をはさんだ。
「全身火傷だったっけ?」
「ほぼ、な。全身だったら死んじゃうから」とクマが、そのまま引き継いだ。
「でも、いかないわけにはいかないだろ? 当の本人は死んじゃったけど、カズトのお父さんも、そのせいで首吊ってるわけだし、お母さんもいなくなったんだろ?」
「なんか、お母さんは居たたまれなくなって実家に帰ったってきいたけど、噂によればノイローゼで入院したともきいたな」とゲンチャン。
「スゴイよな、彼女の神経」とクマ。
「家族を失くしたうえ、死んだ連中の家族に見舞金を払うためにオヤジの会社も無くなっただろ? にも拘らず、迷惑をかけた倉井の面倒を看るっていうんだから」
他の三人は、いまさらのように彼女の気持ちを推し量っているようだった。ワカは思わず呟く。
「できることじゃない… 」
クマはきく。
「ヒミコちゃんが倉井の世話をしにきたのはいつからだよ?」
ミッキーがゲンチャンの顔を見ながらいう。
「お見舞いにいったときには、もう居たよな? あれは事故のあった翌年じゃなかったっけ? ヒミコちゃんが高校卒業したっていってたから」
「お見舞いにいったことすら憶えてない」
ゲンチャンは、また半笑いだ。
そんなゲンチャンを無視するように、こちらに向き直ったミッキーは続ける。
「あの清楚でお上品なお嬢様のヒミコちゃんが、病室ではまるで倉井のお手伝いさんみたいに卑屈になっててさ」
「そういえば」とワカも思い出したように話す。
「オレがスーパーで会ったときも、なんか垢抜けないジャージ姿だったな」
クマは手をパチンと叩いた。
「そうできるところが凄いってんだよ。なっ?」
「いや、それでだよ」と、ミッキーがクマを抑えるように割り込む。
「お見舞いにいったその帰りにヒミコちゃんに呼び止められたじゃん?」
ゲンチャンはニヤニヤ顔を素に戻した。
「だれが? オレが?」
「そうだよ。なにか二言、三言、喋ってたから、オレがあとできいたら、カズトの墓があるところをきいたっていってただろ?」
「ああ、そうだ」と、今度はゲンチャンが手をパチンと叩いた。
「それをワカにいって、みんなに連絡してもらったんだ」
ワカも大きく頷いた。
「なんでワカなんだよ?」とクマが訝しげな顔をする。
「オマエがすればいいことだろ?」
すると答えたのは、ゲンチャンではなくてミッキーだった。
「いいや、こういうことを仕切るのはワカが得意だからな」
クマは腕組みをしてシートに座り直すと、「なるほど、それで墓参りのメンバーが小学校の同級生に偏っているのか」と目じりを下げた。
「墓参りをしてやってくれっていわれたのはオマエじゃないか」
ゲンチャンはしばらくにやけた顔をしていたが、「でもさあ」と切り出す。
「倉井が〝ネイティブ〟になってくれて、ヒミコもよかったんじゃないの」
「ネイティブ?」と、またワカは眉をひそめた。
「そうだよ、倉井はメタフィジカルに移住したんだ」
「それはきいたけど、メタフィジカル移住者のことをネイティブっていうの?」
するとミッキーが口をはさむ。
「正確にいうと〝レジデント〟っていうんだ。ネイティブっていうのはメタフィジカル創設時から、ここに住んでる人のことだ」
「オマエ、詳しいな」とゲンチャンが感心すると「常識でしょ」と得意顔になる。
窓の外はいつの間にか、山間から開けたところに出ていた。斜面を下ったところに水辺がある。遠くは靄で霞んでいるため、水面から上は真っ白にしか見えない。
クマは車窓に頬杖をつきながらいった。
「海かな?」
「波があるからな」とゲンチャン。
「大きな湖だったら波があるぜ」とワカ。
「アレ、なんだよ」とクマが、その水際を指さす。
水辺には数人の奇妙な格好をした者がいた。彼らの視線の先には黒い煙幕のようなものが立ち昇り、ときたま火花を散らしている。
「浜辺でバーベキューでもしているんじゃないの?」
ゲンチャンは興味なさそうだ。
「ハロウィンでもないのに、あんな格好で? しかも、メタフィジカルでバーベキュー?」
クマは、そう思っていないようだ。
「チンドン屋みたいだな」とワカがなに気なく口走ると、それにミッキーが喰いついた。
「チンドンヤ? チンドンヤってなんだよ?」
すると、ゲンチャンが面白そうに横ヤリを入れた。
「オマエ、チンドン屋を知らないの?」
ミッキーは首を振る。
「チンドン屋、知らないのかよ。レジデントとやらを知ってて」
「なんだよ、チンドンヤって」
ゲンチャンは愉快そうに「じゃあ、クモスケは?」と、またわけのわからないことをいい出す。
「知らないよ。なに、それ?」
「クモスケも知らないの? サンスケは?」
「だから、それはなんなんだって」とミッキーは声を荒げた。
「デバガメは?」
「もう、いいよ。アンタとは口をきかない!」
ついに憤慨したミッキーは横を向いてしまった。そんな中学生のようなやり取りをよそにクマがいう。
「チンドン屋じゃないだろ、アイツら?」
ワカは思わず吹きだす。
「どうでもいいよ」とミッキーは不愉快そうだ。
懲りずにクマは、いつの間にか停車している車窓を指さしていう。
「おい、見ろよ。あのでかい金剛大仏みたいなのが飛んでいくぜ」
「別のヤツも、なんか孫悟空みたいなのも飛んだ!」
四人は暫し、その模様に目を凝らしていた。おもむろにゲンチャンは呟く。
「そりゃ、大仏だって飛ぶわな。ここはメタフィジカルだから」
その一言に反応したように、「わかったよ」とクマはこっちを振り返った。
「ここは〝RPGフィールド〟なんだよ」
「なんだ、それ?」
ワカとミッキーは頭上に「?」マークが浮いていたが、ゲンチャンは納得したように頷いている。
「ゲームをやるためのエリアだろ? バトルゲームとか参加型のドラマ。ウチのセガレがよくやってる」
「そう、そう。ウチのもだ」とクマはゲンチャンを指さした。
「どうりでマップで検索してもわからないわけだ」
「じゃあ、あれは…?」
ワカが口籠っていると、クマが推測した。
「対戦ゲームをやっている最中だろ? ほら、モノレールが停まっているってことはギャラリーなんだよ、オレたち」
「なるほど。子どもがいない独身者は時代遅れになるということだな」とワカは、一旦は状況をのみ込めたが、さらに新たな疑問が湧いてきたようだった。
「倉井はオレたちにこれを見せるために、ここに呼んだとでも?」
謎を解いたクマですら、頭上に「?」が浮いていた。つまり、彼にも意味不明だったのだろう。しかも、バトルの最中と思われるのにモノレールは動き出した。
「アレはなんだったんだ?」
だれもその答えを見つけることができなかった。
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