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7 公爵夫妻との対面

 大して待たぬうちにまた扉が開いて、男性と女性が居間に入って来られた。

 私は反射的に立ち上がろうとして、メイさんに「いいですから」と止められた。


「ふたりとも疲れてるんで、座ったままで許してあげて」


 メイさんの言葉に男性が「構わない」と返された。


「パトリシアさん、僕の兄夫婦です」


「はい、存じ上げております」


 私たちの向かいに腰を下ろされたのは間違いなくノア・コーウェン公爵とセアラ夫人だった。


「それにしても、何でノアがこんな時間に家にいるの?」


 実のご兄弟とはいえ、コーウェン公爵に対するメイさんの態度があまりに砕けているので私は驚いてしまった。

 コーウェン公爵はメイさんにジロリと視線を向けられた。公爵のお顔立ちはクレア夫人に似ていらっしゃるのに、迫力がすごい。


「半日休みを取ったんだ。タズルナに向かう父上や母上たちをお見送りするという大事な用事があったからな」


「……だよね」


「だがその前に、普段より3時間も早く起きて一仕事してきた。あまり成果はなかったが」


「ふうん。それは大変だったね、セアラとコリンが。でも、ノアもいたならちょうどよかった」


「頼みというのはそのふたりのことか?」


「うん。こちらはパトリシアさん。ローガン次期侯爵との離縁を希望して屋敷を出て来て、うちの工房で働くことになったから、ここに置いてあげてほしいんだ」


 メイさんが私の気持ちを汲んだような紹介をしてくださったことはとても有難かった。

 でも、コーウェン公爵の鋭い視線が私に向けられ、身が竦んだ。


「あなたがローガン次期侯爵夫人?」


 もちろんそんな風に呼ばれたくないなどと言えるはずがない。


「はい、パトリシア・ローガンにございます。突然伺ってこのような厚かましいお願いをして申し訳ございません」


 頭を深く下げてまた姿勢を戻すと、コーウェン公爵が口角を上げていた。でも、目は笑っていない。


「朝に逃げられた相手が昼には自ら我が家にやって来るとは」


「え……」


 コーウェン公爵のお言葉の意味を考え、血の気が引いた。


「まさか、今朝ローガン家を訪ねていらっしゃったのは、コーウェン公爵でいらしたのですか?」


「そうだ。社交界で流れている噂について確かめよと、陛下の命を受けてな」


 体に震えが走り、無意識のうちにクレアを抱きしめていた。

 コーウェン公爵は、ローガン侯爵夫人から私が悪女だ鬼嫁だという噂は真実だと聞いたのではないか。こっそり屋敷から逃げ出したことで、さらに心象は悪くなっているかもしれない。

 だけど私が捕まったりしたら、クレアはどうなるのだろう。


「申し訳ありませんでした。逃げたのは、あの屋敷を出る好機だと思ったからで、陛下の御使いの方がいらしていたなどまったく思いも寄らなかったのです」


 どうにか小さな声でそれだけ絞り出した。


「ノア、お役目は大切だけれど、ここは我が家の居間で、パトリシア様はメイが連れてきたお客様よ。小さなご令嬢もいるのだからもう少し表情を緩めて」


 公爵夫人がやんわりとそう仰り、メイさんも頷いた。


「パトリシアさん、ノアは別にあなたに対して怒っているわけではなくて、仕事中はいつもあんな顔してるらしいから気にしなくていいですよ」


「せっかくセアラとふたりでのんびりしていたのをおまえが邪魔するからだ」


 コーウェン公爵が眉間に皺を寄せてそう仰ると、メイさんが「ああ、そっちか。ごめんごめん」と苦笑し、公爵夫人は「ノア」と咎めるように呼んで眉を下げられた。


「そういえば、ご令嬢のお名前は何というのかしら?」


 空気を変えようとなさるような公爵夫人の問いに、メイさんが身を屈めてクレアに囁いた。


「あのふたりにも名前教えてあげて」


 クレアは1度メイさんを見上げてから、おふたりに向かってはっきりと告げた。


「クレア」


 コーウェン公爵が目を瞬いた。その表情は初めてクレアの名を聞いた時のメイさんにそっくりだった。

 公爵夫人も「まあ」と目を見開いた。


「パトリシアさんがうちの母上を尊敬してて、そう名付けたんだって」


 メイさんはどこか自慢げに仰った。


「それを聞いたら、ふたりを無碍に扱うわけにはいかないわね」


 公爵夫人が仰ると、公爵が「そうだな」と、メイさんが「でしょ」と答えられる。

 公爵夫人が背後を振り返ってそこに控えていたメイドに「客間の用意を」と仰ると、メイドは礼をして居間を出ていった。


 メイさんが「ありがとう」と仰るのを聞いて、私も慌てて「ありがとうございます」と頭を下げた。


「ところで話の続きだが」


 コーウェン公爵のお言葉で再び私は緊張を覚えたが、公爵の表情は先ほどよりずっと柔らかく見えた。


 そこで公爵夫人が立ち上がった。


「私はクレアと席を外すわね。クレア、いらっしゃい。うちの子を紹介するわ」


 クレアが私とメイさんを交互に見た。


「大丈夫だよ。セアラ伯母様は優しい人だから」


 メイさんが言うと、クレアはコクリと頷いてソファから降り、公爵夫人のほうへ歩いていった。

 公爵夫人はクレアの手を取ろうとして「あら」と呟き、クレアを抱き上げた。

 クレアが裸足だと気づいてそうしてくださったのだろうけれど、躊躇するご様子もなかった。


「申し訳ありません。よろしくお願いします。クレア、良い子にしているのよ」


 公爵夫人は微笑んで頷き、クレアと居間を出て行かれた。

 扉が閉まると、コーウェン公爵が改めて口を開かれた。


「本当に私たちだとわからなかったのか? すでに2度もローガン家を訪問していたのに?」


「2度も、ですか?」


「2度とも応対したメイドに主が留守だからと追い返された。それで絶対に在宅しているであろう時間を狙ったら、ようやく侯爵夫人には会えた」


 陛下の御使いである公爵をメイドに追い返させるなんて、侯爵夫人は何を考えているのだろう。


「私は本当に知らなかったのです。侯爵夫人は私に次の女主人としての仕事をさせてくださらず、お客様がいらしても私は蚊帳の外に置かれていました。ですが、侯爵夫人が屋敷を空けることは滅多にありませんでした。侯爵は……」


「ローガン侯爵がほとんど在宅していないことはこちらも把握しているし、すでに宮廷で取り調べさせてもらった。が、『息子は病で伏せっている』の一点張りだ」


 そういえば、宮廷にはそのように届けていたのだった。駆け落ちが社交界であれだけ噂になっていたから、私もすっかり忘れていた。


「しかし、今朝も結局、次期侯爵には会えなかった。『とても人に会える状態ではないから』というのが理由だ。それなら夫人、つまりあなたの話を聞きたいと言ったら、『逃げた』と。『ブラッドリーが病んだのはあの女のせいだから捕まえてほしい』とも言っていたな」


「私は何もしていません」


「ローガン侯爵夫人の話を信じたわけではない。噂や一方的な話を鵜呑みにするだけでいいなら陛下もわざわざ調査など命じない」


「そもそも、陛下は何でノアに命じたの? どう考えても外交官の仕事じゃないよね」


「外交官ではなく信頼する臣下として命じられたんだ。取り調べをするのは対象より上の爵位を持つ者でないと荷が重いだろ」


「確かに」


 メイさんは納得した表情で頷いた。


「そういうことだから、パトリシア・ローガン、あなたにもいくつか質問させてもらう。正直に答えるように」


 私は覚悟を決めて「はい」と答えた。


「まず、ブラッドリー・ローガンが病で伏せっているというのは本当か?」


「いいえ、嘘です」


「ならば、社交界で噂されているように、シェリル・ガードナーと駆け落ちしたのか?」


 私は少し考えてから言った。


「私はそのように聞いております。少なくとも、2か月ほど前に出かけてからローガン次期侯爵が屋敷に帰っていないことは確かです」


「誰に聞いたんだ?」


「ローガン侯爵夫人です。パーティーの翌々日でした」


「ずいぶん早いな。侯爵夫人はどうやって知ったんだ? ブラッドリーから手紙でも届いたか、それとも目撃情報が入ったのか?」


「そこまでは聞かされておりません」


「では、あなたはシェリル・ガードナーのことは知っていたのか?」


「知っておりました」


「どのように?」


「結婚式でお見かけしたのですがその時はどなたかわからなくて、後になって侯爵夫人から次期侯爵にシェリル様という恋人がいたことを聞き、きっとあの方だろうと思いました。本当にそれだけで、私は噂で言われているようなことはシェリル様に何もしていません。もちろん、次期侯爵や侯爵夫人に対してもです」


 私は勢い込んでそう言ったが、コーウェン公爵は表情を変えなかった。


「この件に関しての判断はもう少し情報を集めてからになる。が、とりあえずあなたたちふたりは保護する必要があったため我が家で預かる、と陛下にはご報告しておく」


「ローガン家には……?」


「あの喧しい侯爵夫人に我が家に押しかけられたくはない」


「ありがとうございます」


 まだ結論は出せないが私の話をある程度は信じていただけた、と考えていいのだろうか。


「ノア、僕もいいかな?」


「何だ?」


「ローガン次期侯爵の駆け落ちの噂は僕も聞いたけど、僕には違和感だらけなんだよね。パトリシアさんだけでなく、ガードナーさんも噂で言われているような人じゃないと思うよ」


「おまえ、ジェフ・ガードナーとも面識があるのか?」


「うん。うちの工房、ガードナー商会と取り引きがあるし、ドレスの注文も受けたから」


「それで?」


「これは前に師匠から聞いた話だけど、ガードナーさんは亡くなった奥さんのことを大切にしていて再婚するつもりなんてまったくなかったのに、エメット男爵から無理矢理シェリルさんを押しつけられたんだって。だけど、そんな親の元に帰すのは忍びないからってシェリルさんを後妻にして、あれこれ面倒見てあげてたんだ」


 社交界の噂とはまったく異なる話に、私は驚いた。

 私に関する噂が真実ではないことばかりなのだから、ガードナー氏に関してもそういう可能性があったのだと、初めて気づく。


「ガードナーが買ったのはシェリル用のドレスだったんだな?」


「もちろん」


「確かに、そのあたりの矛盾は気になっていた。粗末なドレスで閉じ込められていた人間がどうやってパーティーに行けたのか、と」


 噂を聞いた時に同じことを考えたので思わず頷いた私を、コーウェン公爵がジッと見つめられた。


「粗末な食事とドレスだけで閉じ込められていたのはシェリルではなく、パトリシアか」


 公爵のそれは質問ではなく確認だった。

 わかっていただけたことに、また目頭が熱くなった。


「違うよ。そのドレスは自分で作ったんだって」


 メイさんがわざわざ訂正してくださった。


「だからドレス工房で働けるわけか。他には何をされた?」


「話したくなければ無理に話さなくてもいいですよ」


 メイさんは労わるようにそう言ってくださったけれど、私は話せるだけ話してしまうことにした。


 次期侯爵から妻として扱われなかったこと。顔を合わせるたびに暴言を吐かれたこと。

 侯爵夫人に様々なものを奪われたこと。何も教えてもらえぬまま駄目な嫁だと貶され続け、娘を産んだ時も同じだったこと。

 侯爵は私と家令に領地経営をほとんどやらせていたこと。次期侯爵がいなくなって結婚後初めて社交の場に出されたこと。


 私が話し終えると、コーウェン公爵はまた眉間に皺を寄せて仰った。


「離縁できるよう協力する」


「どうかよろしくお願いいたします」


「クレアを引き取るのは当然として、他に望むものはあるか?」


「いえ、何も」


「欲がないな」


 ノア様は呆れたように仰るが、クレアと一緒にあの家から解放されれば私はそれで構わなかった。


 それにしても、ガードナー氏とは全然不幸な結婚などではなかったようなのに、どうしてシェリル様はローガン次期侯爵なんかと駆け落ちしたのだろう。

 もちろん当人でなければわからないことはあるとしても、私にはやはり理解できない。


「幸せのドレスをくださった方を裏切って、幸せになれるのかしら」


 ポツリと呟くと、メイさんが苦笑いを浮かべた。


「パトリシアさんもその噂知ってるんですね。どんなに腕の良い職人だってそんなドレス作れるわけないのに、意外と信じてしまう人が多いみたいで、最近注文が増えました」


 良いことのように思うけれど、メイさんの表情は渋いままだ。


「新規のお客様が増えるのはもちろん嬉しいですけど、うちで捌ききれないほど多くなって以前からのお客様にご迷惑をおかけするのでは本末転倒ですから、お断りすることも増えてしまって」


「確かにそのとおりですね。でも、本当にそんなドレスがあるなら、いつかクレアには着せてあげたいです」


 メイさんはしばらく悩むような表情をしてから仰った。


「残念ながら、うちのドレスを着れば幸せになれるなんて保証はできません。もちろん、着た方が幸せになればいいとは思って作っていますけど」


「はい。私もそう思いながら働かせていただきます」


「そういう意味ではないんですけど、まあいいか」


 それならどんな意味だったのだろうと首を傾げていると、コーウェン公爵が立ち上がった。


「客間が整うまでここで寛いでいるといい」


「はい、ありがとうございます」


「メイ、ちょっと来い」


「何?」


 メイさんも立ち上がり、コーウェン公爵とともに居間を出て行かれた。


 私はフウと息を吐いた。

 今朝、ローガン家を出た時には想像もしていなかったことが次々に起きて、わずか半日で私を取り囲む状況は大きく好転した。

 ここからローガン家まではそう遠くないけれど、侯爵夫妻もまさか私たちがコーウェン家にいるなんて思いもしないだろう。

 すべてメイさんのおかげだ。あの方にはいくら感謝してもしきれない。


 何だか安心してしまい、急に体が重く感じられた。

 ソファの背もたれに寄りかかるのを我慢していると今度は瞼が重くなり、少しだけと思いながら目を閉じた。

 どこか遠くからクレアの「おかあさま」と呼ぶ声が聞こえた気がした。

主な登場人物です


パトリシア(パット・パティ)22 ローガン次期侯爵夫人

メイ(メイナード)22 アンダーソンドレス工房の職人、コーウェン公爵弟

クレア 3 パトリシアの娘


ノア 31 メイの兄、コーウェン公爵、外交官

セアラ 29 ノアの妻

ソフィア 8 ノアとセアラの長女

エルマー 5 ノアとセアラの長男


メリー(アメリア)36 メイの姉

ルパート 41 メリーの夫、マクニール侯爵、内務官

ヴィンス(ヴィンセント)16 メリーとルパートの長男


アリス 26 メイの姉、刺繍職人

コリン 32 アリスの夫、コーウェン家執事

ルーカス 6 アリスとコリンの長男


ロッティ(シャーロット)28 メイの姉

メル(メルヴィス)27 ロッティの夫、タズルナの元第三王子


ブラッドリー 25 ローガン家嫡男、書記官

ローガン侯爵 47 ブラッドリーの父、法務官

ローガン侯爵夫人 44 ブラッドリーの母

ラルフ 34 ローガン家の家令

エリック 22 ラルフの甥


シェリル 23 ブラッドリーの幼馴染、実家はエメット男爵家

ジェフ・ガードナー 51 シェリルの夫、裕福な商人

モーリス・アンダーソン 53 ドレス工房の主、メイの師匠

イーサン 32 モーリスの娘婿、ドレス工房の職人でメイの兄弟子


オーティス伯爵 42 パトリシアの父

オーティス伯爵夫人 40 パトリシアの母

スコット 18 パトリシアの弟

ダイアナ 16 パトリシアの妹

イザベル 17 スコットと婚約予定


セディ(セドリック) 54 メイの父、コーウェン前公爵

クレア 58 メイの母

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